[252]オマル・シャリーフの訃報


 

○オマル・シャリーフの訃報○ 

10日から11日にかけて、オマル・シャリーフ(オマー・シャリフ)の訃報を、文字通り世界中のメディアが報じた。私たちにとって、彼の姿はまず『アラビアのロレンス』(1962)におけるアラブ人の独立を目指す首長として記憶されていることだろう。『ドクトル・ジバゴ』(1965)での革命下を生きる医師の姿も忘れられないものだ。ハリウッドで活躍したエジプト出身の俳優は少なく、多くの記事が彼の越境者としての面を強調しているが、訃報記事の中には、人種と国境の問題を超えて、むしろ第一に彼の個性の豊かさを論じる記事も数多くあった。すべてを読むことはかなわないが、いくつか印象に残った記事を抜粋しながら、シャリーフ氏の生涯を振り返ってみたい。

シャリーフ氏は1932年、地中海に面したエジプト第二の都市アレクサンドリアで生をうける。父親はギリシャ語が堪能で、自身もギリシャ語やフランス語など、複数の言語を学んだ。カイロのヴィクトリア・カレッジ(エドワード・サイードとは同級生だったという)で教育を受け、その後父親の木材業を手伝ったあと、ロンドンに渡り、王立演劇学校で演劇を学ぶ。卒業後エジプトに帰国し、最初の出演作『Siraa Fil-Wadi』(『砂漠の悪魔』)で一躍、母国でのスターとなる。(※1)

そして1962年の『アラビアのロレンス』のメイン・キャストに抜擢されることで、エジプトのみならず、世界に知られる俳優となる。映画史上に名を残すことになった『ロレンス』について、2012年のガーディアン紙のインタビューで彼は次のように追憶した。「この映画に出演したとき僕はこう思った。“狂っている。(『アラビアのロレンス』には)女性が出てこなければ有名な出演者もいない、男性しか登場せず、アクションらしいアクションもない”。けれど、監督は素晴らしい人物だった、本当に。デヴィッド・リーンは偉大だ」(※2)『アラビアのロレンス』でシャリーフ氏は米アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされ、作品はゴールデン・グローブ賞を受賞している。主演のピーター・オトゥールは「シャリーフ」の名前が変だと言い、「Fred」と呼び続けた。二人は親しい友人であり続けたという。(※1)

その後の俳優としての活躍は輝かしいものだ。『ゲバラ!』(1969)ではアルゼンチン出身の革命家を演じ、『ジンギス・カン』(1965)ではモンゴル帝国の初代皇帝を演じた。さらに、ドイツの高官(『将軍たちの夜』1967)、オーストリアの王子(『うたかたの恋』1968)、様々な国籍の様々なキャラクターを演じた。しかし、ハリウッドに進出していく中で、シャリーフが抱えていたであろう葛藤を忘れるべきではないだろう。米ニューヨーク・タイムズは「『アラビアのロレンス』の成功は私を妻から引き離した…(中略)…ひょっとすると、私はエジプトでのスターにとどまっているべきだったのかもしれない」というシャリーフ氏の言葉を紹介している。シャリーフ氏はハリウッドでの仕事を引き受ける中で、エジプト出身の女優であったファーティン・ハママと離婚している。(※3)

ミュージカル作品『ファニー・ガール』(1968)での彼の姿を記憶する人も多いかもしれない。この作品は、映画の公開後、共演したバーバラ・ストライサンド(ユダヤ系アメリカ人)との間の情事が一部のメディアに報じられ、このスキャンダルに業を煮やしたエジプトメディアが、「シャリーフから市民権を剥奪せよ」とするキャンペーンを行うまでに発展した。しかし、事態への彼のコメントは簡潔なものだ。「プライベートであれ、仕事であれ、私は女性とキスをする前に相手の国籍や宗教を気にしたりしない」。本作は現在でも、エジプトでの公開が禁じられているという。(※4)

一方「アル・ジャジーラ」紙(英語版)は氏のコスモリタン的な「個性」をたたえている。訃報記事の中でも、ここに掲載された長文はとりわけ印象的なものだった。筆者は「彼(シャリーフ)は「中東」と「西洋」の間に、本質的な意味で理解しあえないものは実はないということ、そして、文化間の差異よりも、文化内部にある差異の方が実は大きいのだということを示す、生き、歩く証拠だった」とし、さらに、アラビアのロレンスで彼が演じた役について、「アラブ人のステレオタイプ的な役まわりをその個性によって脱しようとした」とも論じている。(※5)

しかし、彼が「駄作」と吐き捨てる『ピンク・パンサー』(1976)などへの出演を経て、1990年代を境に氏は次第に映画のオファーを断るようになっていく。それ以前より賭博好きだったが、以降さらにギャンブルに溺れ、2000年前後にはブリッジの王者としてその界隈で名を轟かせもした。しかしある時期を境に、それからも手を引き、先日の逝去までの数年間、カイロとパリのホテルで隠居生活を送っていたという。今年前半には家族らが、シャリーフがアルツハイマーを患っていることを報道に明かした(※6)。

3日、孫のオマール・シャリーフ・Jr.はFacebookに「I love you」のメッセージとともに生前の父親の写真を投稿している。

俳優としてのキャリアとしてもさることながら、世界各地で報じられた一人のエジプト出身の俳優の姿は、死してなお眼がくらむほど鮮やかで、かつ多面的なものだった。いつか彼の人生についての映画が作られることを期待し、哀悼の意を表したい。

 

※ 1 BBC (http://www.bbc.com/news/entertainment-arts-33483877)

※ 2 Guardian紙(http://www.theguardian.com/film/2015/jul/10/omar-sharif-dies-at-the-age-of-83)

※3 New York Times紙(http://www.nytimes.com/aponline/2015/07/10/world/middleeast/ap-ml-obit-omar-sharif.html?_r=0)

※4 Forward 誌 “How Omar Sharif Worked for Religious Tolerance” (http://forward.com/culture/311837/how-omar-sharif-worked-for-religious-tolerance/)

※5 Al Jazeera English (http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2015/07/omar-sharif-actor-borders-150711055745054.html)

※6 the Atlantic (http://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2015/07/omar-sharif-lawrence-of-arabia-dr-zhivago-died/398264/https://www.facebook.com/195332240498754/photos/a.583972554968052.1073741824.195332240498754/971374856227818/?type=1)

 

 

井上二郎
上智大学英文科卒業。「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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