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 今年の4月に死去したポルトガルを代表する映画作家、マノエル・デ・オリヴェイラが自分の死後、発表するよう言付けていた作品『Visita ou Memória e Confissões』(『訪問、もしくは記憶、そして告白』)が今回のカンヌ映画祭で上映された。*(1)

 ずいぶん前から、オリヴェイラのファンやシネフィルのあいだで、その映画の存在がまことしやかにささやかれていたが、ついにその全貌が明らかとなった。映画が作られたのは今から30年前、1982年に撮られたもので、自分の家とそれに纏わる家族の歴史、そして自らの人生を振り返る、自伝的ドキュメンタリーのようだ。オリヴェイラがこうした作品を撮った背景には、映画を撮るために度重なった借金を返済するため、1942年に建てられ、40年ものあいだ過ごした我が家を、泣く泣く売却することになったことがきっかけとなっている。*(2)

 「家というものは様々な部屋によって形成されている。最も私的で秘められたものから、公的で社会的なものまで」*(3) と述べるオリヴェイラは本作品を一種の建築映画のような切り口から映し出し、彼の意図する「家」が彼の「世界」そのものであるというメタファーの上に成り立たせている。そして、まるで招かれた客のように、わたしたちはオリヴェイラの「家」の中へと誘われていく。

 「愛、恩恵、絶対的なもの、世界観、純真さといった、ポルトガルの巨匠によって作られた映画のすべてのテーマが、細心の注意を払ってまとめられている。信者か不可知論者かといった疑問も、彼の心をさいなませるが、結局は“シネマ”へと戻っていくことに他ならない。スタジオへと。フィクションへと。「フィクションこそ映画のリアリティーだ」と彼は述べる。すべては愛する我が家に別れを告げるために。」*(4)

 『Visita ou Memória e Confissões』をオリヴェイラから託された、リスボンのシネマテーク館長であるジョゼ・マヌエル・コスタ氏は本作を繊細で美しい、オリヴェイラらしい作品であると示唆するも、何かしらの啓示を期待すべきではないとしている。何故なら、本作が撮られたのはオリヴェイラが80歳の頃で、まだ長編を6作品しか撮っておらず、映画作家としての節目を迎えた作品として作られたからだ。まさかその後、長編・短編を含め、30作品も撮ることになると誰が予想できただろうか。故に、あくまで彼の創作意欲の原点が垣間見られる作品となっているようだ。*(5)

 「映画とはわたしの情熱そのものだ。映画を撮るための可能性に、わたしはすべてを犠牲にしてきた」*(4) と述べるオリヴェイラだが、そんな彼が106歳まで映画を撮り続けられたのも、オリヴェイラの家を支えた妻、マリア・イザベルの存在が大きいことを本作で改めて知ることとなる。「私は彼が映画を撮り続けていくための問題をすべて引き受ける」*(4) と作中で語る彼女の存在があってこそ、オリヴェイラの家は存在できるのだろう。

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「映画とは芸術ではない。映画とは人生ではない。しかし、まさにそのふたつのあいだに位置するものだ。」*(3)

参考資料、引用元:
http://www.festival-cannes.fr/jp/theDailyArticle/61905.html *(1)
http://www.lefigaro.fr/cinema/2015/05/05/03002-20150505ARTFIG00285-le-film-posthume-de-manoel-de-oliveira-est-sans-revelation-fracassante.php *(2)
http://cannes2015.lesinrocks.com/2015/05/23/la-visite-projection-du-film-posthume-du-grand-manoel-de-oliveira/ *(3)
http://www.lemonde.fr/festival-de-cannes/article/2015/05/23/la-visite-ou-memoires-et-confessions-manoel-de-oliveira-rentre-une-derniere-fois-a-la-maison_4639195_766360.html#6ETwqK4rt7fgf4ps.99 *(4)
http://www.lefigaro.fr/cinema/2015/04/07/03002-20150407ARTFIG00238-un-film-testamentaire-signe-manoel-de-oliveira.php *(5)
http://embaixadadeportugal.jp/jp/

楠大史
World News担当。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科修士2年、アンスティチュ・フランセ日本のメディア・コンテンツ文化産業部門アシスタント、映画雑誌NOBODY編集部員。高校卒業までフランスで生まれ育ち、大学ではストローブ=ユイレ研究を行う。一見しっかりしていそうで、どこか抜けている。


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