先日閉幕したカンヌ映画祭の「ある視点」部門では黒沢清監督の『岸辺の旅』が日本人初の最優秀賞受賞を果たし、日本でも多くのメディアがとりあげ話題を呼んだが、出品者のなかには、タイの映像作家・アピチャッポン・ウィーラセタクンの姿もみられた。2010年に『ブンミおじさんの森』でパルム・ドールを獲得し、それ以降、現代美術と映画のフィールドをまたいで活躍している。今回出品されたのは、2012年にアピチャッポン的な感性を研ぎすましたような中編『メコンホテル』を発表して以来の新作『Cemetary of Splendour(「光の墓」)』だ。この記事では、彼の新作についてのレビューとインタビューをいくつか紹介したい。

 「物語はどこか『世紀の光』を思い出させる」——「ガーディアン」誌で数多くの映画批評とインタビューを手がけるピーター・ブラッドショーは本作のレビューをこう書き始める(※1)。2006年に発表された『世紀の光』(Syndromes and century)は、タイ郊外に位置する病院を舞台に、アピチャッポン自身の幼少時や両親についての記憶を作品の中にちりばめながら、医師と患者の関係性を巡る物語を反復のなかで変奏させていく、筆者にとっても忘れられない作品だった。(映画批評サイトFlower Wild にはこの当時のインタビューが掲載されている[※2])

 『Cemetary of Splendour』もまた、医療施設を舞台とする作品だという。アピチャッポンの生地でもあるタイの北東、コン・カエンで、公営事業のための建設現場での仕事に従事する労働者数人が、原因不明の「眠りの病」にかかってしまう。彼らは一時的に運営される医院で昏々と眠り続ける。医院のボランティアである若い女性のケン(Jarinpattra Rueangram)は、霊感を備えている。彼女は預言する。彼らの病は「古代の王の墓を荒らした」ことが原因だ——(※同1)。  おおまかな粗筋をみるだけでも、それが今までのアピチャッポンの作品と地続きにあるものであると確信してしまうだろうと思う。しかし一方で、この映画が様々な「現在」を——アピチャッポンの、そしてタイ国家の政治的状況の現在を——反映した上で作られたことも他の記事からは読み取れる。

 タイでは昨年2月にインラック首相が退陣したのをきっかけとして、5月にプラユット現暫時首相率いる軍部がクーデターを決行。軍政が敷かれて以来、つい先日までほぼ一年にわたる戒厳令体制が敷かれた。戒厳令が解除されたあとも、軍部に大きな権限を許す政治体制が続いている。アピチャッポン自身の言葉によれば、彼の友人の多くはブラックリストにのり、一度留置所に勾留された場合「今後政治的活動に加わらない」という誓約書にサインしなければ帰宅を許されない、そうした状況が続いているという。とりわけ市民の間で、ソーシャルメディアが規制されているという報道もある(※3など)。

 カンヌで登壇した際、あの親しみやすい柔和な表情でアピチャッポンが観客に述べたのは「この作品はいままでの中で最も個人的な作品だ」ということだったという。コン・カレンについて訊ねられた彼は、その場所を「哀しみとともに見つめる場所だ」とも語った(※4)。コン・カレンは彼の両親が医師として働いた場所でもある。「Film Comment」誌のインタビューに答えて、アピチャッポンは述べている。

 

Apichatpong : これは私がコン・カエンで撮影した最初の映画ですが、むしろこれは“絶望を表現した”という意味で、最も個人的な映画なのです。(タイに)暮らすなかで、私は自由に何かを表現することがどんどん難しくなってきているのを感じます。たくさんの友人達が勾留されています––まるで次は自分の番だ、と言われているかのような思いです。しかも一方で、私は気づいていなかったのですが、こうした恐怖の中で本当に映画をつくるのであれば、——映画でなくても何らかの表現を、例えばインタビューでさえ——私は自分自身を検閲しなくてはならない。だから私はこの作品で、現実に存在していないものを表現しようと思った。状況を限定しないように、まるで寝ているのかも起きているのかもわからないように。                              (※同4)

 

『ブンミ』や『メコンホテル』でもそうであったように、彼が映画を撮り始める前に学んだという建築的な形式をナラティブの形式に変換させたような構造を持つ『世紀の光』。その延長としての新作『Cemetary of Splendour』で、アピチャッポンはこれまでより、「個人的な記憶と体験」を重視したようだ。日本公開が待望される。

※1「Guardian」5月18日掲載 http://www.theguardian.com/film/2015/may/18/cemetery-of-splendour-review-apichatpong-weerasethakul

※2「フラワーワイルド」“アピチャッポン・ウィーラセタクン インタビュー──『世紀の光』をめぐって” 2006年12月掲載 http://www.flowerwild.net/2006/12/2006-12-06_121909.php

※3「シノドス」“タイの民主化は暗いのか?” 2014年10月掲載 http://synodos.jp/international/10947

※4「Film Comment」誌 6月1日掲載
http://www.filmcomment.com/entry/cannes-interview-apichatpong-weerasethakul

井上二郎
上智大学英文科卒業。「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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