[229] アルフォンソ・ゴメス=レホンってどんな人?


今年のサンダンス映画祭でグランプリ(審査員大賞)&観客賞を受賞した”Me & Earl & the Dying Girl” [*1]が、6月12日から全米公開されます。この作品についてはすでにIndieTokyoでも、サンダンス映画祭開催時に雨無麻友子さんが取り上げてくれましたが[*2]、今回は本作の監督であるアルフォンソ・ゴメス=レホンがどんな人物なのか、そして彼が”Me & Earl & the Dying Girl”を撮った経緯について、5月27日付のVarietyに掲載された記事[*3]をもとにご紹介したいと思います。
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アルフォンソ・ゴメス=レホンはメキシコとの国境に面したテキサス州ラレド出身の42歳。父親はメキシコから移住してきた精神科医で、ゴメス=レホン監督の幼少期の映画体験は父親がビデオで見せてくれたメキシコの古典映画、深夜にテレビでかかるハリウッド映画だったそうです。12歳の時、彼は近所のビデオショップでマーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』に出会います。その作品を観たゴメス=レホンは、「(ハーヴェイ・カイテル演じる主人公の)チャーリーに自分を重ね合わせた」と言います。
”Me & Earl & the Dying Girl”の劇中でも、主人公グレッグ(トーマス・マン)の部屋には『ミーン・ストリート』のポスターが貼られ、机には『スコセッシ・オン・スコセッシ』の初版本、パソコンのスクリーンセーバーにはスコセッシの多くの作品の編集を手がけたセルマ・スクーンメイカーの写真といった具合にスコセッシへのオマージュが随所に表れますが、若き日のゴメス=レホンもまたスコセッシと同じ道程を歩もうとニューヨーク大学に入学。そして在学中にインターンとしてスコセッシのオフィスで働くようになります。ただし、本人いわく「たぶん僕が長続きするかどうかテストされてたんだと思うんだけど、マーティンがオフィスに現れるとオフィスのスタッフにコピー機のある部屋に閉じ込められてたんだ」そうで、スコセッシ本人と対面するまで数か月かかったとのこと。そうした辛抱のかいもあってか、ゴメス=レホンは95年の『カジノ』で制作アシスタントを任され、本格的なキャリアをスタートさせたのです。
現在最新作”Silence”を撮影中のスコセッシは当時のゴメス=レホンについてこのようにコメントしています。「アルフォンソは常に映画を愛し、飲み込みが早かった。私のオフィスや『カジノ』の現場で働いていた時、彼があらゆることを素早く吸収し、綿密に注意を払う姿を見るのは楽しかったよ。そしてついに彼が何をしていたのかを知るチャンスを得て、その結果(”Me & Earl & the Dying Girl”)を見たら、そこにはどうやって映画を作るか学んでいる人間がいたんだ」

”Me & Earl & the Dying Girl”の主人公グレッグは母親に白血病に侵されたクラスメートのレイチェル(オリビア・クック)と友達になるように命じられ、しぶしぶ彼女に会うようになりますが、いつしか彼女に心を動かされ、彼女に対する説明できない感情を伝えるために唯一の親友であるアール(R.J.サイラー)とともに1本の映画を作ります。
ゴメス=レホンがジェシー・アンドリュースによって書かれたこの物語の短いスクリプトを読んだのは、彼の父親が死んだ直後でした。アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの『21グラム』『バベル』、ノーラ・エフロンの『ユー・ガット・メール』『ジュリー&ジュリア』といった作品の監督助手や第2班監督としてキャリアを重ねた後、「Glee」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」などテレビドラマの演出を手掛けるようになっていた彼は、父親の死について考えないようにするために仕事に没頭していたといいます。その時にアンドリュースの書いたスクリプトを読んだ彼は、「この話を個人的なものとして撮ることができる気がした。直接自分について語らなくても、この映画を自分の物語として作れると思った。自分が味わったある種の感情をとらえたかった。そしてできればそうすることで立ち直りたい」と考えたのです。
そのスクリプトを多くの競合相手から勝ち取ったゴメス=レホンは、大学時代から築いてきたコネクションを利用し、ウェス・アンダーソンやジェイソン・ライトマンの作品のプロデューサーとして知られるスティーヴン・レイルズに面会、たくさんのビジュアルイメージ(その中には『卒業』や『ハロルドとモード』、『地獄の黙示録』のメイキングドキュメンタリー”Burden of Darkness”なども含まれていたそう)を見せながら構想を大いに語り、この映画の製作を実現させました。

「Glee」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」の製作総指揮者で、ゴメス=レホンの長編デビュー映画”The Town That Dreaded Sundown”(諸般の事情で ”Me & Earl & the Dying Girl”の制作開始には時間がかかり、その間に依頼を受けて撮ったとのこと)のプロデューサーも務めたライアン・マーフィーはゴメス=レホンのことをこのように評しています。「彼はとても礼儀正しい、真のジェントルマンだ。でもカメラの後ろに立つやいなや殺し屋になるんだ。彼は自分の頭の中にあるショットを撮ることができるまで喋りまくって、そうなると誰も彼を止めることができないんだよ」

”Me & Earl & the Dying Girl”のサンダンス受賞により一躍脚光を浴びたゴメス=レホン監督。次回作もすでに決定しており、ヒュー・ジャックマンとルーニー・マーラーが共演する”Collateral Beauty”のメガホンをとることが発表されています。[*4]

Me_&_Earl_&_the_Dying_Girl

*1
http://www.imdb.com/title/tt2582496/?ref_=nm_knf_i1
*2
http://indietokyo.com/?p=525
*3
http://variety.com/2015/film/news/ma-and-earl-alfonso-gomez-rejon-scorses-1201505165/
*4
http://variety.com/2015/film/news/hugh-jackman-and-rooney-mara-to-star-in-me-and-earl-the-dying-girl-directors-next-movie-exclusive-1201494972/

黒岩幹子
「boidマガジン」(http://boid-mag.publishers.fm/)や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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