ここ数年の映画界に於いて“イラン”という言葉を頻繁に見かける。実際、イランの映画作家たちの突出した世界的飛躍にお気づきだろうか。アカデミー賞、セザール賞、ゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞受賞、ベルリン国際映画祭では最高賞の金熊賞に輝くなど世界にイラン映画の質の高さを知らしめたアスガー・ファルハディ監督作『別離』(2011)を筆頭に、今年2月に開催されたベルリン国際映画祭金熊賞を監督不在のまま(反政府的活動を支持したとして現在出国できず)受賞した『Taxi(原題)』のジャファル・パナヒ。さらには以前何度かWorld News[132][212]でも紹介したIndie Tokyo猛プッシュの新鋭女性監督で、長編処女作『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』が好評のアナ・リリ・アミリプールもイラン系アメリカ人だ。この作品は、あくまで架空のイランが舞台のアメリカ映画であって、イラン映画ではないのだが。 このように洗練された才能溢れる映画作家たちと豊富な生産量(2012年でいうと76本制作された)を誇る現代イラン映画。そこには、制約された環境下にも関わらず栄光の道を築いてきた“逆説的成功論”が存在する。taxi  初のイラン映画となるコメディー映画『アビとラビ』が1931年に公開されてから数十年後、アッバス・キアロスタミらの台頭によりイラン・ニュー・ウェーブが確立された。中でもダリウシュ・メールジュイ監督作『牛』(1969)はそのムーブメントを決定的にし、初めて世界に認められたイラン映画の金字塔と称される。イタリアのネオリアリズムやアントニオーニから影響を受けたというこの時期の作品は、ドキュメンタリータッチの社会派映画という独自のスタイルで芸術的な面でも評価された。しかし、1979年のイスラム革命後も映画の勢いは衰えることはなかったが、“ある規則”が設けられることになる。当時の指導者ホメイニのもと、芸術のコントロールと”イスラム化“が強行されたのだ。「映画には反対しない、ただし映画の中の”汚らわしいもの“を徹底的に排除する」と。この時の映画は単なるイスラム教のプロモーションに過ぎなかった。この過酷な環境下で製作された映画は女性の不在と男女愛の欠如が特徴的で、子供をテーマにする作品が多く見受けられる。『駆ける少年』(1985、アミール・ナデリ)などの名作もそこから誕生した。

“上映の可否は文化イスラム指導省の判断次第”

 同省は、革命後の国内映画製作及び外国映画の輸入等あらゆる活動において最終的な許可を下す機関で、2005年にはさらにその規制を強化し、表現活動が制限された。事実、検閲の基準は不明確で、主観と独断で判断されているという。この厳しく不公平な検閲は未だ存在し、多くのアーティストが標的にされてきた。政治犯として有罪判決を受け映画製作を禁じられていたジャファル・パナヒが、『これは映画ではない』(2011)というあまのじゃくなタイトルのドキュメンタリー映画を撮ったのはこの一例だ。軟禁生活の中で内密的に撮影が行なわれ、この映像はお菓子に忍ばせたUSBで出国し、カンヌ映画祭へと向かった。彼に関して言えば、冒頭でも触れた最新作『Taxi』は首都テヘランを舞台に監督自身がタクシーの運転手に扮しカメラを回したイラン社会の現実を浮き彫りにした問題提起とも取れる作品。まさに不屈の魂だ。また、女性の自由を訴えヌード写真を雑誌に掲載した女優ゴルシフテ・ファラハニは、後に国外追放され、『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009)のバフマン・ゴバディや『プレジデント』(2014)のモフセン・マフマルバフは亡命という道を選んだ。多くのフィルムメーカーが”表現の自由“を求めて母国を去った。パナヒ監督の『閉ざされたカーテン』(2013)で共同監督を務めたカンボジア・パルトヴィはル・モンド誌のインタビューでこう述べた。「活躍していたほとんどの映画人が仕事の場を奪われました。ところがそれは結果的に、国外での芸術活動の勢いを一層高めることになったのです。」

パナヒ  

 こうして、そんな状況下に於いても屈せず精力的に、大きな犠牲を払って映画を撮っては国外へ持ち出し発信し、世界への露出を着実に増やしていった。徐々に頭角を現してきたその文句なしの実力は世界中に認められ、ついには諸外国での撮影や共同製作に着手した。特にヨーロッパとは関係が深く、アッバス・キアロスタミのジュリエット・ビノシュを起用したイタリアとの合作『トスカーナの贋作』(2010)や、日本を舞台に日本人キャストで撮ったことで話題になった日本・フランス合作の『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)、アスガー・ファルハディのフランス映画『ある過去の行方』(2013)などが挙げられる。とりわけフランスは海外共同製作に積極的に取り組んでおり、イランからの映画人に対しても経済的支援を行なうなど相互利益をもたらしている。イランのイスラム文化と外国文化が混在するこれらの作品は多様性を含んだ不思議な独特の魅力を放っている。海外に活動の拠点を移し、自国の検閲という縛りから解放されたイラン人映画監督らの今後の活躍に期待したい。

 今年に入り国内人気が高いとされるマジッド・マジディ監督作『預言者ムハンマド』が公開され、さらに今夏開催のモントリオール世界映画祭のオープニング作品として選ばれたというのだ。本作は、国を挙げて莫大な予算で製作されたイスラム教最高の預言者ムハンマドの幼少期を描いた伝記映画とのことで、偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒ではあるもののシーア派が大多数を占めるイランでは “ムハンマドを映す”ことに意外にも寛大なようだ。まだまだ未知な部分も多いイラン映画界。検閲というハンデを抱えても尚、進化し続けるイラン人フィルムメーカーたちの勢いは衰えを知らない。bc9ea691-507b-4472-8146-8a733090d020 参考

http://www.telerama.fr/cinema/quel-est-le-vrai-visage-du-cinema-iranien,126318.php

http://www.presstv.ir/Detail/2015/05/07/409881/Iran-Cinema-Majid-Majidi-Montreal-World-Film-Festival-Muhammad-Prophet-

http://www.inaglobal.fr/cinema/article/les-paradoxes-du-cinema-iranien-8237

World News[132]http://indietokyo.com/?p=485

World News[212]http://indietokyo.com/?p=1464

田中めぐみ World News担当。在学中は演劇に没頭、その後フランスへ。TOHOシネマズで働くも、客室乗務員に転身。雲の上でも接客中も、頭の中は映画のこと。現在は字幕翻訳家を目指し勉強中。永遠のミューズはイザベル・アジャー二。


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