今週はじめまでアメリカ・マンハッタンではトライベッカ映画祭が行われていた。1988年にロバート・デ・ニーロらによって創立され、規模としては大きい部類に入るが、日本国内での知名度は比較的低い。各部門にはフィクションからドキュメンタリー、短編、さらにはテレビゲームのコンペティションまで存在し、入場者数は毎年30万人以上を誇る。これまで日本人では、塚本晋也、滝田洋二郎、是枝裕和などの作品が出品されており、マンハッタンではニューヨーク国際映画祭に次ぐ巨大な映画祭だ。近年の入賞者には、いまでは日本でも人気を獲得したイランの作家、アスガー・ハルファディ(“About Elly”(2009))や、コンゴの紛争を扱う“War Witch”(2012)がアカデミー賞にノミネートしたカナダ人監督Kim Nguyenなどが名を連ねる。 

 映画祭のドキュメンタリー部門もとても充実しており、数多くの作品が出品された。(※2)ここでは、今年3月に鬼籍に入ったドキュメンタリー映画監督、アルバート・メイスルズの遺作がドキュメンタリー部門にエントリーされていたことに注目したい。(※3)メイスルズは、現在ではドキュメンタリーの手法として王道ともいえる「シネマ・ヴェリテ」のアメリカでの開拓者とされ、作品の多くをデイヴィッドとアルバート兄弟の合作として制作した。中でも特に人口に膾炙した作品は、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー“Gimme Shelter”(1970)だろうか。(※3)80年代に弟のデイヴィッドが逝去して以来、アルバートが一人で製作を続けた。初期にはオーソン・ウェルズのドキュメンタリーなども製作しているなど、生涯、数多くのドキュメンタリー作品を残した伝説的な監督であり、その遺作がプレミア上映を迎えたことで、内外で注目を呼んだ。 作品のタイトルは“In transit”。アメリカ全土をカヴァーするアムトラック鉄道の乗客を記録した映画だという。長きにわたる記録映画監督としてのキャリアが、映画の伝統の、さらにアメリカという国家の象徴でもある「電車」をもって閉じられるというのは、逸話としていささかできすぎという気がしないではないが、それでもとうてい無視することは難しい。映画史から離れたところで考えても、期待は膨らむ。ドキュメンタリーに限らず、国家のインフラと都市の人々の関係に焦点をあてる映画はいつも何らかの意味で示唆を与えてくれるからだ。2012年、ヴェネツィア映画祭で公開され、金熊賞を獲得した“Sacro Gra”(邦題:)はローマを円環状に囲む高速道路“GRA”を辿りながら、道路の周辺で生活を送る人々を記録するものだったが、社会のインフラと周辺に住む人々の関係性を、記録によって切り出す視点はとても鮮やかで興味深いものだった。都市建築や社会学との関連で語られることも多い問題群だ。オリンピックを目前に知らないところで急ピッチで再開発が進められている東京で生活する私たちとも、どこかで地続きの内容なのではないだろうか。日本での公開が期待される。(※4)  

 もうひとつ、ドキュメンタリー部門の出品作のなかで目を引くのは、ノーム・チョムスキーのインタビューを記録した“Requiem for the American Dream”という作品だ。映画の内容はおもにインタビューで構成され、Peter Hutchison, Kelly Nyks and Jared P. Scottの三名の監督の合作として製作された。 この作品は、CNNなどでとても大きく取り上げられた。もちろんチョムスキーは生成文法理論の騎手であると同時に、米国の政策にたいする絶えざる批判者として知られる知識人だが、メディアへの登壇は多い。日本では、ジャン・ユンカーマン監督が同様にチョムスキーのインタビューを主軸としたドキュメンタリー作品を発表している(『チョムスキー9・11』)ほか、日本のドキュメンタリー映画製作・配給会社の要であるシグロ刊行になる同名の本も入手できる。また、昨年は初来日も果たし、上智大学にて講演をおこない、客席は予約で満員になったことが記憶に新しい。Indiewire誌には映画祭以前の監督のインタビューが掲載されており、「チョムスキーの言葉は映画作家として、そして市民としての私たちにいつも大きな示唆を与えてきた」と語っている。(※5)オバマ大統領の任期満了を目前とし、選挙戦を控えた米国で、なぜいま新たにチョムスキーなのかという疑問が浮かぶ一方で、本作の記録映画としての形式がどのようなものであるか、興味を惹かれる部分もある。 
 
 トライベッカ映画祭は先月に26日に閉幕した。ドキュメンタリー部門の最優秀賞には、余命およそ三年を宣告されたDJ「Transfatty」の、死を目前にした生活を記録するPatrick O’brien監督の “Transfatty Lives”が選ばれた。

※1 トライベッカ映画祭・概要 https://tribecafilm.com/categories/future-of-film
※2 トライベッカ映画祭のHPより ドキュメンタリー部門https://tribecafilm.com/stories/tribeca-film-festival-2015-world-documentary-competition
※3 Youtube に全編アップロードされている▶https://www.youtube.com/watch?v=goMhOK3Q0Hg
※4
インディーワイヤ誌(4月28日)
「There’s something about trainsin Albert Maysle’s final Projext “In transit”」
http://www.indiewire.com/article/watch-theres-something-about-trains-in-albert-maysles-final-project-in-transit-20150428
※5
インディーワイヤ誌(4月10日)
http://www.indiewire.com/article/meet-the-2015-tribeca-filmmakers-18-peter-hutchison-kelly-nyks-and-jared-p-scott-compose-a-requiem-for-the-american-dream-20150410

井上二郎
上智大学英文科卒業。「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっています(休止中)。ニュース関連の仕事をしながら、文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。


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