今回の記事では、ヴァレリー・ドンゼッリ監督『ノートルダム』について、監督のインタビューを中心に紹介したい。12月18日にフランス本国で公開された『ノートルダム』は、ドンゼッリ監督の長編第6作であり、パリを舞台に繰り広げられるコメディ映画である。

あらすじ 

 ヴォージュ生まれパリ育ちのモード・クレヨン(ヴァレリー・ドンゼッリ)は、建築家であり二児の母である。彼女は、パリ市がノートルダム広場の再開発のために立ち上げたコンクールを勝ち取るが、しかしその企画は全会一致の支持を得るにはほど遠いのだった。この建築プロジェクトと、私生活におけるさまざまな問題との狭間で、モード・クレヨンは激動の日々を送る。[1]

 

なぜパリのノートルダムを舞台にしたのかについて

パリはいつも私を魅了してきました。私が夢見て採用した都市であり、良い面も悪い面も激化させる都市です。パリの美しさを表現することは重要でした。なぜなら私はいつも、美しさを知的自由や知的財産に結びつけていたからです。しかし、残酷さや暴力性、不安を引き起こす性質を隠すことはできませんでした。私にとって2015年は、テロ以後の緊張感だけでなく、ジェントリフィケーションや価格高騰などをともなった、恐怖への転換点でした…[2]

ノートルダムを選んだのは、首都を象徴する宗教建築であり、その広場の改修はきっと論争を生むに違いないと考えたからです。[3]

パリにおいてどんな建築プロジェクトがもっともらしいかと思ったとき、ノートルダム広場の再開発が避けられませんでした。非常に古い宗教建造物であり、この環境への現代的な貢献が論争の対象になりうることを知っていました。そのうえ、この問題は私に追いつきました。今日、尖塔の再建の問題が提起されています。[2]

 

ドンゼッリ監督の過去と、主人公の職業が建築家であることの関係性について

私は自分が女優になることを完全には許していなかったとき、2年間以上のあいだ建築の勉強をしていました。しかしすぐに、私には偉大な建築家になる才能がないことに気がつきました。私は、ジャン・ヌーヴェル(フランスの著名な建築家である。汐留にある電通本社ビルは彼の作品である)になりたかったのです!ヒロインにこの仕事を選ぶことは、自分を守りながら自分について話す、婉曲的な方法でした。映画製作者と建築家のあいだには、明らかな類似点があります。それは、彼/女らの芸術作品は、他者の視線や批評の対象となることです。[2]

建築と映画は、芸術と技術が結びついた仕事です。予算が大きいため、チームを管理する必要があります。プロジェクトを、どんな犠牲を払ってでも実行するという考えです。[1]

作中に登場する専門的な仕事環境におけるセクシズムの問題について

コンクールに勝つ女性建築家はほとんどいません。それは事実なのです。他者のために切り盛りしなければならず、立ち止まる時間がないために、自分自身について考えることのない私の世代の女性たちについて語りたかったのです。こうした理由のため、この映画は、『ノートルダム=聖母』という名前なのです。[2]

 

この映画を書き始めた時期とその意図について

2016年、バタクラン攻撃(パリ同時多発テロ事件のこと)の直後でした。パリは悲哀に暮れており、生きることがますます難しくなってきたことを隠さずに、私の街にオマージュを捧げたいと思ったのです。それに加えて、ノートルダムで何かが起こっているという大きな恐怖を抱いていました。その後、大聖堂への攻撃を試みる計画が70あることを知ったのです![4]

私は、子どもがいて、なんとかやりくりするのも困難で、この街の混沌とした渦の中で生きている、40代のパリジェンヌの話から始めたかったのです。この街の人々はひどく苛立っていて、何をするための時間さえ持っていないのです。大したことはなくとも、多くのことがどんどん困難になっていくなかで、どのように進み続ければよいのでしょうか?それは一つの体験談なのです。[4]

ノートルダムでの撮影は大変だったのか

それどころか、撮影はかなり簡単でした。(撮影料は)希望すれば寄付ができますが、有料ではありませんでした。

唯一の問題は、ノートルダム大聖堂が毎日午後19時から午前7時までしまっていることでした。開いているときには大衆や観光客がいるのです…また、キスシーンの問題が生じました。信者の人々にショックを与えないように、日中は撮影することを拒否されました。そのため、私たちはその撮影を夜に単独で行いました。それは常軌を逸していました。しかし夜間撮影ために太陽に輝くステンドグラスが見えないので、私はこのシーンを夢のような、妄想のようなシーンに仕上げました。ノートルダム広場の屋外シーンは、午前7時に撮影した、私が大聖堂の前に一人でいるシーンも含めて、すべて日中に撮影されました。[4]

実際、この映画に登場するのはもはやパリの全てではありません。2018年11月末に撮影が終わった直後、黄色いベスト運動のデモが始まり、大きな変化が起こり、交通計画が変更され、小型スクーターたちがやってきました…[4]

 

ノートルダム火災について

私はパリにいて、まだ映画の編集をしていました。私は遠くに住んでいて、家から煙の柱が見えましたので、すぐにバイクを走らて見にいきました。(被害状況を)見るのはとても衝撃的でしたが、それはこの映画を作ったからではありません。ノートルダムは、そのようなパリの象徴であり、街は近年とても多くのことを経験してきたため、こうした出来事が起こるのを恐れていました。ノートルダムが次に標的にされる可能性があると思ったので、私はこうした不安をこの企画の執筆と開発に注ぎ込んだのです。最終的に負傷者はほとんどなく、なくなった方もおらず、構造も残っているので、完全な悲劇ではありませんでした。[5]

 

 

[1] https://www.franceculture.fr/emissions/linvitee-des-matins-2eme-partie/valerie-donzelli-reenchante-notre-dame

[2] http://madame.lefigaro.fr/celebrites/valerie-donzelli-je-voulais-mamuser-ne-rien-minterdire-notre-dame-film-091219-178632

[3] https://www.20minutes.fr/arts-stars/cinema/2674867-20191217-dame-hommage-paris-pari-reussi-valerie-donzelli

[4] http://www.leparisien.fr/culture-loisirs/cinema/notre-dame-realise-par-valerie-donzelli-des-images-qui-resteront-uniques-17-12-2019-8218914.php

[5] https://variety.com/2019/film/global/valerie-donzelli-locarno-film-festival-notre-dame-1203295042/

 

 

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


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