今年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映されたアイラ・サックス監督最新作『Frankie』が10月下旬からアメリカで劇場公開されています[*1]。この映画は『Keep the Lights On』『人生は小説よりも奇なり』『Little Men』と、近年自身が暮らすニューヨークを舞台とした作品を作っていたアイラ・サックスが、初めて海外で撮影した作品です。その舞台となるのはポルトガルの南西部にある町シントラで、同都市の複数の宮殿やムーアの城跡を含む景観は世界文化遺産に登録されています。
本作は休暇でその町を訪れたフランキーの愛称で呼ばれる女優フランソワーズ・クレモン(イザベル・ユペール)とその家族・友人の1日(12時間)を描いたものです。主要な登場人物はフランキーを含め9人、彼女の現夫(ブレンダン・グレッソン)、前夫(パスカル・グレゴリー)、息子(ジェレミー・レニエ)、現夫の連れ子である娘(ヴィネット・ロビンソン)とその夫(アリヨン・バカーレ)と子供(セニア・ナニュア)、そして親友(マリサ・トメイ)とその恋人(グレッグ・キニア)。普段はフランス、アメリカ、イギリスで別々に暮らしている彼らがシントラの様々な場所で、観光したりお茶を飲んだり散歩したり泳いだりしながら、主に一対一(2人)で会話をする場面が9つのシークエンスとして組み合わされ、その会話から彼らが現在それぞれに抱えている問題や悩みが、そして、フランキーが末期がんに侵されており、残される家族を憂慮していくつかの画策(自分の息子を親友とくっつけようとするetc.)を図って彼らをここに招集したことが明らかになっていきます[*2]。

サックスは過去3作品でも組んだマウリシオ・ザカリアスとともに『Frankie』の脚本を執筆しました。この作品が製作される発端となったのは『人生は小説よりも奇なり』を観たイザベル・ユペールがサックスにラブコールを送ったことだと言われていますが、彼によれば登場人物のうち4人は当て書きで脚本を執筆したのだそうです。
「マリサ・トメイ、イザベル・ユペール、グレッグ・キニア、ジェレミー・レニエの役は彼らのために書いた。僕は結構当て書きで脚本を書くほうなんだけど結局出演してもらえないこともあって、想定していた俳優全員の出演が実現したのは珍しいことだ。2人(トメイとキニア)は以前に一緒に働いたことがある俳優で、イザベル・ユペールは『人生は小説より奇なり』をすごく気に入ってくれて僕に手紙をくれたんだ。そこから彼女と会話を重ねるようになって、この脚本は彼女を念頭に置いて書いた。素晴らしい俳優陣たちのパフォーマンスが実現できて幸運だったし、それによってこの作品をどう撮影していくかも決まっていった。つまり登場人物たちがひとつの場所から別の場所へ移動するのを見せるために、ほとんどカットを割らなかった。彼らが話しながら移動していくのを見るのは楽しかったよ」[*3]。
また、サックスは本作を構想する上で50年以上前に作られたあるインド映画、そして不治の病で闘病していたひとりの友人に触発されたことを明かしています。
「特にインスパイアを受けたのがサタジット・レイが1962年に作った『カンチェンジュンガ』だね。ヒマラヤ山脈で休暇を過ごす家族を描いた作品なんだけど、一日の中で起きる出来事を扱っていて、家族全員にかかわる中心的なドラマとともに家族のそれぞれのメンバーについて語られる9つの話が描かれるんだ。この映画の登場人物と山々のランドスケープの関係性にはかなり強いインパクトを受けた。この映画について10年もの間考え続けてきたことがインスピレーションになったのは間違いないね」[*4]。
「誰もが何らかの親密な関係性を求めている。僕は人間関係には世代によってヴァリエーションがあると思うんだ。僕たちは異なる年代においてそれぞれ異なる方法で人生で一番大切な事柄を経験していく。この映画にはファーストキスがある。そういう意味では青春映画とも言えるだろう。同時に結婚の危機を描いた映画だとも言えるし、結婚生活の最終ステージを描いた作品とも言える。あるいは誰が自分の人生の伴侶であるかを突き止めようとするひとりの女性について語った映画でもある。僕にとってはそのすべてが刺激的で、映画にダイナミックな性質を与えるものだと思う。ダイナミクスは異なるジャンルの衝突であり、それは悲劇に直面したときに喜劇が立ち上がることによって起きるんだ。この映画は長い間不治の病にかかっていた僕の親友のひとりに触発されて作ったんだ。以前だったら悲しみしか見いだせなかっただろうけど、でも彼女が病気になった過程においても人生におけるあらゆることが起きたと思うんだ。病気以外のすべての問題もまた彼女にとって重要なものだった。だから僕にとってこれは人生についての映画なんだ」[*4]。

この作品でアイラ・サックスは初めて海外で撮影しただけでなく、ミゲル・ゴメスの『私たちの好きな8月』『熱波』などの仕事で知られるルイ・ポサスを撮影監督に起用したのをはじめ、主要スタッフの多くをポルトガル人が占める現場でロケハンと撮影を進めていったといいます。
「ポルトガルには5か月滞在した。あの場所で暮らし、ポルトガル人のクルーたちととても親密な関係を築けたことは素晴らしい経験だった。本当にくつろいだ気持ちになれた。ロケハンというのはかなり本能的なものなんだ。印象派の画家が自然から発見する方法とは別種のものではあるが、かなり似通ったプロセスだったと思う。感情的に反応した何かによって、その場所がその映画のひとつの場面においてふさわしい場所かどうか判断していく。それはただ美学的なものではなく心理的なプロセスだ」[*3]。
またサックスは本作において、オールロケーションによる会話劇をほとんどカットを割らずに撮影するという手法を選択した一方で、ほぼリハーサルなしで撮影に臨んだといいます。
「この映画はばっちり演出されたものだが、僕は撮影前にリハーサルをしないようにしている。俳優に他の俳優が台詞を言うのを事前に聞かせたくないからだ。一度台詞が発話されるのを聞いてしまうと、俳優はその台詞について考え、自分が後戻りできるポイントを見つけようとしてしまう。映画の素晴らしい点のひとつは後戻りのきかない瞬間をとらえることだ。僕はそうした空気をつくりたい。つまり彼らは感情的になることをのぞけば即興的なことはやらない。台詞の97%は脚本どおりだ。今回の場合、俳優たちがどのように動くか、いつフレームから外れるのか、いつ止まるのかという点で、かなり特殊な演出を行った。かなりテクニカルなことで、僕にとっても俳優にとっても大きな挑戦だったがうまくいった。これはエリック・ロメールの手法をもとにしてると言えるだろうね。僕はホン・サンスの大ファンだけれど、彼もロメールに多大な影響を受けている。この関係性について考えたことはあるかい? 僕はあまり彼の映画について考えたことはなかったんだが、イザベル・ユペールが出演している『クレアのカメラ』を彼女と仕事をする前にカンヌで見たんだ。愛すべき映画だし、すごく好きだった。あの映画は何も語らないと同時にあらゆることを語る、そんな驚くべき挑戦をした作品だと思うし、僕が常に行き着きたいと思っている領域に到達した映画だった」[*3]。

主演のイザベル・ユペールは『Frankie』の撮影について「風景が私たちの周りで起こるあらゆることにとっての視覚的な隠喩になっていました。私たちは世界の様々な場所からそこに集っていたので、自然の力とそこから生まれる強度を必要としていたんです」[*5]と語っています。さらに彼女はこのように続けます。「この映画、プロットの中で、私たちは自分自身に忠実でいなければなりませんでした。ただそこにいることが何よりも大事で、時に自分が演じてさえいないような奇妙な感覚をおぼえました。私はそういう状態から様々な感情が生まれるのだと思っています」[*5]。
ユペールのこの発言に呼応するような『Frankie』の批評があります。IndieWireのデヴィッド・エールリヒ氏はこの作品を「とても小さなアクセサリーのような作品」だと表現しています。「それはよく見ないと気づかれないほど控えめな、エレガントなブレスレットのようだ。にもかかわらず身を乗り出して近づいてじっくり見つめれば、それが精巧な美しさを備えていることがわかる。そのブレスレットはイザベル・ユペールによって身に着けられ、まるで第二の肌であるかのように彼女の手首にフィットしている」[*6]。
しかし同氏は「『Frankie』を観ているともっと広大なもっとエキサイティングな映画になりえたかもしれないと想像してみたくなる。穏やかな夏のそよ風に流されて漂流するこの作品は、良くも悪くもここにいる登場人物たちと一緒にまた別の90分(上映時間)を過ごせたかもしれないという感情を残す。このような軽いタッチで語られる映画は時にスクリーンを吹き飛ばし、完全に忘れ去られてしまう恐れもある」」[*6]とも述べています。また別の映画評でも「内に秘められた感情があまりにぼんやりしていてほとんど表出されることがない」[*7]といった批判がある一方で、「最初は家族のダイナミクスと恋愛の不確かさに関するうっすらとした物語のように見えるかもしれないが、観客と共鳴するように忍び寄る事態の推移には繊細な深みがある」[*2]との評価も上がっています。
つまり、登場人物の感情の動きや物語のダイナミクスがあまりに繊細で掴み取り難いために批判もされ評価もされていると言えるでしょう。それはサックスのある狙いによるところが大きいかもしれません。彼はその狙いについて以下のように説明しています。
「この映画におけるマリサ・トメイは観客の代役(スタンドイン)のような存在だ。彼女が物事を明快に理解したとき、我々も明快さに至る。僕はわざと曖昧にはしたくないし、情報が抑制されている事実を観客に意識的に考えてほしくはない。それは自然で本能的な話法だ。映画は抽象的な詩のような側面も持っているが、それはやはり物語から構成されるものだ。(中略)僕は常に多角的なダイアローグを作りたいと思っている。ひとつの目的に単純化すべきではないと思うし、だから俳優ともサブテキストや動機付けについて話さないようにしているんだ。なぜひとつのことに限定する必要がある? より多くのことをやれるのではないだろうか? 僕はそのことをエレイン・メイがジョン・カサヴェテスを起用して作った『マイキー&ニッキー』を見ることで学んだ。あれは本当に素晴らしい映画で、あの映画の俳優たちはまさしく矛盾した存在だ。僕は常にこうかもしれないし、そうかもしれない、その他の可能性も大いにある、という状態にしたい。だから願わくば観客が自分がそこから情報を集めていることを意識しすぎないようなダイアローグを書きたいと思っているんだ」[*3]。

*1
https://www.imdb.com/title/tt8019694/
*2
https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2019-10-24/frankie-review-isabelle-huppert-ira-sachs
*3
https://theplaylist.net/ira-sachs-frankie-interview-20191024/#cb-content
*4
https://thefilmstage.com/features/ira-sachs-on-capturing-the-warmth-of-isabelle-huppert-and-how-satyajit-ray-inspired-frankie/
*5
https://ew.com/movies/2019/10/25/isabelle-huppert-frankie-interview/
*6
https://www.indiewire.com/2019/05/frankie-review-isabelle-huppert-cannes-1202143034/
*7
https://www.nytimes.com/2019/10/23/movies/frankie-review.html

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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