“アジアのアカデミー賞”とも言われる台湾の金馬奨(Golden Horse Awards)の実行委員会は9月19日、今年の金馬奨(11月23日開催)の審査委員長に就任していた香港の映画監督ジョニー・トーが同職を辞退したことを発表しました[*1]。トーの辞退の理由について、実行委員会からの発表では「(トーの映画の出資者である)映画プロダクションとの契約上の問題」とされていますが、ジョニー・トー本人からの声明は発表されておらず、また開催2か月前の突然の辞任ということで、多くのメディアは中国政府の介入がその背景にあるとの見方を示し、同映画賞の授賞式および同時に開催される金馬国際映画祭、さらには台湾映画産業への中国政府の圧力の高まりを懸念する声が上がっています。

今年で56回目の開催となる金馬奨は中華圏を代表する映画賞として知られ、過去の最優秀賞にはエドワード・ヤンの『恐怖分子』『牯嶺街少年殺人事件』、アン・リーの『ウエディング・バンケット』『ラスト、コーション』、チアン・ウェンの『太陽の少年』、ツァイ・ミンリャンの『愛情萬歳』、ホウ・シャオシェンの『黒衣の刺客』など世界的に評価の高い作品が選出されており、昨年は日本でも11月に劇場公開されるフー・ボー監督のデビュー作かつ遺作である『象は静かに座っている』がその栄誉に輝きました。
同映画賞に中国政府が圧力をかける一因となったのは、『象は静かに座っている』が最高賞を受賞した昨年の授賞式だといわれています。『我們的青春(Our Youth in Taiwan)』で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した台湾のフー・ユー監督がその受賞スピーチにおいて、「いつか私たちの国が真の独立した存在としてみなされることを心から願っています。これは台湾人である私の最大の願いです」と発言[*2]。その発言に対して、昨年の同賞の審査委員長を務めていた女優のコン・リーがプレゼンターとしてステージに上がることを拒否したのをはじめ、出席していた中華人民共和国の俳優・監督の多くも遺憾の表明。また中国国家映画局の指示でほとんどの中国映画関係者が式典後のパーティーを欠席しています [*3]。さらに式典の翌日には台湾(中華民国)のツァイ・インウェン(蔡英文)総統がFacebookで「昨日の金馬奨を誇りに思う。台湾がいかに中国と違うのかが浮き彫りになった」と投稿するなど[*2]、映画祭の枠を超えた台湾と中国の政治的な論争に発展し、昨年の時点ですでに次の同映画祭を中国がボイコットするのではないかとの懸念が持ち上がっていました。
そしてやはり、中国政府が7月31日に中国国内47都市から台湾への個人旅行を禁止したのに続き[*4]、8月7日に中国国家映画局はその機関紙である「中国映画報」の公式アカウントにおいて、第56回金馬奨への中国で製作された映画の出品、その関係者の出席を“一時停止(suspend)”することを表明。そのニュースを報じたThe Guardianの記事では、これは来年1月に行われる台湾の総統選挙を見据えた中国政府の牽制であり、「中国本土が政治を利用して文化交流にまで介入していることを示している」との台湾行政院大陸委員会の見解を伝えていました [*5]。

昨年の金馬奨で受賞スピーチをするフー・ユー監督(左)

今回、香港の映画監督であるジョニー・トーが同映画賞の審査委員長を辞退したことについて、Varietyの記事では「香港は中華人民共和国と台湾の争いに直接的に関与はしていないものの、同国における過去3か月の情勢不安によって金馬奨がまた別の摩擦の一因にもなっており、多くの香港スターや香港映画が金馬奨から撤退している」と説明しています[*3]。
また、ジョニー・トーの辞退は「香港の映画製作会社が中国政府からの圧力のもとボイコットに加担した」ためだと断じる香港の英字新聞South China Morning Postは、金馬奨が置かれた現状を識者や映画関係者のコメントとともに詳細に解説しています[*6]。その記事によれば中国のボイコット表明の後、今年の金馬映画祭への長編映画の出品数は148作品にとどまっており、228作品が出品された昨年を下回るだけでなく過去4年に比しても最小になるとのこと。一方で、台北の銘伝大学助教授クリスティーナ・カルヴェリテ氏による「この背後にある中国の目的はイベントの評判を傷つけ、台湾を“罰する”ことでしたが、皮肉なことに現在この決定の代償を払っているのは主に香港と中国の映画製作者です」といった意見や、香港在住の映画コメンテーターであるケヴィン・マ氏の「金馬奨受賞は間違いなくその作品の評価を高めることにつながるため、参加しないことは中国映画産業にとって大きな痛手となります。ボイコットはグローバルマーケティングにおいて注目を集めるために批評家の称賛を必要とする多くの本土(中国)のアートハウス映画を傷つけます」といった見解とともに、今回のボイコットが金馬奨や台湾の映画産業よりもむしろ中国や香港の映画にとって大きな打撃となることも指摘されています。
同記事ではキングス・カレッジ・ロンドンの教授であり、2017年に金馬奨の審査員も務めた映画研究者のキング・ベリー氏によるこの映画賞の歴史についての言説も紹介されています。ベリー氏によれば、1962年に始まった金馬奨は「信頼性と政治的自主性を高め、政府から独立した立場に置くために」、1990年から独立した機関によって管理・運営されるようになったといいます。「政府の管理から離れ民主化されたことによって、主催者は受賞者の発言を管理することが難しくなりました。つまり今回のボイコットは中国政府が言論の場をもはや制御できないという不快感に端を発しているとも考えられます」。
であるとすれば、例年通りに映画賞・映画祭を開催することこそが、金馬奨が政治的圧力に抗うための強力な一手になるともいえるでしょう。

金馬奨の実行委員会はジョニー・トーの審査委員長辞退の報とともに、新たに台湾の映画監督ワン・トン(王童)がその職に就いたことを発表し、当初の予定通り11月7~24日に金馬映画祭を、11月23日に金馬奨の授賞式を行うことを改めて表明しています。まずは10月1日に映画賞のノミネート作品が発表される予定です。

*1
http://www.goldenhorse.org.tw/news/detail/1233
*2
https://www.straitstimes.com/lifestyle/entertainment/china-to-ban-citizens-from-attending-next-years-golden-horse-awards
*3
https://variety.com/2019/film/asia/johnnie-to-quits-taiwan-golden-horse-awards-1203342991/
*4
https://www.cnn.co.jp/travel/35140711.html
*5
https://www.theguardian.com/film/2019/aug/07/china-to-boycott-chinese-oscars-taiwan-golden-horse-awards-taipei
*6
https://www.scmp.com/news/china/society/article/3029759/could-chinese-film-industry-be-biggest-loser-beijings-ban

黒岩幹子
「boidマガジン」(https://magazine.boid-s.com/ )や「東京中日スポーツ」モータースポーツ面の編集に携わりつつ、雑誌「nobody」「映画芸術」などに寄稿させてもらってます。


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