アリス・ウィノクールはフランスの脚本家兼監督である。『Kitchen』(2005)、『Magic Paris』 (2007) 、『Pina Colada』 (2009)と3つの短編を監督した後、『博士と私の危険な関係』(2012)、『ラスト・ボディーガード』(2015)の2作の長編を撮った。2015年には『裸足の季節』の脚本でも注目を浴びている。今作は彼女の3作目の長編として監督と脚本を担当し、前2作に続きトロント国際映画祭で上映された。

フランス人のサラ(エヴァ・グリーン)は、ドイツの宇宙飛行士センターで訓練を積んでいる宇宙飛行士で、宇宙物理学者のトーマ (ラース・アイディンガー)と別居して7歳の娘と二人で暮らしている。「ずっと宇宙飛行士になりたかった」という彼女は、ある時アメリカ人のマイク(マット・ディロン) とロシア人のアントン (アレクセイ・ファティーフ)と共に「プロキシマ」と言われるミッションのクルーに選ばれ、非常に大喜びする。しかしこのミッションに旅立てば、サラは男性的な社会の中でただ一人の女性として、同僚に自分自身の力を証明しなければならないだけでなく、地球に娘を残す母親としての罪悪感とも戦っていかなければならない。(1・3)

 

監督のウィノクールは、長年の宇宙への関心から、映画を実際の宇宙探査の世界に近づけたいという思いがあった。「私は子供のころから宇宙や宇宙探査に魅了されてきました。何年にもわたって宇宙に関する本をたくさん読みました。」

実際にドイツのダルムシュタットにあるESOC ( ESAのミッションを統制、管理する機関)や、ロシアの宇宙飛行士センターであるスターシティー、カザフスタンにあるソユーズの打ち上げを行うバイコヌール宇宙基地でリサーチを行い、特にドイツのケルンにある欧州宇宙飛行士センターでの経験は、映画の細部だけでなく骨格を形作ったともいえる。ウィノクールが実際に宇宙飛行士センターに足を運んだことは、母と娘の関係を描いた映画を作ろうという長く温めていたアイディアと結びついた。「私には9歳の娘がいるから、この関係についてよく理解できる。私はそこ(宇宙飛行士センター)で過ごして、母と娘の関係が人間と地球の関係と似通っているということに気づきました。それは宇宙飛行士と地球、サラとその娘の別れという発想に繋がりました。」(1・2)

「…これは単に私の想像というわけではなく、実際にロシアの宇宙機関でも『へその緒を切り離す』(umbilical separation)という言い方がなされるし、地球を『母なる大地(Mother Earth)』という風に表現することもある。だからそれは、この繋がりを表すメタファーなのです。」(3)

これらの施設は物語の構成にも大きな影響をもたらしたが、実際に撮影も行っている。

「できるだけ現実的なものに近づけたかった。」と彼女は言う。「ケルンの宇宙物理学者のシーンも宇宙飛行士やトレーナーと会って書きました。ある意味ドキュメンタリーみたいな映画です。」(2)

 

これまでにない宇宙映画に

Cineuropaはこれまでの宇宙を題材にした映画と比較して次のように評している。

多くのアメリカの映画は、宇宙飛行士が地平線の彼方へ向かう姿勢を大きく取り上げ、おびただしい特殊効果と共に、壮大な英雄的物語が語られることが多い。一方このヨーロッパ映画は、資金の関係か、はたまたそういったことに対する野心や想像力がないためか、そうした領域にはほとんど踏み込まない。しかし、彼女の前作『博士と私の機関な関係』や『ラスト・ボディーガード』にもみられるような野心と想像力、そして科学的な好奇心により、様々な機関で物理的な障害も乗り越えることにも成功し、ダルムシュタットのESOC やロシアの宇宙飛行士センター、スターシティー、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地で映画を作ることができた。 (1)

このような撮影が可能となったのはウィノクールの「ヨーロッパ映画」を作りたいという思いがESAに認められた結果ではないかとScreenDailyにも評価されている。(2)

「映画の中で語られる宇宙探査は多くがアメリカの機関であるNasaを通して描かれるものです。そして宇宙飛行士は超人のように描かれます。」「宇宙に行く準備段階を実際に見て衝撃的だったのは、宇宙環境に直面する宇宙飛行士ほどもろくて人間的になる人はいないということでした」とウィノクールは語る。(2)

宇宙飛行士の過酷な訓練の過程は多くの映画でめったに触れられることはない。

面白いことに、映画の中で多くの宇宙飛行士が超人のように描かれます。ところが実際に宇宙飛行士になるということは、宇宙にいることで顕在化する人間のもろさを体験するということなのです。 私たちは物理的に地球に住むようにできています。人間は宇宙ではバランス感覚を失い、身長は3~4インチ伸び、細胞は年を取る。宇宙にいるというのは大変なことで、その訓練は大変険しい道のりなのです。映画では宇宙飛行士が宇宙で生活する人へと変化していく様子を表現しました。」

ヨーロッパ映画であることは強調しているが、国際的なキャストと様々な言語による会話を織り交ぜることで、実際の国際的な宇宙探査に忠実であろうともしている。「宇宙探査というのはこんな感じの世界なのです。人間によるコミュニティーであり、その中にはヨーロッパ人、アメリカ人、ロシア人、その他の人々も、宇宙に立ち向かうために皆一緒に生活し、仕事をしているのです。」(2)

 

エヴァ・グリーン演じる新たな女性像

 

「この映画はいくつかの点ではフェミニストの宣言ともいえるが、同時に、監督が人間的なレベルで感じた、宇宙飛行士の並外れたプロフェッショナルな使命感への感嘆や称賛が現に表われている。」と評されるなど、この映画は女性的な視点が多く反映されている。(1)

ウィノクールも「この映画は宇宙探査の物語であり、女性の物語でもある。」と話す。「母親でありながらスーパーヒーローでもあるような女性は映画の中であまり描かれてこなかった。私が思いつく唯一の映画は、主人公の女性が自分の子供に関わる問題に取り組む『エリン・ブロコビッチ』です。」

「実際、女性にとって子供との関わり方が変わってきているとはいえ、それでも結局のところ教育への責任を感じているし、母親であることと仕事上の目標を定めることを同時に行おうとするとき、罪悪感のようなものを感じます。」(2)

ウィノクールにとって女性を中心に据えるということはどのようなことなのだろうか。

「それが私にとって最も重要なことだともいえるかもしれません。私の最初のアイディアは、スーパーヒーローであり、同時に母でもある女性の映画を作ることでした。この二つは、まるでそれらが両立しないものであるかのように、あまり一緒に描かれることはありません。現実の世界では宇宙飛行士にも子供がいることは多いけれど、それがあまり語られないせいで、私たちはそのことを知りません。特に女性はあまりそのことについ話しません。それをいけないことのように思っているから。この社会の中では、子供を持つことで競争に勝てなくなり、弱くなると考えられます。でもそれはキャリアと子供のどちらかを選択しなければならないという社会の構造なのです。この映画では、人は良い母親、そして良い宇宙飛行士にもなれるということを語りたいのです。」(3)

このような女性にエヴァ・グリーンを起用したことについても次のように語っている。

「一般的な母親には見えないようにしたかったので、エヴァを気に入りました。彼女はいわば戦士だからです。このような違和感と優雅さを兼ね備えているのです。彼女が多くのティム・バートンの映画に出演していることも偶然ではないと思います。ある意味ではすでに宇宙の人なのです。彼女はこの映画やトレーニングにとても真剣に取り組んでいました。」(3)

 

≪参考≫

(1)https://www.cineuropa.org/en/newsdetail/377893/

(2)https://www.screendaily.com/features/alice-winocour-talks-proxima-cinema-doesnt-often-show-women-as-both-a-mother-and-a-super-heroine/5142683.article

(3)https://www.cineuropa.org/en/interview/378092/

 

 

小野花菜

文学部2年生です。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。

 

 

 

 


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