カンテミール・バラゴフは、ロシアのコーカサス地方に位置するカバルダ・バルカル共和国出身の若手監督だ。『太陽』(2005)や『モレク神』(1999)で知られるアレクサンドル・ソクーロフの下で3年間学び、2017年、『Closeness』で長編デビューを果たした。当時、カンヌ国際映画祭、ある視点部門で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞して話題となったが、長編第二作となる『Beanpole,』も今年、同部門に出品された。今作は、第二次世界大戦で荒廃した1945年のレニングラード(第二次世界大戦のレニングラード包囲戦で有名)を舞台とし、そこで人生を取り戻そうとする二人の若い女性、イーヤ(Iya)とマーシャ(Masha)を中心に物語が展開する。(1)

ここでは、28歳にして注目を集めるバラゴフ監督のインタビュー記事と、新作『Beanpole』のレビューを紹介したい。

予告編


主人公のイーヤは、ドイツ軍による包囲攻撃を受けた際に前線で戦っており、戦後もPTSDの症状に苦しんでいる。彼女はレニングラードの古びた病院で看護師として働きながら、死人や末期の人々と接するようになるが、その中で突然の発作に襲われやすくなっていく。 彼女の筋肉は硬直し、声はかすれて音にならず、長細い白く滑らかな体は、もはや制御不可能な状態に陥る。こういった彼女の弱さから、イーヤは、タイトルにもなっているように、「Beanpole」(背高のっぽ)というあだ名をつけられている。(2)そんな彼女と一緒にいるのは3歳の少年パスハ(Pashka)だ。二人は、残酷な戦後の環境の中でも愛情に満ちた素晴らしい関係を築いている。しかしある時、小さなアパートで二人が遊んでいると、イーヤは突然発作に襲われ、意図せず自分の体で息子を窒息死させてしまう。(3)

そしてその後、すぐにイーヤの戦友が前線から帰ってくる。これが、彼女の親友のマーシャだ。私たちはここで初めて、マーシャがパスハの本当の母親であったことを知る。彼女は夫の死を招いたドイツ軍への復讐を果たすために戦い続けることを望み、息子をイーヤに託したのだった。マーシャはパスハの死を知ることになるが、彼女は手榴弾による怪我が原因で、自分自身で新しく子を設けることができない。そこでマーシャはイーヤに、自分のために子供を作り、責任を果たすよう要求する。(3)

もしこのストーリーに狂気を感じたとしても、これは心理描写や映画的なディティールを非常に豊かに含んだ物語の始まりに過ぎない。 多くのわき役―病院の院長や軍医、マーシャの求婚者、党員の息子、そして首の損傷により体が麻痺し、殺してくれと頼む負傷兵、それに賛成する妻―も物語の中心人物へと自らのストーリーを展開させていく。(3)

中でも負傷兵のステパン(Stepan)は戦争で生き残った者の中でも特に絶望的な状況で、首から下が麻痺している。そして彼の求める慈悲は、法の下ではだれも叶えることができない。道徳責任に関する新しいルールができても、 3人の息子の内2人がまだ生きていると知っても、どこかで路面電車が自殺者を轢き殺しても、何事もステパンを救うことはできない。しかし彼の苦境は、それがどんなに悲劇的であろうと、お気に入りの看護師を待つことと、単純な比較の対象になってしまうのだ。(2)

『Beanpole』は戦後の過酷な状況を描いた映画だが、ここでVarietyによるインタビュー記事から、監督の言葉を紹介したい。(1)

―映画監督としてアレクサンドル・ソクーロフから受けた影響は?

監督としての技術や姿勢の他に、彼は私の自己意識を高めてくれたし、文芸作品を愛する方法を教えてくれました。私にとってこの二つはお互い関連しているものです。このような意識が作品の糧となるから。

―影響を受けた映画は?

『ポケットの中の握り拳』(マルコ・ベロッキオ)、『わが友イワン・ラプシン』(アレクセイ・ゲルマン)、『戦争と貞操』(ミハイル・カラトーゾフ)、『ロゼッタ』 (ダルデンヌ兄弟)、『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール)、『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ)、『若者のすべて』 (ルキノ・ヴィスコンティ)と、後はマルセル・カルネの全作品。

―なぜ1945年のレニングラードという時と場を選んだのですか

主にインスピレーションを得たのは、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチによる著作 『The Unwomanly Face of War』 でした。この本が私に全く新しい世界を開いてくれました。自分がどれだけ戦争やその中で生きる女性達について無知であったかを気づかせてくれたし、戦後の女性達はいったい何を経験したのだろうか、どこで彼女達の思考や性格に変化があったのだろうか、という新しい疑問ももたらしてくれました。

レニングラードは恐ろしい包囲戦を経験した街で、その後の街の姿はこの映画にとって重要な位置を占めています。私が大事にしているのは、映画の中でその空間や景色を感じられることです。この戦争の名残は今日のレニングラードでも感じることができるものなのです。

―この街を「末期の病人」というような表現で表していますが、映画の中でどのように戦争の影響を描きましたか?

映画の舞台や色彩の中に戦争の余波を感じることができます。でも一番重要なのは、主人公たちの表情です。打ち捨てられて破壊された建物からだけでなく、彼らの顔や瞳が語る戦争の意味を観客に見せることが重要でした。

―近年の紛争の中に映画と共鳴する部分を見出せるでしょうか?

はい、そう信じています。でもそれは一般的に言えばという話で、この物語は微妙に違ったニュアンスを持っています。この映画に芸術作品としての価値をもたらしているのは、特に1940年代を舞台にしているということです。

―前作『 Closeness』は色彩が際立っていましたが、『Beanpole』との共通点はありますか?

これは私の第二作で、まだ自分のスタイルを模索している最中です。配色の役割と重要性は『Closeness』の時とは違うけれど、映画の雰囲気を作るので、ここでもまだ大きな役割を担っています。この映画の配色を一言で表現するなら錆でしょう-人生の錆ついた部分です。

緑色のペンキが禿げたアパートの壁, 病院の窓から溢れる冷めたような白い光、そして600メートルに及ぶその時代の完璧なセットは、バラゴフにとっての『ローマ/Roma』だとIndieWireは評している。(2)

撮影監督のKsenia Sereda は、素晴らしい色彩を持った息をのむようなイメージを作り出す。暖かく黄みがかった照明は、砕けた壁も美しく見せるほど、貧しく汚らしい生活環境を美しく描き出す。そしてSergei Ivanov による、豊かで細部まで作りこまれたプロダクション・デザインは、赤と緑の配色により強い印象を残す。(3)

この作品を、IndieWireとCineuropaは次のように評価している。

キューブリックに匹敵するほどの世界観へのこだわりにもかかわらず、 『Beanpole』にはこの種の映画でよくみられる共産主義の指導者のイメージはたったの一度もでてこない。というのもバラゴフは前作『Closeness』で、ずっと残酷に、今作と似たような悲劇を描いている。彼はレーニンのような空虚な目で、観客たちが登場人物たちの残酷な行為を見下すことを望んでいない。その代わり彼は、物語の文脈よりもその場の状況を重視して、ある一つのメロドラマが人間の強い願望として物語られるまで、いくらか単調ともいえるストーリーを描き続ける。(2)

『Beanpole』は、イーヤやマーシャを単純な型に当てはめることも、また、中絶反対を煽るジェンダー本質主義に逆戻りすることもない。限定はしないものの、特に女性が、生物学的な機能を奪われた後でも人生の目的意識を取り戻すことができるという、その過程を模索している。この映画では、マーシャだけが、失った自分の体の機能を嘆き悲しみ、自分は無意味な存在だと苦しむことになる。しかし、そんな彼女を描いたこの映画自体は、それが正しくないことを証明しようとする。鋼のように固い決意と残酷なまでの誠実さをもって展開される物語は、クリスティアン・ムンジウ監督の『4か月、3週間と2日』を思い起こさせる。(2)

『Closeness』 を見たことのあるものならば、それと似たような巧みな進行であることに気づくだろう。 しかし今作は、倫理的にも情緒的にも信じがたく、不自然であったとしても、どこかもっともらしく感じられてしまうようなシーンの中で関係性が物語られていく。登場人物は、深いトラウマや過酷な状況から、必然的に恐ろしい行動を起こしてしまうような、現実的なキャラクターなのだ。(3)

「人がどう考えるかよりもどう感じるかに興味がある。私にとって映画とは、思考よりもむしろ感情の場だ。」と語る監督。ロシア語の原題 『Dylda』 は、戦後の社会を生き抜いていく女性たちの、ぎこちなさ、醜さ、品のなさを意味する言葉だ。日本でもどこかのタイミングで上映の機会に恵まれればと思う。



マーシャと(Vasilisa Perelygina)とイーヤ (Viktoria Miroshnichenko),

参考文献

(1)https://variety.com/2019/film/festivals/filmmaker-kantemir-balagov-talks-about-his-cannes-un-certain-regard-drama-beanpole-1203216225/

(2)  https://www.indiewire.com/2019/05/beanpole-review-cannes-2019-1202141983/×

(3)https://www.cineuropa.org/en/newsdetail/375442/

<p>小野花菜

早稲田大学一年生。現在文学部に在籍しています。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。


コメントを残す