今年開催された第72回カンヌ国際映画祭で監督賞に輝いたジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ兄弟の『Young Ahmed』は、ベルギーに住むムスリムの少年アーメッドがイスラム原理主義思想に傾倒していく様子が描かれる作品であるが、そんな二人がプロデュースし、今年の2月にフランスにて公開されたマフムード・ベン・マフムード『Fatwa』(2018)もまたイスラム過激派組織を扱った作品である。ダルデンヌ兄弟は2016年のインタビューにおいて、『Fatwa』のシナリオがCNC(フランス国立映画センター)やプロデューサーによって繰り返し拒絶されたことを明らかにしている[1]が、この作品が2018年に行われた第26回カルタゴ映画祭[2]に選出されると、グランプリであるタニト・ドール賞と、主演のAhmed Hafianeが最優秀男優賞を受賞するに至る[3]。本記事では、日本ではあまり知られていないマフムード監督について、そして彼の新作である『Fatwa』について紹介したい。

マフムード・ベン・マフムードについて

 マフムード・ベン・マフムードは、1947年チュニスに生まれた。トルコに起源を持つ一家は1710年、ベイリクの時代にチュニスに移住したという。ベルギーのINSAS(国立視覚芸術高等学院)で映画を学んだあと、マフムードはブリュッセル自由大学で美術史、考古学、ジャーナリズムを学ぶ。マフムードのキャリアは短編映画からスタートしている。1967年に『Escurial』、1970年に『Les Vieux』と『Comic Strip』を制作。それからベルギーの映画監督であるジャン=ジャック・アンドリアン『Le Fils d’Amr est mort』(1975)と、レバノンの映画監督であるBorhane Alaouiéの『Kafr Kassem』(1975)の共同脚本を担当。1982年に、長編第一作である『Traversée』を制作する。

 チュニジアの演出家であるファーデル・ジャイビと共同監督を行なった長編第二作目『Poussière de diamant(Chichkhan)』(1991)は、1992年のカンヌ国際映画祭の監督週間に選出された。この作品は、チュニジアのイタリア人共同体の生活をテーマとしているという。1992年以降はドキュメンタリーを多数制作するようになり、1992年には『Italiani dell’ altra riva』、1996年には『Anastasia de Bizerte』というドキュメンタリー映画を制作する。[4]

 以降、これまで3本の短編映画と、6本の長編映画、7本のドキュメンタリーを制作している。『Fatwa』は6本目の長編フィクション映画である。

『Fatwa』について[5]

 フランスに住むチュニジア人のブラヒムは、オートバイ事故で亡くなった彼の息子マルワンを埋葬するためにチュニスへと向かう。ブラヒムはそこで、マルワンが死の直前までイスラム過激派組織で働いていたことを知る。ブラヒムは息子が過激化していった理由を知るため、また彼を教化した人物を特定するための調査に乗り出すことを決める。その過程でブラヒムは、マルワンが活動家である母親のロブナに反抗するために、急進的なイスラム教徒になったことを知る。少しずつ、マルワンの死の状況を疑うようになる。[4][6]

 Africinéによると、この映画は、ロングショットとクロースアップを巧みにミックスしながら、おそらく観客が感情によって動かされないように、ハイアングルやローアングルでのミディアムショットを挿入しているという。「映画のテーマがすでにあまりにも多くの感情を引き起こしているので、観客を目覚めさせ続けるためになされているのだろうか?それとも、たんに火に油を注ぐのを避けるためだろうか?確かなことはない。しかし、音楽でさえも考え抜かれ、控えめに吟味されている。」[6]

監督インタビュー

 ベルギーの映画サイトであるCinergie.be のインタビューにおいてマフムードは、誰であれ過激派組織の思想へと傾倒していく可能性がありながら、それにもかかわらず、これに対する打開策を発見できていないという現状を語っている。

「私がチュニジアとベルギーで行ったアンケートによると、親たちは過激派のプロパガンダへの傾倒から子どもたちを守る方法について頭を悩ませています。彼らが属する社会的背景にかかわらず、またこの種の逸脱に対処するために子ども達に警告しているかにかかわらず、彼らは打開策を見出していません。」[7]

「今日の若者のうちには、ある狂乱が確かに存在します。どんな若者であれ、それが露出し彼らを脆弱にすると、過激派にとって簡単な獲物になってしまうのです。」「若者に自分のアイデンティティの喪失について罪悪感を抱かせるのはかなり容易なことです。」「説教者たちは、この亀裂のうちにかなり容易に突入するのです。このようにして、予備知識のない。彼らの餌食になっていなかった若者たちを、自分たちの管理下に置くのです。」[7]

「過激主義は、社会的に苦しんでいる人々、悲惨な状況にある人々、不安定な状態にある人々が存在する大衆のあいだで広がり、導入されうると言われています。しかし現実は、そのような人々のあいだだけで起こるわけではありません。なぜなら、豊かな経歴を持つ多くの高等教育修了者を見つけることができるからです。」[7]

 Cinergie.beはマフムードに対して、イスラム教徒であることが容易ではないベルギーにおいて、ムスリムの若者たちがアイデンティティ危機に陥ることは理解できるが、チュニジアでもそうであることを想像するのは難しいのでは、と問いかける。それに対しマフムードはこう答えている。

「この不安は、程度の問題です。若者たちはここ[チュニジア]では排斥されていると感じているので、より容易な獲物なのです。若者たちは、祖父母のものである、彼らが決して知らなかった神話の国という幻想のアイデンティティを追いかけるのです。彼らは自分たちの居場所を見つけられない社会である西洋に対して憤慨するのです。私たちはほぼ、この現象のカリカチュアなのです。しかし、アラブ-イスラム教徒の国々では、この現象は、社会あるいは経済の危機にそれほど晒されてはいない裕福な家庭においてもまた存在するのです。」[7]

 過激派組織は若者たちのアイデンティティ危機に漬け込み、それを利用することによって信者を増やしていくのだと語るマフムード。そのような思想に足を踏み入れてしまう人々は、社会的に虐げられている立場に置かれている人々に限らないのである。マフムードのこうした分析は、イスラム圏あるいは移民問題を抱える国だけではなく、カルト神道と結びついた右派が力をもつ日本においてもまた有効なものであるかもしれない。解決策を見出すことができないという現状において、こうした映画を制作する意義は非常に大きいだろう。

 

[1]http://www.cclj.be/actu/politique-societe/luc-dardenne-dans-analyses-sur-djihadisme-ne-prend-pas-assez-en-compte-facteur-religieux

[2]カルタゴ映画祭とは、1966年からチュニジアのチュニスにおいて行われる国際映画祭である。偶数年の10月〜11月に行われていたが、2014年からはい年開催されるようになった。

[3]https://www.lalibre.be/culture/cinema/le-tanit-d-or-pour-fatwa-de-mahmoud-ben-mahmoud-et-des-freres-dardenne-5be75652cd70e3d2f6a1db26

[4] https://www.imarabe.org/ar/cinema/fatwa

[5] Fatwa(ファトワー)とは、イスラム法の解釈や適応に関して、権威のあるウラマー(イスラム法学者)であるムフティーが発令する見解や意見のことである。

[6] http://www.africine.org/?menu=art&no=14700

[7]https://www.cinergie.be/actualites/rencontre-avec-mahmoud-ben-mahmoud-et-ghalia-benali-pour-la-sortie-de-fatwa

板井 仁 大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


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