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現代において、わたしたちの生活に最も身近なテクノロジーの一つとなったインターネット。現在公開中の『シェフ〜三ツ星フードトラック始めました〜』(2014)では、TwitterやVineなどのSNSが物語と画面演出の双方において重点的に描かれ、話題となりました。
もはやこうしたネットから派生するコミュニケーションを避けては、映画におけるリアリティは追求し難くなりつつあるのかもしれません。本記事ではこのネットにおける人間関係と映画の問題について語った、ロンドンの映像クリエイター、サム・バロンの考察をご紹介します。

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『ソーシャル・ネットワーク』(2010)から『Her/世界にひとつの彼女』(2013)まで、映画におけるオンラインの会話の描写は急速に増えつつある。ここでは、それらを画面上でどのように見せるかについてお教えしよう。(#1)

私たちは日々ネット上でやり取りを行っているにも関わらず、多くの映画はどうにかこの問題を避けようとしている。何しろ、画面越しのコミュニケーションを視覚的に伝える方法を模索するのは大変な作業なのだ。だからわたしが新作『Windscreenwiperman』の撮影に取り掛かる際、これは最大の挑戦になると覚悟していた。この物語の主人公は、ネット上で十代の少年と友情を育む一人の男である。
本作のテーマは ネット上の友情に対する偏見であり、観客にデジタル時代の人間関係について新たな視点を提供するものとなっている。だから何よりも自然な演技とショットの連続性を優先する必要があった。けれど、多くのシーンの特徴でもあるチャット上の会話を通常の映画のように撮ることはできない。なにか、革新的で新たな方法が必要だったのだ。
その方法を探し始めてから、ここ数年の間にいくつかの重要な手法が試みられていることに気が付いた。

imageまず『ソーシャル・ネットワーク』の例を見てみよう。コンピュータを利用したシーンを印象づけるため、監督のデヴィッド・フィンチャーは主要な視覚的手法として一風変わった構成を用いていた。その一例として、キーボードを打つ指の鳥瞰図がある。マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)によるFacebook1.0のコーディングという大仕事を強烈でスリリングなモンタージュに凝縮するために、画面上のテキストを極端なクローズアップで演出したのだった。
またフィンチャーは、主題の対比を際立たせる「現実世界」のシーンを挿入することでシークェンスを効果的に見せ、さらにコンピュータの画面を鮮やかな色温度で飾り立てた。けれど、ネット上での複数人の対話を見せる際にはモンタージュは選ばず、代わりに高速で繰り返し可能なシンプルなカット割りを用いていた。実際、もし会話のログを映すときにいちいち画面とリアクションとをカットしなければならないとしたら、演技は中断されるし登場人物の関係性が分かりにくくなってしまう。

『シャーロック』や『ハウス・オブ・カード』のようなTVドラマの場合、画面上にテキストを表示するスペースを確保するために緻密な計算がなされ、かろうじてデジタルの対話と登場人物の反応が同じショット内に収められている。しかしすばらしいウェブシリーズであるEvery Frame A Painting(#2)が指摘している通り、これには安っぽくなく時代遅れにも見えないような高度な画面づくりが要求される。

image ジェイソン・ライトマンの『ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界(原題:Men, Women & Children)』(2014)では、実際に映画全体を通じて登場人物の上に情報が重ねて表示されている。この方法は特定の人物の行動を描くにはとても有効だが、複数の人物がやり取りする場合にはさほど効果的ではない。

image 最後に『Her/世界にひとつの彼女』を取り上げてみよう。監督のスパイク・ジョーンズはホアキン・フェニックスとスカーレット・ヨハンソン扮する声だけの恋人(コンピュータのOS)にカメラを向けた。実のところ、あの忘れ難いセックスシーンでは画面は完全に暗転されていた。これがデジタルの存在をダイナミックに見せる演出となったのだけれども、私たちの多くは本気でOSとの恋愛に人生を費やしたりはしない。しかし一方で、時間を忘れてメールやソーシャルメディアを通じて他人と話すことは厭わないのだ。この事実こそ私たち製作陣が『Windscreenwiperman』で追及すべきことであったのだが、そのうまい解決策は撮影監督と私が「実際に画面の内側に入り込む」ことにあった。

『Windscreenwiperman』は、主人公が彼をチャットルーレットに案内してくれるサイトに辿り着くところから始まる。ネットサーフィンはご存知のように私たちが日々経験していることだが、『Noah』(#3)というショートフィルムほどその真髄を捉えているものはないだろう(スクリーンショットのみを使い、人間関係が崩壊して行く様を描いている)。私はこのマウスを通じてその人物に会わずとも内面を伺い知ることができるという考え方を気に入っているし、私の作品においても主人公が友達を作るために操るカーソルに視聴者が共感してくれればいいと願っている。そこで一つポイントとなるのが、主人公が少年とスカイプを始めるシーンだ。この4分の長い1シーンの間、常に主人公の視点を片隅に映すことにした。この真の意図は、彼の視線からその複雑な心境を観客に汲み取ってもらおうということなのだが。

コンピュータの画面の中に入るやいなや、これらのテクニックを組み合わせて面白い構造を仕掛けられることが分かった。例えば、あるシーンでは両者のウェブカメラを見せるために分割スクリーンを使った。一方のキャラクターが大声で話している間、もう一方はテキストボックスに返事を打ちこむという具合だ。同一のショットの中で4通りのやり方で情報を提供することによって、観客の視線は忙しなく動き、それぞれが選んだ反応に注目する。

image 映画の大半をコンピュータの内部から撮ると決めたことで、撮影には本物のウェブカメラとiPhoneの使用を余儀無くされた。これらは時折iPadを使っているときのように、俳優の顔を青白く照らした。ARRI Alexa(#4)という立派な機材がありながらもウェブカメラを用いるのは、かなり奇妙な感じがしたものだ。しかし私たちは本物らしさにこだわり、一定の形式を確立してからはそれが正解であったと確信できた。俳優陣もこの方法を気に入ってくれ、私が要求する続けざまの自然なテイクを撮らせてくれた。インターネットの話ではあるが、人間をテクノロジーの方へ引きずりこむという点で多くの人は本作を見るとリチャード・リンクレイター(『6才のボクが、大人になるまで。』)やノア・バームバック(『フランシス・ハ』)の映画が思い浮かぶと言う。

これらの手法は『Windscreenwiperman』においては正解であったが、他の映画となるとまた事情が異なってくる。この先私たちのコミュニケーションがますますオンライン上に移行していく数年の間に、新たな演出に出会えることが楽しみで仕方ない。映画でデジタルの会話を表現するいいアイデアをお持ちなら、是非教えてほしいものである。
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現実の人間関係におけるネットやSNSの功罪が議論される中、バロンは従来にはなかったコミュニケーションの形が映画の可能性をもまた開拓するとしてポジティブな眼差しを向けています。
そもそも映画自体が人間の想像的欲求を体現するメディアとして誕生したことを思い返せば、今日のソーシャル・コミュニケーションによって映画は人間のあり方を描く上で新たな課題に直面したのだと言えるでしょう。

参考:サム・バロン。映像クリエイターとしてロンドンを拠点に活動中。前作の短編フィルムはYouTubeで450万のヒットを誇り、最近ではニコル映画脚本フェローシップを受賞。「Windscreenwiperman」はVimeoにて視聴可能。
http://www.sambaron.com

参照

(#1)http://www.indiewire.com/article/attention-filmmakers-heres-how-to-show-online-conversations-on-film-20150331

(#2)https://www.youtube.com/watch?v=uFfq2zblGXw

(#3)http://www.ropeofsilicon.com/noah-short-film-think-will-love/

(#4)http://www.pronews.jp/news/20140922161517.html

「Windscreenwiperman」
https://vimeo.com/118654779

西山晴菜
WorldNews部門担当。早稲田大学文化構想学部卒。大学では主にフロイト精神分析と映画理論を研究。三度の飯よりカレーが好き。映画・放送業界の片隅で駆け出しの一年生。


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