過去の記事でもお伝えしたように、先日幕を閉じた第72回カンヌ国際映画祭には、アフリカから数多くの映画が出品された。たとえばコンペティション部門にはマリ系フランス人監督であるラジ・リの『Les misérables』(2019)や、セネガル系フランス人監督マティ・ディオプ『Atlantiques』(2019)が選出され、『Atlantiques』は見事グランプリを獲得した。本記事では、今年のカンヌ国際映画祭において、ある視点部門とクィア・パルムに選出されたモロッコの映画監督マリヤム・トゥザニの長編第1作『Adam』(2019)を、監督のインタビューを交えて紹介したい。

『Adam』

マリヤム・トゥザニとは

 マリヤム・トゥザニは、1980年にモロッコ北部の都市タンジェに生まれ、青春時代を過ごす。ロンドンの大学でメディアとジャーナリズムの学位を取得後、書くことへの情熱を抱いた彼女は、母国に戻り、映画のジャーナリストとして働き始める[1]。しかしそのうちに、彼女は映画を通じて自分を表現する必要性を感じるようになる[2]。

 彼女の最初の作品は、2011年に発表した17分の短編映画『Quand ils dorment(寝てるあいだに)』である[3]。この作品は、8歳の少女が祖父の死を見届ける物語であるという。2014年にはモロッコの4人の売春婦に焦点を当てたドキュメンタリー映画『Sous Ma Vieille Peau / Much Loved』を撮影する。

 2015年に発表され、カンヌの監督週間に選出されるもモロッコでは上映禁止になった(彼女の夫でもある)ナビル・アユチの『Much Loved』は、このトゥザニのドキュメンタリー作品がきっかけとなっている。同年、トゥザニは2本目の短編映画である『Aya va à la Plage(アヤは浜辺に行く)』を発表。少女の労働搾取をテーマにしたこの作品は、カサブランカの集合住宅で働く10歳の少女アヤの物語である。また、2017年には、自身が共同脚本を務めたナビル・アユチの『Razzia』で役者も経験している。

マリヤム・トゥザニ

『Adam』について

 カサブランカのメディナを舞台とした『Adam』は、2人の女性が出会う物語である。カサブランカで町の小さなパン屋を切り盛りしているシングルマザーのアブラは、8歳の娘ワルダと2人で暮らしている。あるとき、サミアという若い妊婦がパン屋にやってくる。サミアは、仕事と寝る場所を探すために、このパン屋のドアを叩いたのだった。夫を失った傷を抱えているアブラは、サミアを一度は追い返してしまうのだが、夜遅くに路上で座っている彼女を見つけ、翌朝までという条件付きで部屋に招き入れることを決める。しかしアブラはすぐに、サミアの穏やかな眼差しによって彼女が優しい人物であることを理解する。サミアの滞在は、何度も延長されることになる。[4]

 厳格なイスラームの国であるモロッコでは、婚前交渉が禁止されており、未婚の母とその子どもは社会的な差別に晒される。トゥザニは、こうした性差別的な社会への問題を提起する。

『Adam』制作のきっかけについて

 トゥザニ監督はカンヌ国際映画祭のインタビューにおいて、『Adam』が自身の実体験をもとにして製作された作品であることを語っている。

『Adam』は実生活の出会いから生まれました。私はタンジェで、サミアという登場人物に影響を与えた若い女性と出会いました。妊娠中、一人でタンジェに到着した彼女は、自分の村に戻る前に、誰にも知られることなく出産し、自分の子どもを養子に提供するつもりでした。私の両親は彼女のことをよく知らないまま連れてきて、赤ちゃんが生まれるまで一緒に過ごしました。私は、彼女が最初のころ、自分の子どもを愛することを拒んでいたのを目撃しました。しかし私は、少しずつ、子どもが彼女に強烈な印象を与え、母親の本能を目覚めさせていったのかを目撃しました。彼女がそれを抑圧しようとしているにもかかわらず、です。彼女が赤ん坊を手放しに行った日、彼女は威厳のある体を保とうと務めていました。それは私を混乱させました。私は、この物語を書き、伝えることが急務であると感じました。その物語は、自分の傷や、喪失や否定、悲しみの経験を重ね合わせたものです。[5]

精神性=内面性intérioritéとは

 『Adam』は、大きな出来事が起こるような作品ではなく、静謐で穏やかなタッチで描かれているという。マグレブ版のHuffinton Postにおいて、トゥザニ監督は『Adam』がカンヌのコンペティションに選出されたことの驚きを伝えながら、この映画の大事な要素である、精神性=内面性intérioritéについて語っている。

私は映画がこんなに成功するとは本当に思っていませんでした。私は何かを表現するためにこの映画を書きました。これらの登場人物たちを通じて、社会の一ヴィジョンを共有したいと思っていました。『Adam』は、二人の女性の内面性(精神性)を中心とした、とてもアンティミスム(親密で、内的で、和やかな)な映画です。ここで、行動はそれほど重要ではありません。重要なことは、ふたりの女性と、一人の少女がたどる、精神的な旅なのです。私の唯一の願いは、この映画をできるだけ誠意を込めて語り、私のヴィジョンをうまく伝えることでした。[6]

『Adam』

モロッコの映画界について

 ほとんど日本で紹介されることのないモロッコの映画であるが、トゥザニ監督は、モロッコの映画界についてこう述べている。

私の国の映画は順調に進展していますが、しかし臆病な傾向にあると思います。語るべきことがあるまったく新しい世代の映画製作者がいます。それから、ナビル・アユチのように、周縁にいて、出来事を起こすような映画制作者もいます。彼は楽しませようとするのではなく、ある観点を表現しようとします。モロッコは、映画を作ることが無害であることは滅多にない国だと思います。ですから、もし社会に関わる映画づくりを決心するならば、最後まで信念に従うことが重要です。[5]

 

[1]https://www.huffpostmaghreb.com/2017/10/22/ils-font-le-cinema-mediterraneen-maryam-touzani-du-journalisme-au-cinema_n_18351198.html

[2]http://www.africine.org/?menu=fiche&no=31517

[3] http://www.maghrebdesfilms.fr/quand-ils-dorment.html

[4] https://www.hollywoodreporter.com/review/adam-1212273

[5]https://www.marchedufilm.com/fr/festival/actualites/articles/adam-le-regard-de-maryam-touzani

[6]https://www.huffpostmaghreb.com/entry/maryam-touzani-nous-parle-de-son-premier-long-metrage-adam-selectionne-au-festival-de-cannes-2019_mg_5cb9afc7e4b06605e3edac77

板井 仁 大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。


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