都内で新作『イメージの本』(Le Livre d’image)が公開中のジャン=リュック・ゴダールが、今月11日、スイス・ローザンヌで行われた「国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)アワード」の授賞セレモニーに姿を見せ、司会者の質問に答える形式で、観客の前で短いスピーチを行った。

 88歳のゴダールは、現在ローザンヌからほど近いレマン湖のほとりに自宅兼スタジオを構えて生活しているとされる。去年のカンヌ国際映画祭では、FACETIMEを使った異例の記者会見を行なったが、本人が公的な場に現れて、発言を行うのは近年では稀。「Indiewire」は16日、独占配信と銘打ち、このゴダールのスピーチを撮影した英語字幕付きの映像と記事を掲載した(※1)。その後、 映像は、シネマテーク・スイスのYoutube アカウント(※2)でも公開された。

 シネマテーク・スイスでは、この時期、各国の映画アーカイブ機関関係者が集まり、FIAFの年次会議が開催されていた。FIAFアワードは、映画保存への大きな貢献に対して連盟が毎年贈るもので、過去にはマーティン・スコセッシ(2001)、侯孝賢(2006)、ダルデンヌ兄弟(2016)などに与えられている。昨年の受賞者はアピチャッポン・ウィーラセタクンだった。

 映像の冒頭、FIAFの代表でシネマテークのディレクターも勤めるフレデリック・メール氏が「私は落ち着かず、感情的になっている、みなさんもそうですよね」と観客に呼びかけ、簡単な前置きをすませると、観客が道を開き、客席からゴダールが前方へ歩いてくる。それからメール氏の手に導かれ、ゆっくりと壇上に上がる間、会場からは拍手が鳴り響いた。フィルムの形をしたトロフィーが手渡されたあと、ゴダールはメール氏と向き合って椅子に座る。それから行われたスピーチは10分弱程度のものだったが、示唆とユーモアに富むものだ。キーワードは「アーカイブ」、そして「ストリーミング」。今回公開された『イメージの本』への言及も含まれた。以下、要約して簡単にまとめた。

 冒頭、2人が行った短いやりとりから、メール氏が以前、受賞を快諾してほしいと手紙を送った際、ゴダールはこの賞がアイリス・バリー(Iris Barry)に与えられるべきだ、と応じたということが明らかになる。アイリス・バリー(1885~1969)(※3)は、イングランド出身の批評家・キュレーターで、MOMAの映画部門の初代キュレーターのみならず、第一回カンヌ映画祭の審査員をつとめた。「ニューヨーカー」誌には、数年前、この女性についての「Secret Heroine of the Cinema」と題されたリチャード・ブロディの記事が掲載されている(※4)。この答えは何を意味したのか、との司会者の質問に対して、ゴダールは「当然ではないでしょうか。彼女は映画保存に関する話題で私が知った、初めての女性だった。アンリ・ラングロワについて知るのと同時期に彼女について知ったのだった。以前一度、彼女からの言葉を、自身の映画で引用したことがある」と説明するに留めた。

 『イメージの本』は、ときに音声や映像の色・画角が意図的に加工されているものの、『映画史』と同様、全編が過去の映画の映像で構成される。その意味でもゴダールとアーカイブとを切り離すことはできないが、自身とアーカイブとの関係について問われると、ゴダールは次のごとく明瞭に答えた。「すべてはアーカイブだ」。

 「ある時に私は探していた。私の人生の中で、私が当時知らなかった時期について、つまり1940年から1945年までの間の事柄について。その時期に、すべてが起こった。そして誰もその時期について教えてくれなかった。だから、本を、つまりアーカイブを紐解こうとした。そしてわかった。そう、それらは存在しない。全てはアーカイブなのだ、と」。

 さらに「現在はアーカイブされる。それゆえ過去は、新たに使い、蘇生させることができる。それはフィクションとドキュメンタリーの関係と、ほとんど同様だ」として、アーカイブの意義を肯定した。

 この文脈の中で、ゴダールは自分があるとき見つけた一枚の写真について言及する。その写真は1929年、同じローザンヌ近郊で開かれたFIAFの第一回会議で撮影されたもので、カイエ・デュ・シネマの母体となった「La Revue de Cinema」の創刊者である、ジャン・ジョルジュ・オリオール(Jean George Auriol)が写っていた。写真の中でオリオールの隣に立っていたのがエイゼンシュテインであり、エイゼンシュテインの眼下には、タイプライターが一台置かれていたという。この写真について、ゴダールは「映画の終わり」が映されていたと回顧した。

「タイプライターは、マシンガンのようだった。(略)私にとってそのタイプライターは… 一種の仲間(ami)だった。しかし、敵側との妥協を辞さない仲間だ。それは、映画の象徴であり、テキストを生産する機械だった。(中略)しかし、随分前に思い当たったのだが、その写真は私にとって、サイレント映画とリュミエール兄弟から続く映画の“終わり”を写した写真だったのだ。その意味で、その写真は“アーカイブ”だった。しかし、そのイメージは、闘いの事実を表しているのではなく、戦いの “前”の事実を表すものだったんだ。その闘いには負けたのだったが」。

 この発言は、映画のアーカイブという闘いにおける敗北、つまりは戦時下で失われたフィルム群について言及したものと考えられる。

 最後の話題は「ストリーミング」をめぐる、素朴かつ、ペシミスティックな態度である。ゴダールは「もうひとつの敗北とは、ある意味では、DVDの終わりによって現れるだろう。…つまり、Netflixとか、そういうものによって」とストリーミング産業の隆盛を悲嘆し、人々が映画館に行かなくなることでもたらされる帰結について、改めて危機感を示した。

 また、FIAFなど世界のアーカイブ機関が直面する重大な危機、それは、この状況によって「テキストや、映画のいくつかのカットだけによってではなく、映像と言葉の両方によって、映画の歴史を語ることが、不可能になるということ」だとする。それは「映画そのものが語るということ」が不可能になることだ、と強調した。一方で「映画と言葉の両方によって、映画の歴史を語」っているのが、まさに『イメージの本』でもある。ゴダールはあの言語学者の言葉遣いで、自作に言及する。

「私の今回の映画はまさに映画だけから成っている。それは、語句(parole)や、冗長な言葉づかいで批判を行おうとする、例えばギー・ドゥボールのような作家の作品とは大きく異なる。それでは十分ではないのだ。つまり、英語、フランス語、スペイン語といった特定の言語(language)ではなく、言語総体(langue)は、語句(parole)と対立するものであり… ときに、ここで私が口に出しているのは、私の“語句”(parole)ではありません、私の“声”(voix)ですよ… 」。

 ここで映画監督はにわかに相好を崩し、微妙なユーモアに気づいた数人の観客から小さな笑いが漏れる。「その”声”は、あなたの映画の中で私たちが聞いたあの“声”ですよね」と司会者が応じると、ゴダールは少しばかり嬉しそうな様子を見せてこう付け加える。

「それ以外に方法がないからだ。私は・・・絵画が、音楽が、そして初期のサイレント時代に数少ない映画が到達することのできた、言語(language)が持つ「何か」に近づこうと試みているのだ。その「何か」は、我々が「トーキー」と呼ぶ時代以降に、失われた」。

※1 Indiewire : Jean-Luc Godard Laments Advent of Streaming, Compares it to the End of Silent Film

※2 シネマテーク・スイス Youtube : Jean-Luc Godard receives the 2019 FIAF Award at the Cinémathèque suisse 

※3 Iris Barryについて

※4 New Yorker: Iris Barry: The Secret Heroine of the Cinema

※ また、最近フランスの雑誌「Les Inrocks」など複数のメディアに対して自宅でのインタビューに応じ、先週から今週にかけてその一部はHPで公開された。Entretien excluzif avec Godard à propos du “Livre d’image”

※ なお、ゴダールが言及しているエイゼンシュテインとタイプライターが映る1929年の写真は、ネットでの検索ではとうとう見つけることができなかった。

井上二郎 「映画批評MIRAGE」という雑誌をやっていました(休止中)。文化と政治の関わりについて(おもに自宅で)考察しています。趣味は焚き火。



2 Comments
  1. 興味深い記事をありがとうございました。

    *アイリス・バリー(1985~1969)→ 1885~1969

    • ありがとうございます。大変失礼しました。修正しました。

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