1月の末から2月の初めにかけてオランダで開催されていたロッテルダム国際映画祭。ブライトフューチャーコンペティション部門で賞を獲得したのはアヤ・コレツキー(Aya Koretzky)の『Around the World when you were my age』(原題:A Volta ao Mundo Quando Tinhas 30 Anos)だった。本作は、監督の父ジローが過去に世界を旅した記録を辿る110分間のドキュメンタリー映画である。ポルトガル映画ではあるが、使用されている言語は日本語だ。

映画祭の公式サイトでは次のように紹介されている。(1)

「まず目に留まるのは、角が丸く、すり減ったようなフレームだ。今日のように解像度が高くなく、一昔前の時代が思い起こされる。より素朴だ。 これは監督のアヤが、父ジローと共に時をさかのぼった旅にぴったりである。1970年、30歳の時にアヤの父は横浜を1年間離れ、ソ連、ヨーロッパ、北アフリカ、中東、アメリカ をめぐる世界旅行に出かけた。アヤは古い写真、旅の記録や記憶をたどってその旅を再現した。次第に、旅の中でどのように父という人物が形作られてきたかが、穏やかに庭仕事をする彼を見て想像するよりもはるかに明確になっていく。バルセロナの建築, モロッコの貧困、チュニジアでの混沌、アメリカでの自由、彼が目にした多くのこと、それが彼に感銘を与えて、世界への向き合い方を大きく揺さぶった。」

監督のアヤ・コレツキーは1983日本で生まれ、9歳でポルトガルに移った。そして今はリスボンとパリの間で暮らしている。彼女は何本かのフィクションやドキュメンタリーで共同監督、撮影監督、編集者として経験を積み、2012年には彼女のデビュー作『Yama no Anata (Beyond the Mountains, 2011) 』がロッテルダム国際映画祭で披露された。このデビュー作では、過去の手紙のやり取りや家族写真を通じて、日本からポルトガルへ、地理的、文化的、また感情面や言葉の上で、彼女の経験した移り変わりを掘り下げており、今作でも更なる空間や時間の変移が予期させる。(2)

インタビューの中で彼女は、自身の経験について次のように語っている。(3)

この映画(『Around the World when you were my age』)はあなたの父親の記憶が軸となっていますが、日本からポルトガルへのあなた自身の移住について話しましょう。

私の初めての作品『Anata no Yama』(原文ママ)は、私が日本にいた頃に家族や友達に書いた手紙を通して、自分の移住を回想したものです。 1992年、メールやスカイプが出てくる前でした。ポルトガルにある私たちの家には、はじめは電気も電話も通っていませんでした。 だから私はとても日本との距離を感じましたし、多くの友達を失いました。しかしポルトガルでの私たちの新しい生活は大きな冒険でもありました。屋根のない17世紀の家をリフォームしたのです。

あなたの父親は日本人、母親はベルギー人ですが、なぜポルトガルに落ち着いたのですか?

両親は長く継続して住めて、オーガニックな農場と庭を持てる地域を探していました。でも最終的には原子力発電所のないポルトガルを選びました。

そんな彼女の第二作となった今作についてもいくつかのインタビューを紹介したい。(4)

どのようにこの作品がはじまったのですか?

実家で、父のかつての旅行の日記やスライドでいっぱいの、ある金属製の箱を見つけました。この箱は映画の中にも出てくる箱ですが、映画では地下に埋められています。これは人が場所や土地に深く根付いていて切り離せなくなっていくということの比喩でもあります。私は箱の中身に目を通していくうちに、その映像や言葉が語るストーリーに惹かれていきました。 映画を撮る際には父の35mmのスライドを、一枚ずつ、自分のBolexの16㎜フィルムカメラで撮影しました。 2000枚以上のスライドがあったので、時間のかかる作業でした。 この映画で使われている4:5の四角いフォーマットは、35mmフィルムのスライドの比率をできる限り維持するために使用しました。

その金属製の箱というのは、映画の中に出てくるもう一つの箱、オレンジ色のスーツケースを連想させます。映画の中でそのスーツケースは川を流れ、後からあなたの両親がそれを開けると、子供が這い出して来ます、まるで卵からかえるように!

脚本を書き終わって撮影に入る前に子供ができました。 スーツケースから私の幼い息子が這い出てくるシーンは、旅のイメージを反映させました。父は30歳の時に世界中を旅しました。そして今私は30代になり、子供を持つことによって私も同じように旅をしました。この映画は、私が父のことをより深く知り、同時に私自身を知るために作ったともいえます。

あなたとあなたの父親の視点が織り交ぜてあります。2つの世代、2つの旅 …

古い画像や日記の引用を説明的なものにしたくありませんでした。だからこそ私の息子込みの私自身の人生の視点で映画を撮りました。映画の中で、入れ子構造で私が映る場面が一度あります。父が私をポラロイド写真に撮り、化学現象によって写真の中に私が表れてくる。 カメラを手に持っている私が映ります。

さらに、映画製作と自身の関係についても語っている。(5)

映画のサウンドデザインについて教えてください。

スチール写真に動きを与え、それらを紡ぎ合わせる手段として音響はとても重要です。わたしはミュージシャンとともにオリジナルの音楽を録り、サウンドデザイナーや編集者と共にそれぞれの映像へ何層にも重ねての音をつけていきました。各映像にサウンドスケープを構築することで、イメージを明確にしたかったのです。

何層にも重なる音、音楽、それから映像、口から発せられたり、文字として書かれる文章、あなたの映画の撮り方はマルチリンガルのようです。 あなたはトリリンガルですが、私はあなたもここに関連性を見出しているのではないかと思います。

そうです、そう思います。私たちは様々な言語で様々に自分たちを表現します。私の映画では、異なる要素がお互いに並列的に存在しています。それはまるで、私が知っているすべての言語を一緒に集めて、同時にそれぞれの独自性を尊重しているようでもあります。映画製作の前、私は絵画と写真、それからピアノを学びましたが、これらすべての要素もまた言語のようだと思います。

映画の中では、あなたがポルトガルで育つうちに日本語の流暢さを失うことについて触れていますね。

この映画ははかなさをテーマにしています。全てのことが変化したり消えてしまったりするという現実は、一見すると恐ろしいことですが、とても美しいことでもあります。私は過去と未来についての映画を作りたかった。だから父は年老いて行き、私は言葉を失っていくのです。

失うものもありますが、得るものもありますね。あなたの素敵な息子さんもそうですが。

そのとおりです!自然のサイクルというのはそういうものです。—失い、新しい命が生まれ、それが繰り返されるのです。

ヨーロッパの映画メディアCineuropaには次のように掲載されている。(6)

「彼女の最新作では、この家族の冒険を語るナレーターの視点と共に、監督が一人称から三人称へと急に変わる。にもかかわらず、この映画が父と娘の間に眼には見えない橋を架けているおかげで、声が途中で変わっていることには気づかない。彼女は日本語で書かれた父親のノートを読み上げる語り手としていつも映画の中にいるのだが、父の壮大な旅を画面の上で捉えている。まるで、父のかつての旅に心を通わせ、世界を渡り歩く生まれながらの性分が、魔法のように自分の人生のどこかにも受け継がれていると考えようとしているかのようだ。」

「その土地や、ありとあらゆる人々との出会いがとても魅力的に描き出されている。彼は最初で最後の光景を映し出すのだ。なぜならこの旅人は、これらの特別な場所や人々をもう二度と目にすることはないと気づいているからだ。」

予告編

1:https://iffr.com/en/2019/films/a-volta-ao-mundo-quando-tinhas-30-anos

2~5:https://iffr.com/en/blog/interview-with-aya-koretzky

6:https://cineuropa.org/en/newsdetail/367000/

http://www.crim-productions.com/documentary/a-volta-ao-mundo-quando-tinhas-30-anos/

https://iffr.com/en/persons/aya-koretzky

小野花菜
早稲田大学一年生。現在文学部に在籍しています。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。


コメントを残す