[193]尽きない映画の父親探し


[193]尽きない映画の父親探し

 2015年3月19日、映画の歴史は生誕120年を迎えた。120年前の同日、リュミエール兄弟によって世界初の実写映画『工場の出口』の撮影が行なわれたのだ。これを記念して、現在フランス・パリではグラン・パレを始め多くの映画館や展覧会などで様々なイベントが開催されており、芸術の街ならではの賑わいを見せると同時に、“映画を生んだ国”という誇り高いプライドと確固たる自信が垣間見える。そんな盛り上がりを見せる中、フランスの日刊紙『リベラシオン』に映画生誕120年という事実を根底から覆す興味深い記事が掲載された。「映画の父」として名高いリュミエール兄弟だが、真相は如何なるものか。 「映画120年の歴史、それって本当?」という妙に勘ぐり疑いタイトルに対して、「MERCI DE L’AVOIR POSÉE」=よくぞ聞いてくれた!と言わんばかりの満を持した答えから始まる全文を、以下に引用する。

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 リュミエール兄弟によって1895年3月19日に撮られた映画『工場の出口』は、最初の映画ではない。それは少なくとも4年は遅れを取っている。では、いつどこでどのようにして生まれたのか。その答えは先日3月19日に投稿されたリュミエール美術館のツイートほど単純ではないようだ。“ルイ・リュミエールはリヨンの地からシネマの歴史を作った。” かつて工場が存在し、まさにその映画の撮影現場となった現在のリュミエール美術館は、この記念すべき機会にその歴史的な数秒の映像をリメイク版として提供している。

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とはいえ、これが本当に歴史上“初”なのか?答えはイエスでありノーである。「映像を撮る」という活動は1895年の時点で既に4年目に達していた。マリー=フランス・ブリスランスとジャン=クロード・モランによる2010年出版の『Grammaire du cinéma(原題)』で述べられているように、そもそも映画を構成する静止画の「記録」と「映写」の機能を併せ持つ最新機材《シネマトグラフ》を提案したのは兄弟の父アントワーヌ・リュミエールだった。そのアイデアは決して思いつきではない。アントワーヌはパリを旅行中にトーマス・エジソンの発明品、別の機材によって記録された写真を観る装置《キネトスコープ》に出会った。このことから同書では、公に発表された映画第一作目として1891年の『Dickson Greeting』を挙げている。この作品は帽子を持った男が観客に挨拶するという10秒(2秒のみ現存する)の映像だ。この映像の中の男こそエジソンと共にキネトスコープを生み出したローリー・ジャクソン以外の何者でもない。

 しかし、キネトスコープにも欠点があった。小さな箱の奥底にある次々と切り替わる画像を小さい穴から覗き込むことでしか観られないということだ。これを解決したのがリュミエール兄弟。彼らは同じ空間にいる全員が同じ一つのスクリーンを観ることが出来る現代のスタイル、いわゆる「公共の場での上映」を取り入れた。このような技術的な意味で、3月19日を誕生日とする“シネマトグラフの120年”として広く認知されているのだ。正確に言うと最初の映写を行なったのは3月22日なのだが・・・

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リュミエール美術館は「シネマ」という言葉を、多義性を含んだごくありふれたものとして捉えているが、まだ議論の余地はあるものの、それを「フィルムを創るアート」として定義した場合、我々は既成概念を捨てなければならない。

 事実、1891年以前にも映画アートと思しきある試みが行なわれていた。1888年にフランスの科学者でありエンジニアのルイ・ル・プランスが、初歩的なカメラを用いて『ラウンドヘイ・ガーデン・シーン』を撮影した。イギリス・リーズの庭園内を歩く人々を映した約2秒の映像だ。しかし1890年、ディジョンからパリへ列車で移動中に奇妙な失踪を遂げたため、彼の作品は1930年まで光を浴びることはなかった。

 お楽しみはこれからだ。我々はさらに昔、1878年までさかのぼることができる。この年、英国の写真家エドワード・マイブリッジは馬のギャロップについて、4本の脚が同時に地面を離れる瞬間が存在することを証明しようとしていた。その独自の方法とはコースに沿って12個のカメラを設置し、馬が通過した瞬間にシャッターが切れるというものであり、結果的に12枚の画像をつなぎ合わせた動画を完成させた。これはある種の“ショートフィルム”といっても過言ではないだろう。

 いずれの功業を映画の誕生と定めるにせよ、映画は「現実を捉えるツール」として生まれたことに変わりはない。『工場の出口』を撮ったその夏、リュミエール兄弟は初のフィクション映画を製作した。古いジョークに基づいた45秒のコメディ『L’Arroseur arrosé』(邦題:水をかけられた散水夫)だ。 史上初の女性シネアリストとして、赤子はキャベツから産まれるという伝え話を描いた1896年の映画『La Fée aux choux』(邦題:キャベツ畑の妖精)を撮ったフランス人アリス・ギイが挙げられる。

 前述したブリスランス氏とモラン氏は『Grammaire du cinéma』の中で、パラレル・アクション、切り返し、エリプシスなどの映画的撮影技法はその後わずか17 年の間に進化を遂げたと述べている。1908年、現代映画製作に必要な技術は全て揃った。その後映画がどんな歴史を刻んだかは我々が知るとおりだ。 

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 1908年といえばD・W・グリフィスが監督としてデビューした年だが、この原稿の筆者はその時既に映画の技法は完成されていたと指摘している。グリフィスこそが真の「映画の父」との呼び声が高いほど映画史に残した影響は大きい。しかしもう、誰が父親であろうとどうでもいいではないか。「映画」という偉大な子供は、それを愛した先人たちの偉業の賜物だ。

 

参考、画像元

1) http://www.liberation.fr/culture/2015/03/19/de-quand-date-le-premier-film-de-l-histoire-du-cinema_1223918

2) http://www.amazon.fr/Grammaire-du-cin%C3%A9ma-Jean-Claude-Morin/dp/2847364587

3) http://www.cinetom.fr/archives/2013/11/10/28396385.html

4) http://www.grammaireducinema.com/

 

 

田中めぐみ
World News担当。在学中は演劇に没頭、その後フランスへ。TOHOシネマズで働くも、客室乗務員に転身。雲の上でも接客中も、頭の中は映画のこと。現在は字幕翻訳家を目指し勉強中。永遠のミューズはイザベル・アジャー二。


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