2016年にイギリスで行われた国民投票、その内容は欧州連合離脱の是非を問うものだった。
6月に行われた国民投票の結果では、EU離脱の支持が52%となり、残留支持48%をわずかに上回る結果となった。
キャメロン首相は結果を大きく受け止め、翌月に保守党党首および英国首相職を退任した。

テリーザ・メイ率いる保守党のもとイギリス政府は2017年の3月に宣誓、
“2019年3月29日に欧州連合を離脱する”と新政権は明言した。

今月1月7日にイギリスのChannel 4、同19日にアメリカのHBOで『Brexit: The Uncivil War』が公開された。
ドミニク・カミングスに扮したベネディクト・カンバーバッチが頭頂部を剃り上げた事が話題となっている。
彼は国民投票の結果に影響を与えたとされる”Vote Leave”のキャンペーンマネジャーを務め、
グループが掲げた「コントロールを取り戻そう」のスローガンは離脱票の獲得に大きく貢献したとされている。
『シャーロック』でカンバーバッチとの共演をしたトビー・ヘインズ監督、『ブラック・ミラー』シリーズよりジェイムズ・グラハムが脚本家に起用された。

ジャーナリストのシモン・ジェンキンスによるコラムがガーディアン誌に掲載された。
“VICEやBrexit:The Uncivil War などの誤った歴史映画は、真実にとって新たな脅威だ”
現代の映画監督は「不信の一時的停止」を理解することが必要だとジェンキンスは言及している。
以下にコラムの原文を訳した。

本作の脚本家ジェイムズ・グラハムは”社会の亀裂がどのように生まれたのか確かめたかった”という狙いがあったとBBCのラジオ番組で明言した。
つまりそれは、、、ジャーナリズムではない。

『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』の”脚色”はMosflimやMao’s Chinaをエンドクレジットに載せるべきだったが、
そういう意味では、グラハムは正しい”脚色”をした。しかし『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』や『ザ・クラウン』や
『ゲティ家の身代金』が故意にしたような”脚色”を、ジャーナリズムはしない。
フィルムメーカーは映画を”歴史の一部”として売りつける権利があるというが。それは偉大な湾曲だろう。
そうする理由は、彼らが事実を裏付ける過程に失敗したのではなく、正確な事実が観客動員に繋がらないことを恐れているからだ。
フィルムメーカーは『ゲーム・オブ・スローンズ』版のBrexit映画を作らなければいけない。

グラハムのBrexitサーガは面白い、またカンバーバッチの演技は素晴らしかった。
しかしグラハムが過去に作り上げた素晴らしい演劇”This House”でシーンの裏にあったものとは異なり、
今作の意図は「恐らく国民投票の結果に影響を与えただろう」実際の人物を通して歴史を再認識することだ。

映画のどの場面も事実というより『スピッティング・イメージ』のように思われる。
カンバーバッチはカミングスに似せるのに必死だ、カミングスの婚約者マリー・ウェイクフィールドによると、
夕食を一緒に食べている時にカミングスの物真似をしていたという。カンバーバッチがそこまで正確な描写にこだわるなら、
どうして台本の正確さを検証するに至らないのだろうか?カミングスは「コントロールを取り戻そう」のスローガンを考えたのか?
本当に彼がジョン・ミルズをキャンペーンに呼び寄せたのか?誰も今は分からない。いつか真実を知るときには、間違っているかもしれない。

フィルムメーカーはみんな脚色をするものだ。もちろん一人ぐらい例外がいるかもしれない。
しかしフィクションとは、事実を歴史上の人物に委ねるものだ。
実在の人物の名前、容姿、設定を用いて「これが真実だ。これが起こった。これが過去に起こったことだ」と語らせる。
そうすることで彼ら映画監督たちは「不信の一時的停止」に背を向けている、

https://www.theguardian.com/commentisfree/2019/jan/26/history-vice-uncivil-war-dick-cheney

「不信の一時的停止」とは、イギリスの詩人で批評家のサミュエル・テイラー・コールリッジが『文学評伝』(1817)の第14章で用いた
「不信の自発的停止(willing suspension of disbelief)」という言葉に由来するもので、演劇や小説に描かれたフィクションのなかの「真実」を観客や読者が一時的に受け入れること。
目の前の俳優の振る舞いが本当に起きたことではないにもかかわらず、それを嘘と疑うことなくむしろ真実の出来事のように演技という嘘に没頭するのは、観客が一時的な不信の宙づりを自発的に行なうからだ。

トビー・ヘインズ監督はIndieWire誌のインタビューで、自身が政治オタクでは無いと前置きをした。
インタビュー内容を以下に抜粋する。

「みんなBrexitについてずっと問いかけている『どうやってここまできたのか』『投票した時には予期できなかったところまで、どうやってきたのか』
この映画はその問いに対する答えとなります」
プロデューサーの原案は「ダイナミックに、映像的に面白い、切迫した」物語にするよう指示されていたとヘインズは語った。
「もし僕を雇ったならこの話をできる限り多くの人が理解できるようにします。」彼はプロデューサーにそう言った。
「彼らがBrexitについて問いかけていることをすべて問い直します。そして間違いなく最初のシーンで観客は映画に釘付けになるでしょう。」
「脚本家のジェイムズはデータマイニングについて噛み砕いてメッセージにしたんだ。
まさにカミングスが、選挙のメッセージを噛み砕いて人々が理解できるように、人々が投票できるようにしたように。」

https://www.indiewire.com/2019/01/brexit-benedict-cumberbatch-hbo-movie-1202036612/

前述のジャーナリストからも指摘を受けている”ファクトチェック”についてはインタビュー内で語られていない。
もし誤った事実を元に映画が作られていれば、それはジャーナリズムの崩壊ではないか。

映画におけるジャーナリズムとは、いったいどこへ向かっているのだろうか。
「真か嘘か、分かるまでは嘘だ」というジャーナリズムの基本的な姿勢を改めて見直したい。

伊藤ゆうと
イベ ント部門担当。平成5年生まれ。趣味はバスケ、自転車。(残念ながら閉館した)”藤沢オデヲン座”で「恋愛小説家」を見たのを契機に 以後は貪るように映画を観る。脚本と執筆の勉強中。


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