2019年1月11日から16日にかけて、旧ユーゴスラビアのサラエヴォ出身である映画監督エミール・クストリッツァが主催する第12回クステンドルフ国際映画・音楽祭が開催された。この映画祭は2008年から毎年、セルビアのクステンドルフと呼ばれる映画村で行われている。本記事の前半ではクステンドルフ映画祭について、後半ではクストリッツァが映画祭のインタビューにおいて語った、彼が考える映画界の未来について紹介したい。[1]

クステンドルフとは

 ドイツ語で「クストリッツァの村」を意味するクステンドルフは、セルビア西部の国境付近に位置するモクラゴラ村の、木造の家が立ち並ぶドゥルヴェングラード(木の街を意味する)という地域に作られた人口の村である。映画祭公式Webサイトでは、ドゥルヴェングラードはこう紹介されている。「木でできた街、ドゥルヴェングラードは、祭りのすべての中心地です。そこは、映画が上映され、コンサートが行われ、人々が出会い、友達を作り、恋をし、仕事をし、学び、休み、眠り、食べ、考え、楽しむ場所です。」[2]

 クステンドルフは、クストリッツァがドゥルヴェングラードで行った『ライフ・イズ・ミラクル』(2004)の撮影がきっかけとなって作られた。ドゥルヴェングラードを気に入ったクストリッツァが、この地域を丸ごと買い取ることで作ったのである。クストリッツァはこの場所に、映画学校やレストランなどの施設を建設し、それらには彼が好きなものや人の名前がつけられている。たとえばニコラ・テスラ広場には、スタンリー・キューブリック映画館やガヴリロ・プリンツィプ円形劇場がある。

クステンドルフ国際映画・音楽祭について

 クステンドルフ国際映画・音楽祭は、セルビア政府とクストリッツァによって行われている映画祭であるが、インディペンデント映画を促進することを目指しているという。最高賞には金の卵が授与されるこの映画・音楽祭のコンペティションプログラムでは、旧ユーゴ圏の映画だけではなく、世界中から集められた短編映画が上映される。たとえば今年のコンペティションでは、マケドニアやセルビア、スルプスカ共和国をはじめ、イラン、シリア、ポーランド、トルコ、フィリピンなどから、若手の映画監督の作品が選出され上映された。今年は、最高賞の金の卵にはスイスの映画監督Corina Schwingruber Ilićの『All Inclusive』が、銀の卵にはクロアチアの映画監督Ognjen Petković 、銅の卵にはノルウェーの映画監督Mikkel Storm Glomsteinの『Being more like Bagsy』が選ばれた。過去には、長谷井宏紀が『Godog』(2008)で第二回クステンドルフ映画・音楽祭の金の卵賞を受賞している。

 コンペティション以外にも、現代のトレンド部門や、過去の偉大な映画を紹介するレトロスペクティヴ部門、そして音楽プログラムがあり、若手のアーティストからベテランのアーティストまで幅広い人々と交流ができる映画・音楽祭となっている。レッドカーペットや看板、広告などを一切使わないことによって、「映画や音楽、友情、そして創造的なアイデアやエネルギーの交流をテーマにしている」[2]という。euronewsはこの映画祭について、黒いネクタイやスパンコールではなく、ブーツとセーターを着るのがよいのではないかと報じている。そしてこのような方針は、映画祭の反資本主義的な側面を明らかにしているという。たとえば、最高賞を受賞したCorina Schwingruber Ilićの『All Inclusive』はクルーズ船を舞台とした、大衆娯楽に取り憑かれた現代社会の疎外感を非難する作品であるという。[3]

 また銅の卵賞を受賞したMikkel Storm Glomsteinの『Being more like Bagsy』は、仕事における個人のアイデンティティというテーマが描かれているという。失業中の女性が、廃棄物処理場から仕事の依頼を受け、彼女が再び社会の役に立つと感じるようになる物語であるという。 [3]

 

クストリッツァ監督インタビュー

クストリッツァは本映画祭のスピーチの際に、映画に対するいくつかの懸念を表明した。それは、こんにちの映画に関することであった。

私は、映画が生き続けていく、ということについてポジティヴに考えています。私たちは、どうすれば映画が存続しうるかについて、わからないとしか思えません。というのも、私のように、映画館に固執している人々にとって、映画作品の未来がホームシネマやテレビ、シネコンにあるのだ、と考えることは不安なことですし、私たちはこの種の情熱を失うことになるのか、あるいはそうでなければ市場によって殺されることになるのか、ということを考えることも不安なことだからです。しかしだからこそ、映画祭は重要なのです。映画祭は、映画を上映する古典的な方法の主要な支持者であり続けるでしょう。たとえ映画作家の言語が、作品が他のスクリーンで鑑賞されるという事実と映画館の形式とのあいだで、視覚的にも形式的にも妥協しているように思えたとしても。[4]

またクストリッツァは、彼が映画の厄介な敵であると語る広告Adsと商業映画commercial cinemaとの関係、そしてそれが観客や映画の未来にもたらす影響について語っている。

広告は脅威です。なぜなら時間の知覚perception of timeを奪うからです。もし『Dogman』〔マッテオ・ガローネ監督、2018〕や『Happy as lazzaro』〔アリーチェ・ロルヴァケル監督、2018〕(本映画祭の現代のトレンドプログラムで上映され、ワークショップが行われた)などの素晴らしい映画を見れば、彼らが2つの異なる方法で時間を扱っていることが理解できるでしょう。偉大な監督の表現方法は、実際のところ、自彼らが時空間を扱う方法によって定義されるのです。残念ながら、私はこれらの映画が映画館でどれほど成功するのかはわかりません。こんにち、積極的な広告が創造する観客によって支えられた、世界中の大衆を喜ばせるために考えられた愚かなハリウッド式の物語を持っていない限りは、シネコン用に制作されたあらゆる映画に対抗することができるとは思いません。

商業映画の言語は単純化され、すべての芸術家が観客へと到達するまでの時間は短くなっています。私たちがここで上映したフランス=べルギーの映画『Close Enemies』〔ダヴィド・オールホッフェン、2018〕を観てください。なんと素晴らしい映画でしょう!私はこの映画を観て驚きました!そしてショックを受けたのです。なぜなら私にとって、この素晴らしい映画は大勢の観客に届く可能性が最も高いと思ったのですが、しかし届かなかったのです。これは未来の危険な兆候です。時間が経つにつれて、ますます多くの映画が制作されるようになるでしょうが、残念ながら、ますます多くの素晴らしい映画が発見されなくなっていくでしょう。1985年と1995年に私がカンヌで映画を上映したとき〔それぞれ『パパは、出張中!』と『アンダーグラウンド』である〕、批評家と映画館の双方で好評を博すことができました。しかし、こんにちその両方から受け入れられることは困難です。[4]    

        

それでは、このような未来に対して、何か解決策はあるのだろうか。

私が気づいたことは、私が一番好きな映画を観客に近づけ、芸術的で商業的なものにすることは同時にはできない、ということです。現在、大衆は分断されています。作家と主流の映画作品とは、2つの別々のものなのです。最近チャン・イーモウは私にこう言いました。「私は商業映画を撮り終わりました、これから芸術に戻るつもりだ」と。私が映画制作者として成長したとき、最善のアプローチは、この2つを組み合わせることでした。しかしこんにちでは、それが可能であるとは思いません。人類の歴史や文化の問題は、どのような未来が成り立ちうるかというヴィジョンをどんなに明確にしても、予測することはできないのです。とくに、よい映画に基づいて予測することはできません。支配的なのは、人々が受け入れ、ある意味では期待する映画です。アメリカの社会学者スタークが言った言葉は、私に大きな印象を与えました。それは、このようなことです。イメージの完全性は神の代わりになり、私たちは聖なる三位一体に向かって動いているのではなく、自分自身に向かっているのです。私たちは、イデオロギーの一部、あるいはある種の広告の一部となっているのです。[4]

私たちはテクノロジーの中間におり、このテクノロジーは過去よりもはるかに多くの映画を作る方法を与えてくれます。しかし、私たちが70年代に持っていた運動とイデオロギーがこうした映画には欠けています。そしてそれは、特別な場所であると思うのです。なぜなら、美学と倫理、人類に関する諸問題のための一種のアジールであるからです。[3]

 

参照URL

[1]https://www.filmneweurope.com/news/serbia-news/item/117476-festivals-the-12th-kuestendorf-film-and-music-festival-kicks-off/

[2]http://www.kustendorf-filmandmusicfestival.org/2019/#kakostici

[3]https://fr.euronews.com/2019/01/18/kusturica-fait-son-cinema-a-kustendorf

[4]https://www.cineuropa.org/en/interview/366197/

その他参照URL

https://www.cineaste.com/summer2018/kustendorf-international-film-music-festival-2018/

http://www.xinhuanet.com/english/2019-01/12/c_137739040.htm

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。

 


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