昨年11月、イギリスの絵本作家レイモンド・ブリッグズ原作のアニメ映画が『エセルとアーネスト ふたりの物語』として、2019年秋に日本公開されることが発表された。
 ブリッグズ原作というと、『スノーマン』(1982)や『風が吹くとき』(1986)が有名だろう。しかし今作は彼にとってよりパーソナルな、彼の実の両親を描いた長編アニメとなる。
 製作に約10年を費やしたとされる本作は、2007年に企画がスタートしたが、2012年にはプロデューサーのジョン・コーツが、公開後の2018年には監督のロジャー・メインウッドが亡くなった。ここでは、彼らの野心作である今作の制作過程、イギリスを含めたヨーロッパでの長編アニメ事情、レビュー記事を掲載したい。

作品について

 今作はイギリスの絵本作家レイモンド・ブリッグズの1998年の同名の著作を映画化したもので、 彼の両親が1928年に出会ってから1971年に亡くなるまでの二人の人生を描く。(5)
 本作のプロデューサーのジョン・コーツは、『イエロー・サブマリン』(1968)から『スノーマン』まで、イギリスで多くのアニメを生み出してきた。2007年に企画を立ち上げ、2012年に亡くなる前、カミラ・ディーキンとルース・フィールディングにプロデューサーのバトンを引き継いだ。この二人がこの企画の権利者となり、Lupus Filmsの名で大きなスクリーンでの上映を果たした。この制作会社はこれまでもブリッグズの作品に関わっており、最近のものでは、同じくブリッグズ原作でジョン・コーツが力を注いだ『スノーマンとスノードッグ』がある。(3・4)
 監督は、原作者のブリッグズと長く仕事をし、個人的にも親交のあったロジャー・メインウッドが務めた。彼は昨年の9月に亡くなってしまったが、40年にわたりアニメ制作をつづけ、彼も『スノーマンとスノードッグ (2012)』などブリッグズ原作の映画やテレビアニメを多く手掛けてきた他(4)、数々のTVシリーズや映画でアニメーター、監督、脚本を務めた。『ヘビー・メタル』(1981)や『Stressed Eric』(2008・原題)が代表作である。(2・4)プロデューサーを引き継いだカミラ・ディーキンは言う。 「(監督の)ロジャーは集中力と強い意志を持っていました。 彼の確固たる明確なビジョンがなければこの映画は実現しませんでした。しかし一方でとても思いやりと協調性がある尊敬すべきディレクターでもありました。彼は仲間の仕事を常に尊重し、アニメーション制作の現場で自ら手を汚すことを嫌がらず、絵コンテやデータベースの作成、ウェブサイトのコピーを書くところまですべてを行っていました。」(2)

アニメ市場の変化

 長編アニメを作るにあたり問題となったのは、資金と国際的な市場の変化だ。
プロデューサーのディーキンは言う。「何年もの間、才能や知識を持っている人材を確保することに苦労していました。 私たちが公的な支援を受けていない一方で、フランスやカナダ、ドイツなど、援助を受けている人々と競合することはできませんでした。」
 しかし、イギリスの映画製作への税額控除システムには、実写かアニメかといったような制約はなく、さらにこの減税は、2006年にテレビアニメにも適用されるようになった。(6)本作も公的な援助を受けての制作となったようだ。監督のメインウッドによれば、「ウェールズ政府やFfilm Cymru Wales(ウェールズの映画機関)、英国映画協会(BFI)、BBCは特に多くの資金をこの映画に投入しました。私たちはそれほど資金を持っていなかったので、彼らの助けはとても重要でした。」
 またディーキンは、財源の問題に加え、産業形態の変化、市場の嗜好の転換が問題となったとも言っている。イギリスのプロデューサーやアニメーターがディズニーやピクサー、ドリームワークスのような大きなスタジオと競合するのは難しいという。
「日本にはスタジオジブリ、特に宮崎監督に代表される手書きアニメの根強い文化があります。」とディーキンは言う。 「自分たちの長編アニメ産業を支えようという文化は、フランスやほかのヨーロッパの国々にも、イギリスよりはるかに強く存在しています。」
 メインウッドも各国の文化の差異を指摘する。「アメリカの、特に長編作品では、手書きの映画はほとんど完全に消えてしまったが、日本やヨーロッパでは話が違ってきます」。彼によれば、 『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(2014),』『ブレンダンとケルズの秘密(2009)』『ペルセポリス (2007) 』や『チコとリタ (2010)』といった作品の成功が、手描きアニメに未だ支持者がいることを証明している。(4)

手書きによるアニメ制作

 「全てを手書きで描くことに費やす時間は、削れるものではありません。」メインウッドは語る。「言うまでもなく、このような映画には人物描写やイラストの技術の集結が必要となります。これは漫画的な映画ではなく、才能と愛による努力が必要なのです。なぜなら、テクノロジーはこのような企画では近道をさせてはくれないからです。」(4)
 また、手書きへのこだわりに対して次のようにも述べている。「脳と手には、特別なそこにしかない刺激的なつながりがあります。こういうアニメーションは、独自のやり方で観客とつながることができるのです。」(1)
 100人を超えるアニメーターたちは、1秒につき12枚、つまり映画全体を通して約64,800枚もの絵を制作することになる。 「その他にも絵コンテやレイアウト、手書きの背景があります。」ディーキンは言う。(4)
 製作陣はキャラクターを掴むために、ブリッグズと定期的に話をした。さらにエセルが映画の中で行う動作-お湯を沸かし、帽子を手に振る-を自ら実践し、撮影したものを観て絵を描いた者もいたという。「アニメーターたちが事実上、俳優の代理であることを常に頭に置いておく価値はあるでしょう。彼らがやっているのは、キャラクターに命を吹き込むことです。」ディーキンは言う。(4)
アニメーションはTVPaintといわれるソフトで作成されている。『スノーマン』、『 スノーマンとスノードッグ』、『ファーザー・クリスマス』 など、これまでのブリッグズの映画はすべて紙の上で制作されてきたが、本作はデジタルによって作られる初めての映画となる。
 このソフトは今や「業界のスタンダード」になっているという。監督のメインウッドによれば、アニメーター達はWacom Cintiqといわれるタブレットでそれぞれのキャラクターの動きを、紙と鉛筆ではなくデジタル画面に手書きで描いている。このデジタル化により、アニメーターはそれぞれのシーンで発せられる言葉や母音を各シーンごとに書き留めることができ、それらと絵の動きを合わせることも可能になった。
 キャラクターはデジタルで描かれているが, 背景や舞台の多くは、それぞれの場面に挿入される前に鉛筆とインクで描かれる。「たくさんの手書きの背景を制作しました。」ディーキンは説明する。「これらの絵の質感は紙の上に描くところから始まりました。それらをコンピューターにスキャンすることで、手書きの風合いを保つことができます。そこからデジタルで仕事をすることになります。」
本作には多くの時代と実際に起こった出来事が描かれているため、これらの背景が歴史を蘇らせる。「一つ一つのレンガ、屋根のタイル、庭に咲いている花の細部, 車…とても細部まで緻密に描かれています。」ディーキンは言う。(3)

実の両親の物語

 原作者のブリッグズは、この映画の製作総指揮としてクレジットされている。メインウッドによれば、この企画を実現させるにあたり、「しばらくレイモンド・ブリッグズの後を追うことになった」と言う。「彼はこの映画のことをとても不安に思っていました。彼のもっともパーソナルな作品の一つだったからです。」(1)
 結果、ブリッグズは脚本、アニメーション制作、レコーディングなど、この映画の制作に深くかかわることとなった。
 ブリッグズと共に脚本を制作したメインウッドは語る。
「私たちはレイモンドを、まず挿絵画家と考え、実際は選び抜かれた適格な言葉を使う、とても合理的で優れた脚本家であることを忘れがちです。私は早い段階で彼が正確な単語やフレーズを好むことを知りました。とても勉強になりました。」
 ブリッグズはアニメーションの制作にも関わった。アーネストがどのように動き、二人がどのように年重ねていったのか、また別の観点で、どのように映画に色をつけていくか、といった映画に必要不可欠な細部を、アニメーターがより深く理解するためだ。「レイモンドが深く関わり、協力的だったのはとても良かったと思っています」 メインウッドは言う。「我々がここで行っているすべてのことにおいて、彼の存在はとても励みになりました。」(4)
 レコーディングにも立ち会った。エセルとアーネストの声を担当したのは、イギリス出身の俳優ジム・ブロードベントとブレンダ・ブレッシンだ。(2)「彼は部屋の中に両親が戻ってきたようだと言っていました。」 ディーキンはその時のブリッグズが涙を流していたと振り返る。「それは非常に感動的な瞬間でした。」(4)
「私たちは彼の両親を描いているのです。」同じくプロデューサーのルース・フィールディングも言う。「私たちが彼らを蘇らせたようです。」(3)
 ディーキンによれば、彼がイギリスの大衆に慕われているのは、彼の作品の寛大さやノスタルジーだという。「彼の作品には普遍的なものがありますが、しかし同時に、ほっとさせるような古さもあります。」彼女はいう。 「『エセルとアーネスト ふたりの物語』は様々な意味で、平凡な家族の視点で描かれる20世紀の歴史だ」。(4)ハリウッド・リポーターも次のように評価している。

 

この映画の一番良いところは、ヒトラーの台頭から第二次世界大戦中のロンドン大空襲、戦後に国民保険と社会保障制度が設立されるまで、その歴史と、それが一般の人々の生活をどのように形作ってきたかを、自然に物語に取り入れていることだ。(5)

 描かれるのは平凡な夫婦だが、同時に、戦争の時代を生きた二人の物語でもある。ハリウッド・リポーター、ガーディアン、フォーブスなど、今作と、彼の著作であり映画化もされた『風が吹くとき』との類似点を挙げているレビューサイトも少なくない。こちらは核ミサイルが投下され、シェルターで避難生活を送る老夫婦を描く作品だが、この老夫婦のモデルはブリッグズの両親、エセルとアーネストだと、ブリッグズ自身も認めている。(5)
 ディーキンは言う。「イギリスはよいアニメを作ると認識されている。この映画により、素晴らしいアニメーターたちと、国民から愛されるイギリス人作家による美しい本が出会えたことは素晴らしいことだ。」(4)

 海外版の公式サイトでは、脚本、絵コンテから背景をつけてアニメが完成するまでの過程を知ることができるほか、製作者らのインタビュー動画、さらに製作に関わる資料が公開されている。(http://www.ethelandernestthemovie.com/videos

(1)https://guestlist.net/article/90738/ethel-ernest-s-director-interview-a-chat-with-roger-mainwood
(2)https://www.awn.com/news/ethel-ernest-director-roger-mainwood-dies-65
(3)https://www.radiotimes.com/news/2016-12-28/behind-the-scenes-of-ethel-ernest/
(4)https://www.bfi.org.uk/news-opinion/news-bfi/interviews/ethel-ernest-raymond-briggs-animated
(5)https://www.hollywoodreporter.com/review/ethel-ernest-review-938090
(6)file:///C:/Users/sflow/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/YRVW9LXQ/WP17-11Kimura.pdf

その他参考

https://www.theguardian.com/film/2016/oct/27/ethel-ernest-review-moving-adaptation-of-raymond-briggss-graphic-novel
https://www.theguardian.com/books/2016/dec/24/raymond-briggs-interview-the-snowman-ethel-and-ernest

小野花菜 早稲田大学一年生。現在文学部に在籍しています。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。


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