こんにちはIndieTokyoの三浦翔です。今回は、僕が編集をさせてもらっている映画雑誌NOBODYのお知らせをさせてください。

現在、NOBODYではクラウドファンディングを実施中です。いまや18年もの歴史を持つ雑誌ですが、次号出版のための制作資金が足らずにクラウドファンディングで支援を募らさせてもらうことになりました。熱い映画ファンの方々からのご支援のおかげで、短い期間であるにも関わらず既に目標金額を超える支援が集まっております。応援くださった方々、本当にありがとうございます!

プロジェクトはまだまだ続きます。継続した刊行と新たな読者へ雑誌を拡げていくために、引き続き応援を募りたくブログを書かせてもらいます!!クラウドファンディングの詳細は下のリンクからご確認ください。

https://motion-gallery.net/projects/nobodymag

 

~最新号について~

今回は少しだけですが、現在編集が進行中の最新号の見どころについて書かさせてください。

今号は濱口竜介監督『寝ても覚めても』(2018)三宅唱監督『きみの鳥はうたえる』(2018)を大特集するのですが、それは単にそれぞれの新作について考えることには留まらない大きな日本映画の変化を考えることになると思い、この大特集を「日本映画の現代」(仮)と呼びながら編集作業を進めています。

日本映画の大きな変化とはどういうことでしょうか。それは両監督の同時商業長編デビューという出来事が、様々な流れが渦巻く可能性の中心であるということ、つまり他の監督たちとの共鳴や、これから映画を作っていくであろう方たちの思考に引き継がれたり、重なったり、あるいは映画の見方そのものさえも変えていくような可能性のあるものだと思っています。

一から映画の方法を作り直すこと

例えば、今号でインタビューさせて頂いた三浦哲哉さんが『『ハッピーアワー』論』(2018)の中でとても興味深いことを語っています。それは、震災という崩壊の経験に伴ってあらゆる伝統に依存することが疑問視され、一から映像の作り方、保存の仕方が吟味されること。濱口監督のワークショップから映画を作る試みは、そうした時代の必要性を感じた試みだったのではないかということでした。そういった問題意識から書かれている『『ハッピーアワー』論』は単なる作品論に留まらずに、映画を語る方法も同時に吟味しながら更新していると感じ、三浦さんに詳しくお話を聞かせていただきました。とても読み応えのあるインタビューになったと思います。

そうした映画作りを一から吟味する映画の在り方は、今号で取り上げる『きみの鳥はうたえる』や『ゾンからのメッセージ』(2018)とも通じる部分を持っていると思います(実際に三浦さんは濱口さんの作品とともに、鈴木卓爾監督『ジョギング渡り鳥』(2015)や三宅唱監督『Playback』(2012)と『THE COCKPIT』(2014)をあげています)。

何故それが重要なのか。それは僕の観点で言うと、デジタル技術を存分に使いこなすことで生まれてきた、フィルム時代のナラティヴから大きく変容した新しい映画なのだと言うことが出来ると思います。あるいは、いま集まっている『寝ても覚めても』と『きみの鳥はうたえる』の論考は、不思議と登場人物について語っているものが多いことが印象的です。それは一から映画作りを吟味し直してきたことによって、俳優の新たな可能性を再発見していることが前提にあるからだと思います。

個人的な感覚の話になりますが、僕が大学に入って東京で映画を見始めた2012年頃から見ていた日本映画には、ある種の失語症のような感覚、つまりあまりにも大きな世界の変化に映画の中の登場人物は何もすることが出来ないという不可能性の空気に包まれていたという感覚を当時は抱いていました。ですが、そこからいくらか時間が経ち、一から映画作りを立て直す作業を積み重ねてきた結果、日本の映画はナラティブを取り戻し新たな時代の物語感情を語ることは出来るのではないかという感覚を、今号の編集をしながら感じています。その可能性はこれから更に考えていきたいものでもあります。それは震災だけでなく、国際情勢の変化とオリンピックに向けて急速に変わっていく日本の状況や価値観の変化と切り離せない複雑な変化でもあるでしょう。技術的な面からも、社会的な面からも、日本映画はいま大きく前に進むことを求められているのだということをひしひしと感じます。

こうした問題意識をはじめとして、映画を語る言葉も新しく更新しなければならない。そのような責任を感じながら、複数の論考と書き手によって両作品を様々な角度から論じたり、それに重なっていくような映画や問題を取り上げたりと大特集を組むことにしました。

NOBODYがこれまでに取材してきた人たち(一部)

〜NOBODYのこれまでとこれから〜

そもそも紙の映画雑誌、そして映画批評とは今どのような可能性を持っているのでしょうか。NOBODYの特徴は骨太の批評や論考もそうですが、積極的にインタビューを取ってきたということがあります。まずは話を聞いてみる。そうしたインタビューや作品を通して映画の言葉を作っていくことは、数ある「批評」のあり方の中でも、映画批評が豊かに築いてきた伝統だと思っています。それは長い目で見て残っていく貴重なものでもあり、作家と読者とともに前に進んでいく紙の雑誌ならではの共同性だったはずです。いま、それをどのように続けていくか。今回のクラウドファンディングで、特典として放出するアーカイブを見つめ直しながら新たな可能性を探りたいとも考えています。

今回クラウドファンディングに踏み切った理由には、昨今の出版環境の変化によって見え辛くなってしまった映画批評と読者の関係を考え直す機会にしたい気持ちも僕にはありました。いざはじめてみると、18年の軌跡の中でたくさんの方々に強く支えられていることを再確認させて頂くことができて、とても感動しています。とはいえ一方で僕のような若い世代や、もっと下の世代でNOBODYを知らない方にも、もっと知ってもらいたい気持ちがあり、今回のクラウドファンディングが新たな出会いの機会になって欲しいと考えています。またそのためにも、これからイベントの開催など、紙の雑誌を活性化させる様々な挑戦を行いたいと考えています。

随分大きな話をしてしまいました。ただ、いま起きようとしていることは、本当に凄い変化なんだと自信を持って感じますし、それになんとか答えようと雑誌自体も新しく前に進みたい気持ちです。今まで述べてきた問題は今号で語り尽くせるようなものではないでしょう。実は関連する問題意識のなかで、今号では漏れてしまった企画がいくつもあります。それらを含めて今後、継続した雑誌刊行の中で発展させていきたいと思っています。

〜最後に〜

長くなってしまいましたが、ひとまず今号の問題意識とクラウドファンディングについてお話をさせてもらいました。では具体的にどうなのか。それは引き続き紹介もしていきますが、ぜひ紙面を確認してもらいたいです。暗いことばかりが続く日本の中で、映画というもはやメジャーではなくなった営みを積極的に支えていきたい。まだまだ継続した刊行と新たな読者に雑誌を拡げていくために、27日の終了まで短い期間ではありますが応援をお願いします!!

文・三浦翔

・NOBODY公式サイト

https://www.nobodymag.com

・クラウドファンディングページ

https://motion-gallery.net/projects/nobodymag

三浦翔 横浜国立大学人間文化課程卒、東京大学大学院在籍、映画雑誌NOBODY編集委員、映画監督、舞台制作など。PFF2016に監督作『人間のために』(2016)が入選、上映会「世界に杭を打つvol.1」(2017)参加など。研究テーマは映画における物語論と受け手(観客)について。映画や映像を身体と切り離されたテクストとして扱わず、演劇やパフォーマンスのように劇場や空間におけるコミュニケーションの問題として考えることに興味があります。