第70回ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)を受賞したホン・サンス監督作品『逃げた女』が、6月11日からヒューマントラストシネマ有楽町、シネマカリテ、アップリンク吉祥寺などを皮切りに全国で公開される。その公開に先立って、このブログでは本作品を紹介していく。

コーヒーを片手に何気ない気持ちで映画を見始めた。この映画は、主人公のガミが女友だちを訪ね、話をする。以上。しかしただそれだけで映画が成立してしまうことに驚いた。

彼らの織りなす、”何気ない”会話から彼らの関係性を想像する。それぞれの女友だちの家や生活の場を訪れ、ひと時を過ごすガミと一緒に、彼らの人生の一片をのぞいているようだった。それはまるでミステリー小説を読んでいるかのよう、とも表現できるかもしれない。なぜなら、私たちに与えられている情報は、彼らの会話と、見えている生活風景だけだ。他に何も説明はない。

そして一見”とりとめのない”会話からは、実は楽しさよりも微妙な緊張感が見て取れる。彼らの会話の中には含みがあり、その言葉の裏に登場人物それぞれの真意や葛藤、違和感がある。そこが実に面白いところであり、ホン・サンス監督の手腕に唸ってしまう。

私たち観客も感じるであろう、「夫と一度も離れたことがない」「愛する人とは一緒にいるべき。」と執拗に繰り返す主人公ガミへの違和感に対して、それぞれの女たちが意図的か、無意識かはわからないが、彼らなりに応える言葉たちにハッとさせられる。
そして本人も、次第にその形のわからない違和感に気がついていく。本当は気付きたくないけれども、気付かざるをえなかった、もしくは気がついていたけど見ないようにしていたものに向き合わざる得なくなった、のかもしれない。最後のシーンは、そんな行き場のない彼女が咄嗟にとった行動に思えてならない。

彼女は何から”逃げた”のか?この謎解きをするのが本作の醍醐味であり、それこそがホン・サンス監督の意図したことかもしれない。

映画を見終えた後、私たちそれぞれの『逃げた女』という物語が頭の中で完成しているのではないだろうか。

さらに個人的に付け加えたい点がある。
登場人物たちの現実に根ざしたとりとめのない会話から、私たち観客が私たち自身の物語について振り返ることができるところだ。
つまり、ホン・サンス監督のつくる会話劇は、人生についての普遍的な何かに気付かせてくれる、思い出させてくれると思うのだ。
例えば本作では、2番目に登場するピラティス講師兼、劇作家のスヨン以外は友人や恋人、夫と共同生活をしている。その経験をしている彼らの何気ない会話から、人と共に生きることはどういうことか?が私の頭をよぎった。また、偶然にもパンデミックで人に気軽に会えなくなった今、自分の生活圏を出、新しい景色や人に会い、話をすることの素晴らしさや重要性にも気づかされた。

私たちの人生のように、すぐに大きな出来事は訪れない。
しかし見終えた後、それぞれが見つけた解釈を答え合せしたくなるような、不思議な映画だ。
ぜひ、誰かを誘って映画館で観て欲しいなと思う。

■公開情報
『逃げた女』
6月11日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
監督・脚本・編集・音楽:ホン・サンス
出演:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、ソン・ソンミ、キム・セビョク、イ・ユンミ、クォン・ヘヒョ、シン・ソクホ、ハ・ソングク
配給:ミモザフィルムズ
2020年/韓国/韓国語/77分/カラー/ビスタ/5.1ch/英題:The Woman Who Ran/字幕:根本理恵
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予告編
公式サイト

永山桃
来世はアニエス・ヴァルダになりたい24才です。お蕎麦屋さんでおつまみを食べること、ワイン巡りにはまっています。猫好きでしたが今は愛犬の虜!