グザヴィエ・ドラン監督の新作『Mommy/マミー』が本日、新宿武蔵野館ほか全国ロードショーとなりました。本日は、ドラン監督が本作で語ったインタビューを翻訳してご紹介します。

グザヴィエ・ドランについては先日のIndieTokyo World News[178]をご覧ください。
World News[178]http://indietokyo.com/?p=808

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インスピレーションについて

インタビュアー(以下I):撮影監督アンドレ・ターピン氏と仕事できるなんて、本当に幸運ですね。

ドラン(以下D):彼と仕事できたのも、彼を見つけられたのも、本当にラッキーだった。光栄だよ!

I:『Mommy』では監督も脚本もしていますね。本作のストーリーはイメージから生まれたのでしょうか。それとも音楽から?

D:確かに音楽はインスピレーションで、たいてい脚本やストーリーの前に湧いてくる。曲を聞くとイメージや、シーンや瞬間が見えてくる。そしてそんな時に大体僕は脚本を書き始めるんだ。僕にはルーティンがないから、『ああ、今日は脚本書かなきゃ!』なんて朝起き上がることはない。アイデアがあるとき、音楽によってアイデアを得たとき、脚本を書いているよ。
 一度脚本を書き上げてしまったら、写真や絵画、書籍、雑誌でイメージ研究して準備に取りかかる。力強いイメージはどこにでもある。僕の映画撮影の準備はほとんどがこのやり方。“ルック・ブック ”を作るんだ。そうやって集めた写真や画像を全部コピーセンターに持って行って、印刷するんだけど、コピーセンターにとっては僕は史上最悪の悪夢だと思うよ!(笑)マークや付箋が沢山ついた本を、スーツケースいっぱいにして持っていくからね。役に立つかどうかなんて分からないけれど、確実に僕の今のインスピレーションになっているものだから。それから印刷した画像を、今度はカテゴリ分けする。登場人物用、ロケーション用、衣装用…といった風に。この作業がまた楽しくて、大好きなんだ。映画に関わる人たち全員にコピーを渡しているから、全部で20冊くらい作るかな。アンドレにも、デザイナーにも、俳優たち…僕が映画で目指しているアイデアを皆に共有できるんだ。

I:35mmネガで撮影する理由は?

D: これからも絶対に、デジタルで撮影することはないよ。僕の初めての作品はデジタルで撮ったんだけど、今は見たくもない。もちろんデジタルで撮影された美しい映画もたくさんあるよ。僕にはたまたま悪い経験があって、デジタル撮影だと映画のように見えないから、興味がないだけ。デジタルには感情がないように感じてしまうね。ロボットみたいでと冷たく、フラット。それが上手くはたらく場合も沢山あるんだろうけど、僕は興味ないね。
 フィルムはこれからも存在するかもしれないけど、高価で法外な価格になって撮影ができなくなるまで、状況はもっともっと複雑になるだろうね。もしそうなったら、活力も、命も、驚きも、有機的で神秘的な面すべてを奪われたように感じてしまう。ひどく惜しまれるよ。フィルムがなくならないことを祈っているけど、残念ながら…確実にそうなるだろうね。
 いつかフィルム撮影ができなくなっても、僕は映画を撮り続けるよ。僕には物語を語る必要があるし、それが僕の情熱と人生だから、映画をやめることはない。だけど、僕のアーティストとしての一部は死ぬだろうね。フィルムがなくなれば信念ほとんどない映画を撮りかねない。

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キャラクターに焦点をあてる
I:夜、何度もアンドレの家に行っていたそうですが。

D:うん。彼の台所のカウンターで、シーンとスケジュールを確認しながら、僕たちのやりたい語り口について話し合っていたよ。『Mommy』はダイアン、スティーブ、カイラというキャラクターついての映画。キャラクターに集中したかったし、僕たちのやりたいことを我慢したくなかった。だから、レンズの選び方ひとつとっても、動く/動かないといった選択ひとつにしても、すべて話し合ったよ。「これで合ってる?間違ってる?」って。
 アンドレはこの世界で大好きな人間の一人。僕が本当に彼に感謝しているのは、『Mommy』はキャラクターに集中する作品だということを、理解してくれたこと。何よりアンドレが偉大なのは、僕がオフのとき、僕が間違っているとき、僕のアイデアが脇道に逸れたとき、彼は僕をすぐに正しい位置に戻してくれたことだ。「ドラン、正気か?1998年の学生向け映画だったらありうるけど、俺たちはもう皆『メメント』観てしまっているんだぞ?これじゃダメだ」という風にね。彼がオフのときは逆に、僕が「いや、そうじゃないよ」と言っていた。僕たちは完全にお互いを補完しあっていたね。

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1:1画角について

I:ユニークな1:1画角を提案したのも、アンドレらしいですね。1:1画角は、キャラクターにフォーカスを当てるのに有効だった?

D:そうだね、1:1には右も左も妨げがないから。1.85:1で多くの映画を撮影してきたんだけど、ちょっと飽きてきていたんだ。1:1は本当にシンプルで、アイデアが本当にキャラクターに集中することができた。

I:ショットのセットアップについて話していただけますか?

D:肖像画は、常に1:1でうまく機能するんだ。20世紀初期の肖像画に使われた、古い6×6写真みたいに、人物のクローズアップに効果的なんだ。極端なワイドショットか、1:1のクローズアップが僕は好きなんだけど、僕はミディアムショットが苦手。 全画面ショットとか、平凡な半ワイドショットのように、1:1を矮小化したんだ。ミディアムショットの考え方を変えて、クローズアップがワイドショットで撮影したよ。『Mommy』には窓が数多く出てくるんだけど、正方形の中に長方形を切り取るからなかなか素敵なものになった。フレームをフレーミングしているみたいで、面白かったよ。

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疑い

I:カンヌで審査員賞を受賞した際、若い人たちにそれを捧げ.る、と言っていましたね。監督を志す若い映画制作者に、アドバイスをいただけますか。
D:難しい質問だね。僕にはただひとつの道筋があっただけだから。最初に『マイ・マザー』の脚本を書いたとき、僕はとても孤独だったよ。誰もそれをプロデュースしたがらなかった。だけど、僕には幸い、子役時代に稼いだお金があった。お金がなかったらどうしていたのか、僕にも分からない。僕の友人たちのほとんどはやたら自信満々で、「そんなにやる気があるんだから、絶対うまくいくよ」なんて言っていたね。どうやって?何のお金で?どのカメラで?その後、僕はバッド・トリッピングを始めてしまうから…このことに関してあまり多くのことを考えることはできないよ。
 僕はまだ若すぎるし、アドバイスする権利なんてないと思う。ただ、僕が学んだことの一つとして言えるのは、このビジネスでは自分を疑う必要なんてない、ということ。もちろん、自分のアイデアを疑うことも同じくらい重要なことだ。だけど、自分を疑うってことは、他人の目には自分を弱く見せるだけだし、リーダーの質を与えないってことなんだ。
自信過剰にならなければ、自分自身のアイデアを、自分のすることを疑うことはない。自我が物語の邪魔になってしまうから、自分の物語、自分を信じて、と伝えたい。でも同時に、疑うことをやめてはだめだよ、それは完全な知性の欠如だから。
 人に気配りして、他の人のアイデアに耳を傾ける必要がある。他人の意見はおもしろいっていうのも理由だし、君は自分のアイデアにぶつかり、時にインスパイアさせてくれる他人とともに働かないといけないからね。だけど、自分を疑ってしまえば、その人たちがついてきてくれた君ではなくなってしまうんだ。ビジョンを他人に与えるのではなく、君こそがビジョンなのだから。

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最後に、YouTubeで公開されている“『Mommy』予告編 ドランver.”から、昨年のカンヌ国際映画祭で受賞した際のドランの言葉を紹介したい。
「僕と同世代のみんなへ
誰もが自由に表現する権利があるにもかかわらず、
それを邪魔する人たちもいる。
でも決して諦めないで下さい。世界は変わるのです。
僕がここに立てたのだから」。
https://www.youtube.com/watch?v=T7olQF0Q8cM

映画『Mommy/マミー』ホームページ
http://mommy-xdolan.jp/

翻訳元
Mommy – Interview with Xavier Dolan
http://www.theasc.com/asc_blog/thefilmbook/2015/02/06/mommy-interview-xavier-dolan/

内山ありさ
World News部門担当。広島出身、早稲田大学政治経済学部5年。第26・27回東京国際映画祭学生応援団。特技はおじさんと仲良くなること、80年代洋楽イントロクイズ。今春から某映画会社就職予定だが、心はインディー。