中国を代表するドキュメンタリー映画監督、ワン・ビンの新作である『苦い銭』は、2月3日(土)からシアター・イメージフォーラム他にて全国公開されている。

この映画は、ドキュメンタリー作品であるにもかかわらず『第74回ヴェネチア国際映画祭』オリゾンティ部門の脚本賞、ヒューマンライツ賞を受賞している。その魅力はどこにあるのだろうか。それは、世界の屋台骨である中国の衣服工場を通じて、現代において「労働すること」とはいかなることなのか、私たちに思索することを促しているという点にあるのではないだろうか。

 

 

映画はまだ15歳の少女が家族のもとを離れ、出稼ぎ労働に向かうところから始まる。衣料品の生産で中国を代表する地域である浙江省湖州市織里(ジィリー)は、彼女の故郷からは長時間電車とバスを乗りつぐ必要があり、行き来するのは容易ではない。そして着いてみれば、そこには労働者にとって過酷な環境が広がっている。12時間や13時間を超える労働時間、そしてそれに見合わない労働賃金の低さ。

彼らにとって「働くこと」はどのような意味を持つのだろうか..?

前述したような厳しい環境において、人々は「苦い銭」を稼ぐ。出稼ぎ労働者というものの多くがそうであるように、故郷に自分の家族や友人を残してきた彼らにとっては、その場所での労働はあくまで「一時的」なものであるはずだ。十分な金額を稼ぐことができればなるべく早く家に帰りたい、多くの人々はそんな思いを胸に、生活上の必要からその地にやってくるのだろう。ただ、この映画が描くのは厳しい環境に押しつぶされながら、人間的な生活を送れないでいる労働者の姿だけではない。

 

人々の仕事場は、いわゆる発展途上国の衣類品工場といった時に連想されるような、大規模でベルト・コンベア化された工場ではない。むしろ、数十人規模の比較的小さな工房が密集する、巨大な工業団地のような場所だ。そこでは規模が小さい分、「社長」と「自分たち」の間には風通しの良さがあるし、マニュアル化されていない分、個人が仕事の中で工夫をする余地が残されている。実際、良い悪いは別としてマルチ商法に手を出して稼ごうとしたり、他の工場が休みのうちにその仕事をとってきて稼ぐような、したたかな人々の姿がそこにはある。

 

人々には基本的に長時間にわたる労働があり、残った時間に生活がある。といっても、工房と住居がほとんど隣接しているような状況では、仕事と生活の区別そのものが、それほどはっきりしていないのかもしれない。職場における人間関係は、そのまま彼らの生活にも引き継がれている。人々はこうした人間関係と、同じ地域の出身者どうしのつながり、そして親族とのつながりなどの複数の関係性の中で生きている。こうしたつながりは、過酷な環境においても、彼らに人間的な生活を送ることを可能にしている一つの要素である。

 

他方で、人々の間の絆には刹那的な雰囲気も感じられる。ここはあくまで「一時的な場所」。金を稼ぐためにやってきて、金を稼いだらすぐに帰りたい、そんな場所である。人々の間には新しく入ってくる人と同じように出て行く人がいる。そんな環境において、人々が結ぶ絆にはどこか哀しさが感じられるのである。

 

故郷に帰っていく者の理由は様々であるが、十分な金額を稼いで帰っていく人の姿はほとんど描かれない。現実は、むしろ労働時間の長さに適応できなかったり、酒やギャンブルに溺れてしまったり、仕事の効率が悪くてクビになったり、厳しい環境にうまく適応することができなかった人々である。こうした「脱落者」の姿、帰りゆくときの表情にいたるまでカメラは丁寧に描いていく。

 

カメラは一人の対象を定めずに、人々の人間関係の網の目に沿って、ゆらゆらと漂う。少女の目を通して労働者たちの中に入っていった観客は、人と人との関係性をつたいながら、この世界を驚きをもって発見していくのだ。そして映画は人々の生活の継続の中で静かに終わる。彼らの生活はここで同じように続いていく、そのことを示唆するようである。

 

ワン・ビン監督はこれまでも「鉄西区」「無言歌」「三姉妹 雲南の子」「収容病棟」などの作品を発表しており、国際的な評価も高い。日本でも山形国際ドキュメンタリー映画祭での2度にわたる大賞受賞歴をもつ。また、仏パリのポンピドゥー・センターでは大規模な回顧展が開催され、ドイツの国際芸術祭ドクメンタ14でも作品を発表するなど、美術・芸術の分野でも評価されている監督だ。

 

『苦い銭』”Bitter Money”(2016年)(フランス・香港合作)上映時間 163分               2月3日より シアター・イメージフォーラム他で全国ロードショー。

シアター・イメージフォーラムHp http://www.imageforum.co.jp/theatre/

『苦い銭』オフィシャルサイト http://www.moviola.jp/nigai-zeni/index.html

村上 ジロー
World News担当。国際基督教大学(ICU)在学中。文学や政治学などかじりつつ、主に歴史学を学んでいます。歴史は好きですが、(ちょっと)アプローチを変えて映画についても考えていきたいと思ってます。