昨年のフランス映画祭で、チケットがあっという間に売り切れてしまい、観られなかった作品があった。

 

それは、『RAW〜少女のめざめ〜』。

 

気になったのでHPをみてみたら、世界各地の映画祭で失神者が続出した!とのこと。

完売したって事は、みんな、映画を観て失神したいのかな?なんて思いながら、

そしてわたしは、おそらく失神者が最初に出たんじゃないかと思うシーンをみた時に、

何か、スイッチが入った。

 

 

 

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主人公のジュスティーヌは、ベジタリアン一家の娘であり、獣医一家の娘であった。

そして、父と母の卒業した獣医の大学に、優秀な生徒として入学することになる。

 

大学にはアレックスという名の姉もいて、いわゆる新歓的なところで見つけるのだけど、

よく見つかったなぁというほどの人のドンチャン騒ぎ。

 

そして、大学にありがちな手荒な新入生へのイニシエーション!

そこでジュスティーヌは、ベジタリアンなのに、生のうさぎの腎臓を食べることになる。

そして、ジュスティーヌの身体に変化が起こる…!

 

(このシーンを見る時は、普段から皮膚の弱い人は、軟膏を持って行った方がいいかもしれない)

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私の言うスイッチというのは、”カニバリズムを普段の生活基準で考える”というスイッチだ。

そのスイッチを切らないと、失神してしまう人がいるのも分からなくもない。

 

 

”人を食べる”というシーンは、どの部分でも、自分も持っている部分だからこそ、自分自身が噛みつかれた時の、痛い!という感覚と、

噛んでしまった時の、やってはいけない!という背徳感が同時に襲ってきて、身体が萎縮する。

 

あくまでそれは予測であって、だから、

いや、これは映画じゃないか!

この身体の感覚は、もともとないはずのものじゃないか!

と思うことで、その萎縮は止まることになる。

 

 

どうしてそんなに自分の事のように、この感覚を分け合ったのかというと、

誰もかもを無差別に食い散らかすとかではなくて、ジュスティーヌにとって、

それは身近な人であったから、異質だとも思えなかったのだと思う。

ちょっとの、耐えられない好奇心、のような。

 

 

もちろん、人を食べはじめる、というのは、副題の、〜少女のめざめ〜にあるように、

女性としてのめざめや、優秀な人間に向けられるめざめ、そして、ジュスティーヌだけではなくて、

周りの人間、友達のゲイの男の子の性的嗜好のめざめ…など、さまざまな事の象徴になっているし、

そして、めざめることへの葛藤が描かれる。

 

それは、めざめるべきだったのか…?という疑問。

知りたいという欲望と、知らなければ良かったという後悔。

 

この同時に起こりうる感情のコントロールを、私たちは、上手くやっていかないといけない事がしばしばあると思う。

身近なことだと、お酒を飲みすぎた、とか、最後の質問はしなければ良かった、とか。

 

その一歩、そのスイッチを、知らず知らずに押し進み、暮らしていく日々の生活。

そんな日常を、真正面から受け止め続けると、それこそ失神してしまうかもしれない!

”めざめ”も不意に現れるのだから、”とじる”ことも不意にくるはず。

 

 

常に生きるということは、めざめ続けることで、

それは変えることの出来ない定めであり、ジュスティーヌも、それが運命だと悟り始める。

 

めざめながら生きていくとは。

どう生きたら良いのか?

 

ラストシーンは、私たちにそれを問いかけてくる。

結構、ドカンと問いかけてくるし、おいおい!ちょっと!と、少し笑えたりも。

 

そんな映画、『RAW〜少女のめざめ〜』は、2018年2月2日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国の劇場で公開されます!

 

是非、めざめを観に行ってみてください。

そして、映画を観た後に、お肉が食べられたかどうか、是非、教えて欲しいです。

ちなみにわたしは、ビーフカレーを観た後すぐに食べました。

 

『RAW〜少女のめざめ〜』公式HP:http://raw-movie.jp/

 

 

住本尚子 イベント部門担当。 広島出身、多摩美術大学版画科卒業、映画館スタッフとして勤務、映画と美術の懐の深さで生きています。映像制作、イラスト制作、もがき生み出し、育て中