『東京パラリンピック 愛と栄光の祭典』が東京国際映画祭の特別上映にて上映された。
本作は、1964年に開催された東京パラリンピックを映した貴重なドキュメンタリー映画である。
1964年のオリンピックは大きな注目を浴び、当時の映像は今でもよくテレビ番組などで放送される。しかし当時、パラリンピックを映した映像は6本。そのうち現在確認できるのは、NHKの記録映像を除くと今作のみである。

映画が始まると、そこには華々しいオリンピックの様子が映し出される。多くの外国人が訪れ、街はオリンピック一色だ。しかしすぐに片付けが始まる。そんな中壁に貼られた、誰も見向きもしないポスターをバックにタイトルが表れ、ついに東京パラリンピックが始まるのだ。

映画内では、競技映像だけでなく、選手が身体障害を負うこととなった経緯や選手たちの思いが描かれる。病や交通事故のみならず、戦争による負傷もあれば、高度経済成長下での労働災害によるものもある。そういった時代の影が色濃く表れるなか、選手の中には、国の福祉制度に触れる者もいた。

1964年のパラリンピックは、世界で初めて「パラリンピック」という愛称が使われるようになった大会であり、日本における障害者スポーツ振興の原点とも呼ぶことができる。しかしその実態は、東京オリンピックの陰に隠れ、ひっそりと行われていたのかもしれない。社会的な関心は低く、一部の人々の内輪の競技大会であったのかもしれない。選手たちも決してプロというわけではなく、競技を始めてまだ日の浅い人々ばかりだ。到底メダルは期待できない。
しかしこの映画の中には、パラリンピックが一つの運動として社会的関心を得るという以前の、もっと大事なものがあるように思われる。この映画が映しているのがたとえ狭いコミュニティーだったとしても、そこには人の温かさや希望があるように感じられるのだ。子供たちが選手を送り出し、選手たちは国を超えて歌い、演奏する。登場する人物のそれぞれのエピソード、彼らが日々感じていること、そのすべては語られないが、私たちはまるでドキュメンタリー映画を観ているような感覚を離れ、時代も境遇も離れた人々に寄り添うような感覚を覚える。映画の終盤に映し出される選手たちの姿には胸がいっぱいになるだろう。それは、障害の有無を越えて、人が生きていることでもある。

 

この映画を「はじめてアジアで開催される」「はじめてオリンピックと同時開催される」といったイベント性を持った記念映像とは言い切ることはできない。この映画には、話題性だけではない、人々を見つめるまなざしがあり、だからこそ2020年を迎えようとする私たちにも迫ってくるものがある。
上映前に開催されたイベントでは、アイドルグループ・仮面女子の猪狩ともか、上智大学の学生で「Go Beyond」主催の山本華菜子の二人が登壇してトークが行われたが、そこでもやはり、2020年東京パラリンピックの向こうへ、2020年はきっかけだ、という話が出ていた。

 

映画の上映形体も変化を迎えている。本上映では客席に字幕メガネというものが配られた。このメガネをかけると画面上に字幕や解説が表れる。メガネについているマイクで音を拾い、字幕を同期させているようだ。聴覚障害を持つ方へのバリアフリー上映ということであったが、このメガネはこれから各地に普及させていくという。

2020年には、パラリンピック発祥の地イギリスで新たにドキュメンタリー映画が製作されることも決まっている。(http://indietokyo.com/?p=12168
今作も2020年1月にユナイテッド・シネマ豊洲での上映が予定されており、これを機に関心が高まることを願う。

 

≪作品情報≫
初公開年月    1965年5月15日
監督・脚本・撮影 渡辺公夫
解説       宇野重吉
音楽       團 伊玖磨
製作       上原 明
ドキュメンタリー/63分/モノクロ/日本

 

<p>小野花菜
現在文学部に在籍している大学2年生です。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。