『愛も夢も失ったとき、ひとはどこへ向かうのだろう』

『東京不穏詩』の主人公のジュンは女優を目指し、東京のクラブで働いていた。
ある日同僚であり恋人のタカに貯めていたお金を奪われ、顔に深い傷をつけられたジュンは長野の実家に戻ることになる。しかしそこでも、更にジュンを傷付ける出来事が待ち構えている。

夢を追っていた東京で愛も夢も希望も失ったジュン。そのジュンがどこへ向かうのか…。
映画はわたしたちにその解を容易く差し出してはくれない。

東京で夢破れた主人公が故郷へ戻りそのルーツを知る、という物語自体に目新しいものはない。

しかしそのストーリーに息を吹き込むのは、飯島珠奈をはじめとする俳優達の魂のこもった、命をかけているとも言える演技だ。そしてそれを引き出したアンシュル・チョウハン監督の手腕が素晴らしい。画面を超えて伝わってくるジュンの心の叫び。飯島珠奈の、女優として、ジュンとして全身全霊で役を生きるその覚悟が胸を打った。彼女からは余計なものを削ぎ落としたような、清々しささえ漂っていた。

演技だけではない。東京から故郷の長野へ帰るバスの中で、ただ窓の外を眺めているジュン、帰ってきた家のベランダに座りタバコを吸いながら景色を眺めるジュン。その佇まいが時々ハットするほどに美しく、そして切ない。その切なさがジュンの不安定さや所在無さと重なり、終盤の理屈では片付けられないような怒りと衝動の行為を裏付けているようにも思った。

彼女はインタビューで、ジュンという役を獲得するために、ジュンという登場人物を生んだ監督を理解することから始めたと語った。対話の中で、彼がどんな風に世界を見て居るか、世界に対してどんな気持ちを抱いているかを知っていき、それが役作りに役立ったという。一方、監督も対話を通して彼女を理解しながらジュンというキャラクターを作っていったと語る。そのようなお互いの相互理解の中でジュンが生まれていったといえるだろう。

そして同時に、この物語でもう一つ特筆すべきは、男女の不平等、不条理を描いていることではないかと思う。

ジュンは夢のためにホステスとして働き、時には身体を売るという行為にも及ぶ。誤解を恐れずにいうと、私はジュンを咎めたくない。是非はあるのが重々承知だが、身体を売ってでも夢を追いかける姿は勇ましい。しかし、実家に戻ってからも、ジュンが旧友ユウキに何度も口にすることからわかるように、その行為が彼女を傷つけ、疲弊させていたとすれば、それはそのような彼女を取り巻く男性、ひいては社会の眼差しに原因があるのではないか?

クラブの同僚であり、恋人のタカ、
クラブの店長、客、
そして故郷の父親。

彼女を蔑み、力でふみにじるのはいつも男性だ。彼らは、男である、というただそれだけで無意識に、時に意図的に、その力を使いジュンの未来を奪っていく。ジュンはどこまでいっても彼女を女としてモノのように扱う彼らから逃れられない。そしてこの不条理は、日本だけではない、世界中のどこでも存在する。それは、この映画がインド人のアンシュル・チョウハン監督によって手がけられていることも一つの証拠である。

そんなジュンにも、一筋の希望もあった。ジュンを慕う、旧友ユウキの存在だ。彼だけは彼女の過去も、現在も、全てを受け止めようと手を差し伸べる。そんなユウキにジュンも心を開くと思いきや…が、しかし、この映画はそのような安易な結末には終わらせない。
終盤、それぞれの思いが渦のように絡み合い、予想も出来ない結末を迎えるのだ。

『愛も夢も失ったとき、ひとはどこへ向かうのだろう』

混沌の渦に身を任せ、映画館でその行く末を見届けて欲しい。

 

『東京不穏詩』

2020年1月18日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

   

 

 

 

 

 

監督: アンシュル・チョウハン

出演:飯島珠奈  望月オーソン  川口高志 真柴幸平 山田太一 ナナ・ブランク 古越健人

撮影監督:マックス・ゴロミドフ|プロデューサー:アンシュル・チョウハン、茂木美那 |制作マネージャー: ジップ・キング

音響:ロブ・メイズ|脚本:アンシュル・チョウハン、ランド・コルター |音楽:LO-SHI|制作:KOWATANDA FILMS

配給:太秦 2018年|DCP|カラー|116分|日本|日本語 『東京不穏詩』英題:BAD POETRY TOKYO ©2018 KOWATANDA FILMS. ALL RIGHTS RESERVED

公式HP:https://www.kowatanda.com/badpoetrytokyo

永山桃
早稲田大学5年生休学中。映画はもちろん、文章を書くことが好きです。2020年は身体と心を鍛え、強く生きていきたいです。あとは猫が好きなのに、柴犬をかっています。ワンワン!