オリヴィエ・アサイヤス監督の2018年の作品『冬時間のパリ』が12月20日(金)よりBunkamuraル・シネマ他にて公開される。(同作品は『ノン・フィクション』のタイトルで昨年の東京国際映画祭でも上映された)。
編集者のアラン(ギョーム・カネ)は、電子書籍の台頭という時代のニーズに対して何とか順応しようと努めている。ある日、友人でもある作家のレオナール(ヴァンサン・マケーニュ)から新作を持ち込まれる。彼の私小説的な作品に乗り気ではないアランだが、女優である妻のセレナ(ジュリエット・ビノシュ)は好意的な反応を示す。実はレオナールとセレナは何年も前から不倫関係にあり、アラン自身も部下の若い女性ロール(クリスタ・テレ)と不倫関係にあるのだった。その関係の一方で、彼らは出会う方々で、あるいはパーティで集まった先で、友人として議論を交わし合う。パリの出版業界を舞台にした本作は、5人の男女の人間関係を、彼らの会話を軸に軽やかなコメディといえるタッチで綴っている。
本作品について、来日したアサイヤス監督にインタビューを行った。

アサイヤスは1999年の作品『8月の終わり、9月の初め』でも出版業界を舞台に、登場人物たちの人間関係のドラマを描いている。『パーソナル・ショッパー』のようなホラー的な要素のある映画や、あるいは『カルロス』といったテレビシリーズのような多様な作品を監督したのちに、かつて描いた場所を再び物語の舞台に選んだことについて、アサイヤスは社会の変化を理由に挙げた。
「『8月の終わり、9月の初め』を撮ったときには、とても手応えがありました。あの時代をうまくキャッチできた、あるいは当時の私の人生というものをうまく作品を通して表現できたのではないかという手応えがあったので、欲求不満のようなものはありませんでした。同じような素材で映画を作ろうという気持ちは全く起こってこなかったんです。結果的には時間が必要で、出版業界であったり、人物たちの状況であったりを描くにあたって、社会というものが、当時から比べてかなり変化してきていることがあると思います。もし『冬時間のパリ』と『8月の終わり、9月の初め』に似ているところがあるとしても、それは時間が経過したことによって世界というものが大きく変化してきているからです。私自身と社会との関係は、それほど変わっていないのですが。(笑)」
二つの作品の共通点は、出版業界を舞台にした物語という点だけではないという。
「確かにこの2作品は、登場人物が似ているところがあると思います──彼らの生き方も、似通ったところがあると感じていて、『冬時間のパリ』のレオナールの妻ヴァレリー(ノラ・ハムザウィ)は、『8月の〜』ではジャンヌ・バリバールの役と通じていますよね。レオナールは『8月の〜』のフランソワ・クルーゼ演じる小説家と似ているところがありますし──つまり私の興味というのは、そういった人物たちが社会の大きな変化にどのように対応していくのだろうかというのを見ることです。つまり、彼らの背景が変わってきているということですね。」

電子書籍の台頭という話題に代表されている世界の変化について、登場人物(あるいは私たちかもしれない)がどのように順応するのかということについて語っているという本作は、それに対して『山猫』より一つの言葉を引用している。「変わらないために、変わり続けなくてはならない」──この言葉を劇中で発するのは、他でもない、アランの出版社にデジタル推進部門担当としてやってくる若い女性ロールだが、アサイヤスは彼女について「すごく愛情を感じている」と語りつつ、彼女の持つ現代性についてこのように述べている。
「この作品の登場人物の中では一番現代的な考えを持った人物で、例えば彼女の感情面についても、あるいはセクシュアリティー的な生き方についても、とても流動性があって固執しないというところが現代的だと思います。世界の変化に対しても、とても聡明な目を持っている──だからこそ、この作品の中では、どちらかというと悪い報せを持ってくるのが彼女です(笑)。だからといって、文学に対する彼女の信念だとか、作家というものに対する彼女の信頼というのは、他の登場人物と何ら変わることがなくて、文学に対する愛情は持っている人ですよね。ただ、彼女の世代がそうであるように、彼女はビジョンとしては非常に実践的でプラグマティックです。あまり理想に動かされないというか、感情に動かされない。理想というものを抱かず『こうなのだから、こうだ』と割り切って実践的に考える人です。彼女は主要な登場人物の中では一番若いですけれども、彼女の話に耳を傾けると確実に何か得るものがある、そういう人物として描いています。」

『冬時間のパリ』は登場人物の会話によって映画が展開されていく。彼らは互いの関係について、あるいは出版業界を取り巻くデジタル化の潮流について、常に議論を交わしている。作品においては、どのような手段で本を読むのかということが、どのように世の中の変化を受け入れて生きていくのか、という問いに対する一つの答えになってしまうのだろうか。
「確かにこの作品の中で一番大切だったのは、出版業界にデジタル化の波が押し寄せてきているということではなくて、その社会の中で各人がどのようにそれに対応するかということなんですね。社会の変化に対する順応の仕方はそれぞれ違うと思います。ただ、今回のデジタル化というのは、社会の変化としてとても巨大なものですよね。現代人はそれを無視して生きていくことができない。今までは永遠のものだと思っていた価値観や、既得権があると思っていたものについてもう一度見直さざるを得ない。そういった状況に、それぞれの人物が直面しているということです。ただ、私自身としては、程度の差はあれそれぞれの人物がこのような社会の大きな変化に対して順応していけるだけのキャパシティは持っているとは思っています。」

英題は”Non-Fiction”、原題が”Doubles Vies”である本作のタイトルについて、アサイヤスは「複数の意味がある」と言う。「例えば、レオナールが自分の実体験を作り替えて小説に落とし込んでしまうという意味もあるし、それぞれの人物が公的な生活と並行して、プライベートな人生──例えば浮気しているとか─を抱えているという意味もあります。」
劇中でヴァンサン・マケーニュ演じる作家のレオナールは自分の不倫の経験を元に私小説を書いている。アサイヤス自身も自伝的な著書(『5月の後の青春 アリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』boid出版)を執筆しているほか、代表作の一つである『冷たい水』など、自伝的な要素のある映画を作っている。彼らが自分が経験したことについて物語ろうとするのは何故なのだろうか。
「私自身は、物語は実体験からしか語ることができないと思っているんです。人物たちが感じている感情というものを理解するためには、ある意味で、作者が生きていないと人物の感情というのは描けない。人間というのはそれほど複雑なものなので、これらの人物の中の誰か一人が私を体現している、というような意味ではなくて、この全ての人物に、私自身の一部分が散りばめられていると言えると思います。彼らのような人生を、額面通りに私自身が生きた訳ではないですけれども、彼らが感じていることというのは、やはり私の中で一度感じたことのある感情で、私自身はそれらを物語にしている訳です。アーティストにとっては、自分が体験したものからしかインスピレーションを得ることはできないでしょう。例えそれが抽象画であっても、アクション映画であっても、あるいは火星を探検するような映画であっても(笑)。人間の感情というのは、自分の中で一度咀嚼されていないと描けないと思います。その中で、間接的に自分が感じていたものを投入するものと、直接的に、──例えば思春期を語った『冷たい水』や『5月の後』がそうですが、私自身が生きたものを、殆どそのままそっくり私小説的に表現した作品も生まれてくるということなんです。」

人物たちが社会の大きな変化にどのように対応していくのかということが作品の動機だとアサイヤスは答えていたが、”Non-Fiction”という言葉とともに考えると、監督自身もその変化に対して対応した一つの結果としてこの映画が作られたのではないかという気がしてしまう。
不倫や恋愛を軸にしたパリの会話劇という面で捉えると、どこか遠い話のようでもあるが、例えば自分も普段から使っているデジタルなものの存在や、時の流れによる変化に直面している時代に生きる人々の話だと考えたとき、この映画はきっと私たちにも無関係ではない。

『冬時間のパリ』
監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス
出演:ジュリエット・ビノシュ、ギョーム・カネ、ヴァンサン・マケーニュ、クリスタ・テレ、パスカル・グレゴリー
2018年/フランス/フランス語/107分/原題:Doubles Vies/英題:Non-Fiction
日本語字幕:岩辺いずみ/協力:東京国際映画祭、後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
配給:トランスフォーマー
公式サイト

12 月 20 日(金) Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー
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吉田晴妃
四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。