二ノ宮隆太郎監督自身が主演を務めている『枝葉のこと』(二〇一七)は、監督の実体験をもとにした「私小説的」映画作品であるという[1]。登場人物たちの役名や物語の舞台となっている横浜市二俣川の街、撮影で使用されている実家や友人の家も実際の場所が使用されているというこの作品は、自動車整備工として働く主人公の隆太郎が、肝臓がんを患い余命が迫る龍子のもとに久しぶりに会いに行くという物語である。龍子は、隆太郎の幼馴染である裕佑の母親であり、6歳のときに母を亡くした隆太郎が当時お世話になった人物である。本稿では、監督を二ノ宮、作品内の主人公を隆太郎と表記し、区別することとする。

 数秒のタイトルのあと、映画は手持ちキャメラによって捉えられた隆太郎の長回しから始まる。ミディアム・ショットで映し出された隆太郎は、タバコを吸いながら、フレーム外、キャメラの右後方へと視線を向けている。隆太郎が小走りでその方向へと向かうと、キャメラもまた右へと180度パンし、走って行く隆太郎の背中を捉えつづける。それ以降のシーンにおいても、キャメラはこのようにして、移動する隆太郎を執拗に追いかけつづける。

 この作品はフィックスで捉えられたショットがなく、全編を通して手持ちキャメラによって撮影されている。しかもそのそれぞれのショットは、異常なまでに揺れている。通例であれば、手持ちキャメラでの撮影はスタビライザーなどを使用し、その揺れをある程度抑えることが目指されるであろう。しかし二ノ宮はそれをせず、むしろ作品内に手持ちキャメラの揺れを最大限に取り入れているように見える。また、一見して気が付くのは、隆太郎が移動するショットが圧倒的に多いことである。冒頭のシーンにおいてもそうであるように、手持ちキャメラは隆太郎の、ややガニ股で、肩を左右に揺らし、早歩きで移動するその独特の歩き姿を、作中を通して執拗に追いつづけるのである。しかし、それはいったいどうしてなのだろうか?

 

 

 作中、隆太郎は最低限の言葉しか発することがない。職場の後輩に話を振られても、ぶっきらぼうに、ほとんど相槌程度しか言葉を返すことがないし、龍子に会うために仕事を早上がりするときも、その理由を上司に話すことはしない。この映画は、隆太郎を追いかけるキャメラワークによって、全編にわたって隆太郎の姿が映し出されている作品である。であることから、龍太郎という存在が映画の中心にあり、工場や居酒屋、部屋などの風景はほとんどないがしろにされているといってもよいかもしれない。にもかかわらず、そこに登場する会話の大部分は、隆太郎の周囲の人間が話すとりとめもない話である。

 そうであるために、物語の中盤まで隆太郎の感情の変化もまたほとんど表現されることはない。飲み屋の女性との性交後のシーンにおいて、女性が隆太郎に「何を考えているの?」と尋ねるように、観客もまた、隆太郎のその立ち居振る舞いと、そのこわばった表情から、彼が不機嫌そうに苛立っていることを読み取ることしかできない。この作品において、つねに無表情の隆太郎は「何を考えているかわからない」存在としてあるのだ。

 「何を考えているのか」と尋ねられた隆太郎は、ここでようやく感情を露わにし、女性を罵倒する。しかし、結局、何を考えているのかは明かされることがない。このシーンから理解されるように、「何を考えているかわからない」のは、隆太郎自身が自分の感情を他人に知られることを拒否しているからだろう。映画の後半、龍太郎が飲み屋で職場の先輩を罵倒するシーンにおいてさえ、感情はそれほど高揚せず、それに続く路上で殴り合いの喧嘩をするシーンにおいてもまた、先輩が言葉を発しつづけながら殴るのに対して、隆太郎はただ無言で無表情のまま、殴り、殴り返されるだけである。

 本作品は、ナレーションが用いられることはないし、BGMによって映画を盛り立てることさえ行われない。オフの音声は作中で一度も挿入されず、その音声は、映像と同時に収録したものだけが使用されているようである。

 

 この映画は、あらゆる点で感情が抑制されている作品であるだろう。短いカットのモンタージュやBGMの効果によって、あるいは、過度に暴力的な台詞やシーンによって観客の感情を盛り上げるようなこともなされない。

 しかし、この作品を見終わった観客は、たしかに、主人公である隆太郎が抱いていたであろう鬱屈とした感情、どうしようもないやるせなさを感じ、胸が痛むのである。おそらくそれこそが、隆太郎の、ゆらゆらと歩きつづけるその姿においてあらわれる力なのではないだろうか。隆太郎の歩く姿勢は、たとえばファッションモデルのように美しく整ったものではない。しかしながら観客は、龍太郎がそうした無骨で不器用な、一目見て彼であることが理解される独特の姿勢で歩いているからこそ、惹かれ、共感してしまうのではないだろうか。

 二ノ宮は、隆太郎が歩く姿において見られるこの言葉にしがたい身体の身ぶりをスクリーンへと映し出すために、手持ちキャメラを用いたのではないだろうか。それは、心のうちを言葉や表情で描写しないことで表現することである。つまり、感情を隆太郎の身体上で表現する試みであるだろう。

 

5月12日(土)から渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開

 

『枝葉のこと』

(2017/日本/114分)

監督・脚本・編集:二ノ宮隆太郎

プロデューサー:鈴木徳至

撮影・照明:四宮秀俊

録音・整音:根本飛鳥

助監督:平波亘

監督助手:松谷嶺

制作:香月綾

撮影助手:上川雄介

ヘアメイク:寺沢ルミ

スチール:松沢颯太

宣伝・配給協力:岩井秀世

宣伝デザイン:寺澤圭太郎

海外セールス:Free Stone Productions Co., Ltd.

予告編音楽:pot au feu

製作:塗本龍子・九龍家

配給:九龍家

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。趣味は寝ること、最近よく聴くフォーク・デュオはラッキーオールドサン。