マルコ・ベロッキオ監督、1965年のデビュー作「ポケットの中の握り拳」を、作品に関する事前情報ゼロの状態で鑑賞いたしました。みなさんこんにちは、プロレスラーのアントーニオ本多でございます。
私ね、勝手に思ってたんです。これはフランソワ・トリュフォー監督のデビュー作「大人は判ってくれない」みたいな感じの映画なのかなーって。タイトルから受けた印象からですが、思春期の若者の鬱屈した感情や反抗を描いたような作品かなって。主人公を演じる若きルー・カステルの見た目も、なんとなく大人は判ってくれない顏してますし。
その予想はもう物の見事に打ち砕かれましたね。衝撃。これはもう大人は判ってくれないどころか、この主人公のことたぶん老若男女くまなく判ってくれませんよ。「大人は判ってくれない」が小猫だとしたら、「ポケットの中の握り拳」はステゴサウルスくらい危険です。いや、敏捷さでいったらヴェロキラプトルくらい危険です。ちょっと「ベロッキオ」と似てるし!

冒頭のエンニオ・モリコーネの曲からして、まず不穏。半端なく不穏。怪しい女性コーラスに無調の怪しい器楽演奏が被さっちゃって、やさぐれたシェーンベルクみたいなんです。
盲目のお母さん、怪しい姉、怪しい兄、リタードな弟、そして怪しげな頭蓋をもつルー・カステル。冒頭近くこの家族の食事シーンがあるのですが、こんなに不穏な家族の食事はみたことがありません。不穏であると同時にとてもスリリング。とにかくなにが起こるかわからない。主人公の、不安定を絵に描いたような所作と同じく、この映画は次になにをするかわからない。そして主人公が癲癇?の発作を持っている、という不穏さが、この映画そのもののよう。映画が発作を起こすから予測がつかない。

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と同時に、不謹慎なまでに面白い。盲目の母に新聞を読み聞かせるシーン、そして部屋でひとりカステルがウロチョロするだけのシーン。母が見ることのできない、家族も見ていない、この誰にも向けられてないカステルの奇行をカメラを通して私たちだけは見ている、という不謹慎な快感。棺桶の縁に挙げられる足、笑いながら放り投げられる家財道具、一回風呂桶に沈めてみる頭部…。嫌悪感を感じるべきものごとがもうどうしようもなく「面白い」と感じられてしまうこの魔法は、いったいなんなのか。

その一端はやはりルー・カステルという俳優の魅力にあると感じます。酷いことしてるのに、いい顔してる、切ない顔してる、人間性が滲み出てくる。突拍子もない動きからの、破顔。なんか憎めない。詩も書いてるし。
戦慄のラストシーン、私はもうなんか姿勢を正しちゃって緊張して、コア・マッスルが効いてきちゃう感じ?バランスボールに乗りながら「ポケットの中の握り拳」を見るとライ○ップなんて用無しのコアトレーニングです。いやー

この美人すぎる議員さん、ならぬ「不穏すぎる家族映画」、ベロッキオ監督はなんと実の家族に製作費を出資してもらったそうです。しかも自分の生まれ育ったお家で撮影したそうです。試写を見た家族はなんて思ったんでしょうか、いやーそんなベロッキオ監督が1番不謹慎かもしれませんね。

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ベロッキオのレアな傑作2本が池袋新文芸坐で上映されます!
新文芸坐シネマテークVol.8 イタリアの怒れる巨匠/マルコ・ベロッキオ
3/18(金)『母の微笑』+講義(大寺眞輔)19:15開映
3/25(金)『エンリコ4世』+講義(大寺眞輔)19:15開映

第8回 新文芸坐シネマテーク


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アントーニオ本多
1978年1月2日生まれ。武蔵野美術大学造形学部映像科卒。2005年1月4日、ケン・片谷&梅沢菊次郎&趙雲子龍&ブラックマミー戦でデビュー(パートナーはマッスル坂井&ペドロ高石&ツルティモ・ドラゴン)。得意技はバイオニック・エルボー、好きな歌手はルーチョ・バッティスティ。