パリ14区・ダゲール街、それはアニエス・ヴァルダの街である。フランス渡航一週間前になってようやく家探しを始めた私は(どう考えてもおかしいが、様々な事情でこうするしかなかった)、物件サイトで「proche rue Daguerre(ダゲール通りの近く)」と書かれた一室を見つけ、すぐ大家さんにメールした。ヴァルダのおかげでなんとなく、「ダゲール街」は私にとって「いいところ」だったからである。それにシネマテークまでメトロで1本、大学までもバスで1本とかなりの好立地だった。運良く一瞬で交渉が成立し契約金を振り込んだものの、パリに到着した日、大きなスーツケースを引いてダゲール通りを歩きながら「家がなかったらどうしよう」などと遅ればせながら心配し、その時たまたま目の前にあったホテルを見て「もしなかったら今日はここだな」と考えたことを思い出す。結局、確かにアパルトマンは存在し、感じのいいマダムが優しく迎え入れてくれた。家の説明よりも先に「シネマテークの次の特集」について教えてくれたシネフィルの彼女としばらく話をし、少し休憩してから早速徒歩1分もかからないヴァルダの家/会社[図1]を見にいった。ヴァルダの愛した地に住めるなんて、と、つい最近までは考えてもみなかった状況に嬉しくなった。

 

                [図1]ヴァルダの自宅兼会社

 

 さて前置きが長くなってしまったが、あれよあれよという間に時は過ぎ、コロナ禍による外出制限も経験して、7月某日。すっかり仲良くなった大家さんとカフェに行く途中で数日前までは確実になかった「ペイント」[図2]を発見した、というか遠目に見てもわかるくらい大きく描かれたヴァルダの顔が前方にあった。今回紹介したいのはその「壁画」である。なお、(実は)「壁画紹介の動画バージョン」も存在し、それは大寺眞輔氏のYouTubeチャンネル「カドの映画屋さん」で配信されている。

        [図2]ヴァルダ関連ペイント。果たしていつの間に描かれたのか……。

 

 ダゲール通りから南へ2本進んだシャルル・ディヴリー通りにこのペイントは存在する。

 左からまずアニエス・ヴァルダ。少し見づらいのでもう一枚写真を添付しておく[図3]。遺作『アニエスによるヴァルダ』(2019)はこの椅子のショットから始まっていた。

 

[図3]左から、アニエス・ヴァルダ、『5時から7時までのクレオ』のクレオ、『ライオンの消滅』のライオン像

 

 次は『5時から7時までのクレオ』(1962のクレオ(コリーヌ・マルシャン)。精密検査を受けたクレオは、自分が重い病気を患っているのだと信じ込む。そんな彼女が結果を告げる医師との面談を控え、憂鬱に過ごす2時間を描いた作品である。

 

 その隣は『ライオンの消滅』(2003)に出てくる「ベルフォールのライオン像」[図4]で、ダンフェール=ロシュロー広場の中心にある(普仏戦争のさいフランス東部「ベルフォール」の地を守り、「ベルフォールのライオン」と称えられたピエール・ダンフェール=ロシュロー大佐に由来する)。この作品は12分の短編で、主人公の女性がライオン像の前で経験する不思議な現象が描れている。ネタバレすると、ライオンが消えたり、猫の像に変わったりするのである。その猫はヴァルダの愛猫ズググで、本作は「ズググがシネタマリス[ヴァルダの会社名]のマスコットなら、ライオン像は14区のマスコットである」というヴァルダのナレーションで幕をあける。

 

        [図4]「ベルフォールのライオン像」(のレプリカ)

 

 なお、14区にはカルティエ財団現代美術館という素晴らしい場所があり、その美しい庭にはヴァルダのインスタレーション作品《猫の小屋》(2016)+《ズググの墓》(2006)(《猫の小屋》のなかに《ズググの墓》がある)[図5]が展示されている(この他、庭では《木の上のニニ》(2019)も見られる)。そして《ズググの墓》の映像には、『ライオンの消滅』でライオンに取って代わり台座に鎮座していたズググのショットが使用されている[図6]。

 

                    [図5]《猫の小屋》         

 

               [図6]小屋のなかにある《ズググの墓》

 

 さてペイントの話に戻って、時計を挟んで右側に位置する4人[図7]は『ダゲール街の人々』(1975)で登場する。この映画こそ私が「ダゲール街」を知るきっかけとなった作品で、ヴァルダの自宅兼会社のあるダゲール通り、それも70番地から90番地までという50mほどの狭いエリアで繰り広げられる「日常」が捉えられている。壁画に描かれているのは左から水道系メンテナンス会社の男性、マジシャンのミスタグ、パン屋の夫妻である。

 

 一番右に位置する猫は、ズググではなく、クリス・マルケルの飼っていた猫ギヨーム。マルケルの分身として知られているギヨームは『アニエスの浜辺』(2008)にも登場する。

 

   [図7]左から『ダゲール街の人々』に登場する「ダゲール通りの住人」、クリス・マルケルの猫

 

 なお、このペイントのある通りからさらに南へ1本進むと小さな広場が見えてくる。そこは「ジャック・ドゥミ広場」といい、毎週火曜と金曜の午前中にマルシェが開かれる。7月の終わり、いつものようにマルシェで食材を買い、大家さんと一緒にダゲール通りのカフェに入った。テラスでコーヒーを飲んでいると近所の人が通りかかり、その場で他愛もない話をした。それを見た彼女は一言、「すっかりダゲール街の住人だね」と笑っていた。

 

原田麻衣

京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程在籍。研究対象はフランソワ・トリュフォー。現在パリに留学中。