2019年3月10日に、東京のなかのZEROでFILM SCORE PHILHARMONIC ORCHESTRA(フィルム・スコア・フィルハーモニック・オーケストラ)の第5回目の公演「フィルムコンポーザーズシリーズ: ハンス・ジマー」が開催された。同オーケストラは、通称でフィルフィルと呼ばれている。代表で音楽監督を務める戸田信子さんが最初に団員に伝えたのは、「ハンス・ジマーの音楽はコンサートで演奏するようには作られていない」ということであった[#1]。時に、型破りの楽器編成で重ね録りをし、結果的に400人以上のオーケストラのレコーディング音源を生み出す[#2]。2018年10月21日の週末オケ日誌(その62)には、すでにハンス・ジマーの映画音楽がオーケストラによって生演奏されることがまったく考えられていないことが説明されている。すなわち、そのまま演奏を試みるのであれば、100名ほどのメンバーの2、3倍の人数が必要なのである[#3]。フィルフィルにとって、ハンス・ジマーの音楽を演奏することはまさに挑戦であった。ハンス・ジマーのオリジナルを表現できないが、彼の音楽の表現にできる限り近づくことを目指したのである[#4]。

今回の演奏では、演奏用として特別にオーケストレーションアレンジされた譜面を使用しているが[#5]、フィルフィルにとって、譜面に忠実であることが前提となっていた[#6]。2018年12月2日の週末オケ日誌(その65)には、合奏練習で、「音の長さを正確に」、「音の処理に気を遣う」、「自分の都合にあわせて音が凸凹しない」、「譜面の指示記号に正確に」など、譜面に沿った練習を行ったことが記されている[#7]。しかし、それから約2ヶ月ほどが経過した2019年2月3日の週末オケ日誌(分奏編)には、楽譜を前提としつつも、感動を生み出すサウンドのためには、「楽譜通りに演奏するだけでは音楽にならない」と表現に対する貪欲さが表れている。音の出し方、発音、音の長さなどの細部にこだわったのである。また、場面に合わせた最良の吹奏法、すなわち、クレッシェンド、デクレッシェンドの仕方などを細部まで合わせた練習が行われている[#8]。フィルフィルは、常に譜面を大前提に、譜面以上の表現を追及しているのだ。

本番の公演は、16:00開始(開場は15:00)であったが、開場前からすでに多くの観客が詰め掛けた。今回も前回と同様に、15:10からプレコンサートが行われたからだ。プレコンサートでは、3組のメンバーたちが登場し、小編成で演奏を行った。

1組目(チーム名:10 Cellos)の編成は、10挺のチェロ。演奏曲は、『ハンスジマーメドレー(プロデュース関連曲含む)』。メドレーの構成作品は、『インセプション』、『BLOOD+』、『ブラック・レイン』、『ライオン・キング』、『シャーロック・ホームズ』。
2組目(チーム名:チーム人見知り)の編成は、2本のファゴット、1本のコントラファゴット。演奏曲は、The PacificよりMain Title。
3組目(チーム名:FilPhil Nonet)の編成は、第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット。演奏曲は、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』より「さあ、飲み干そう」。

映画音楽において、楽器編成とはひとつの重要なアイデアであり、時に極端な編成が組まれることもある。ハンス・ジマーによる音楽のレコーディングも例外ではない。それらのことを思わせる演奏であった。

プログラムは、3部構成であった。「第一部 ハンス・ジマー ハイブリット映画音楽の幕開け」、「第二部 ドラマを描くハンス・ジマーの名曲」、「第三部 ハイライト・オブ・パイレーツ・オブ・カリビアン」である。

第一部は、『バックドラフト』から「ファイティング」、『ダークナイト』組曲、『インセプション』組曲、『グラディエーター』組曲。

『バックドラフト』からの「ファイティング」では、ステージ内を照らす照明は赤や青が使われ、炎と消防隊の闘いが映し出されているかのようであった。今回の公演でハンス・ジマーの音楽を演奏する際には、様々な特殊な楽器が使われているが、「ファイティング」でも、その中のひとつの楽器の音色を聴くことができた。「ウォーターフォン」という楽器が取り入れられていたからだ[#9]。

『インセプション』の演奏では、オリジナルを追求した迫力のサウンドを聴くことができたが、ステージ上で戸田さんによってその音楽の創作のプロセスが語られ、さらに後日、自身のTwitterでその詳細を説明してくれている。それによれば、ハンス・ジマーの音楽は、最終的に行う音楽のミキシングでの音響もあらかじめデザインされた上で作られている。また、彼の音楽は、オーケストラの編成やレコーディング方法が従来の型に当てはまらず、その斬新な方法に合わせてオーケストレーションが行われているという。すなわち、いくつかの種類の楽器編成を何度か重ねて録音し、必要な規模の重厚な音源にまで押し広げている。例えば、24人編成のヴァイオリンを2回、4回と多重録音したり、16人編成のチェロを2回にわたって多重録音した上で、8人編成のチェロのレコーディング音源をさらに重ねている[#10][#11][#12]。
もちろん、これらはコンサートにおいて完全に再現することは不可能である。しかし、フィルフィルはハンス・ジマーの音楽をできる限り再現しようと試みた。結果として、フィルフィルでは、レコーディングスコアに記された最低人数を集めて再現を目指したいという願いから、12人のローブラス隊が組まれたのである[#13]。

『インセプション』では、エディット・ピアフの「水に流して」がキックの合図として使われているが、その楽曲をスロー再生することによって、映画内で重低音が響く楽曲になることは有名である。今回のために、「水に流して」の音源を入手し、その音源を実際にコンサート用に加工した。さらに、楽曲内で使用されているシンセサイザーのサウンドをサンプリングして制作した上で、それぞれの楽曲を作り上げていった。これらは、シンセサイザー・プログラマーとして協力をした陣内一真さんが担当した[#14][#15]。
また、『インセプション』の音楽を再現する上でソロのギターも欠かせなかった。太田光宏さんのギターは、映画のスコアに非常に忠実な演奏であった[#16]。

第二部は、『ラスト サムライ』組曲、『ダ・ヴィンチ・コード』から「聖杯の騎士」、『シン・レッド・ライン』から「ヴィレッジ」、『インターステラー』交響組曲。

『ラスト サムライ』組曲では、尺八奏者として加藤秀和さんが登場。和楽器と西洋楽器の融合したサウンドを聴かせてくれた。
『ダ・ヴィンチ・コード』からの「聖杯の騎士」では、戸田さんによって、リモート・コントロール・プロダクションズに仕事で行った際に聞いたというエピソードが語られた。ハンス・ジマーは、電話で仕事を快諾した後に音楽をどのようにするのかということで非常に悩むのだという。そして、ロン・ハワード監督をしばらく待たせた後、映像が存在しない状態から作曲されたのが「聖杯の騎士」であり、ハワード監督にも気に入ってもらえた楽曲であったとのことだ。また、ロン・ハワード監督が作曲する際に伝えた言葉の中には、「閃き」があったとのことだが、「聖杯の騎士」はまさにその言葉を具体的に表現したかのような楽曲である。徐々に高まり、湧き起こってくる謎に対する気付きへの興奮がフィルフィルの演奏によって表現されていた。

『シン・レッド・ライン』からの「ヴィレッジ」では、フィルフィルの演奏によって平静と静寂から美しさが差し込むような繊細な音楽が生まれていた。戸田さんは、「私の挑戦の一つは、何を感じるべきかをあなたに決して伝えないようにすることです」というハンス・ジマーの言葉を引用して、同映画の音楽について話した。『シン・レッド・ライン』における“Journey to the Line”という楽曲を取り上げて語られた言葉であるが、これには続きがある。

「入り込んでくる人たちへとドアを開くために、そして、エモーショナルな経験ができるようにするために、特異な手法で音楽を使っています。だけど、そのことで恐ろしさを喚起させるでしょう。感じるべきことを導く手法の上で、人々を操っているからです。だから、全面的に解釈が開かれる部分を残したのです。」[#17]

「何を感じるべきかを伝えないようにすること」によって、特定の感情を経験させることだけでなく、人によっての解釈が開かれていることが表現法となっている。
実は、ハンス・ジマーは、『ダークナイト ライジング』 の音楽においても別の角度から「何を感じるべきかを伝えないようにすること」について語っている。

「この映画における皆のミッションとは、観客を没入させることでした。何を感じるべきかを伝えないという手法の上で、わざと音楽は書かれています。この世界へと入り込む人たちに、音楽によってドアが開かれるということだけを伝えるのです。それこそが私が挑戦したことなのです。入ってきてください。入ってきて、私たちの世界の一部になってください。」[#18]

ハンス・ジマーは、敢えて「何を感じるべきかを伝えないようにすること」で、時にそれぞれに解釈を委ねようとし、時に観客を映画の世界に没入させようとする。これは限定的な作品における手法というよりも、彼にとってひとつの確立した手法といえるのかもしれない。

第三部は、『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』から「ジャック・スパロウ」、『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』から「“深海の魔物”クラーケン」、『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』組曲。
フィルフィルのメンバーたちは映画あわせて、海賊の衣装で登場。指揮者の奥村伸樹さんは、ジャック・スパロウの衣装を身にまとっていた。

司会の伊藤さとりさんからは、ジャック・スパロウを演じたジョニー・デップに関するエピソードが語られた。なかなかジョニー・デップの来日の機会が得られなかったため、伊藤さんを含め、逆に日本から海を越えて取材で会いに行き、それを機に、彼が来日をしてくれるようになったというエピソードだ。

戸田さんがエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた『すばらしき映画音楽たち』の中で、作曲家のジョン・デブニーは、ハンス・ジマーとその音楽について以下のように説明している。

「彼は革命児だ。弦楽器をギターのように使ってリズムを刻ませた。ものすごく面白い発想だ。史上初の試みだと思う。」[#19]

弦楽器をギターのように使ってリズムを刻ませるというアイデアは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズを通して、随所で聴くことができる。フィルフィルの演奏でも、その技法が再現され、会場を高揚感で包み込む。チェロのソロパートを今泉晃一さんが担当し、テンポ良く鋭さを感じさせる演奏を披露した。そして、『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』組曲で、広く知られているメロディ、リズム、ハーモニーが激しく絶妙に絡み合う。プログラムの最後に相応しい選曲であった。

アンコールでは、「トリビュート・トゥ・フィルム・コンポーザーズ」が演奏された。同楽曲は、フィルフィルのアンコール曲としてお馴染みである。あらゆる年代、作曲家の音楽で構成され、2002年の米アカデミー賞の授賞式の際に、ジョン・ウィリアムズの指揮によって演奏された楽曲だ。
さらに、次回公演の予告として、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』から「メイン・タイトル」が演奏されたが、その演奏前に、伊藤さんはマーティ・マクフライ、戸田さんはエメット・ブラウン博士(ドク)の衣装で登場した。戸田さんの衣装は、公演日の前日に楽団員が作ってくれたとのことである。次回は、“SCI-FI SPECTACULAR Best of Science-fiction Movies”と題して様々なSFの映画音楽が演奏される予定で、2019年7月7日に東京オペラシティコンサートホールにて開催される。

フィルフィルにとって、次回が第6回目の公演となるが、演奏曲目の詳細は追って発表になる。戸田さんは、毎回の公演を行う上での大きな問題として、オリジナルスコアのレンタルが非常に困難である点を挙げている。映画音楽の場合、クラシックの楽曲とは違い、著作権者が存命であることも少なくない。そのため、映画のための楽曲に関していえば、配給会社が権利を所有していることが多く、オリジナルスコアを演奏したいと望んでそのスコアを探し出したとしても、入手することは決して容易ではないのである。戸田さんは、毎回の演目を組み立てる上でかなり骨を折って様々なルートを辿って交渉をしてるが、金額的にも決して安くはない。
しかしながら、あまりにも多くのアレンジスコアが出回ってしまっている中で、オリジナルスコアの音を聴くという貴重な体験は、サントラが好きな人たちであれば心から望むことであろう。だから、戸田さんはオリジナルスコアをレンタルする苦労を惜しまない。そして、フィルフィルの楽団員たちは、そのことを理解した上で、一生に一度しか実現できないかもしれない楽曲の演奏に誠心誠意の態度で向き合っている。フィルフィルがいままでに演奏した曲の中にも、すでに演奏後に配給会社が商用としての規定を見直し、レンタルが廃止になったものもあるからだ。残念ながら、それらはオフィシャルが動かない限り、再び演奏することはできない。
以上のような難しい事情をクリアしながら、フィルフィルの演奏会の演目は決められている。戸田さんは、過去に演奏をしたくてもできなかった曲、プロの楽団ではないという理由から貸し出しを拒否された曲があったことも明かした。また、演奏会本番の3週間前にようやく到着してギリギリに練習した曲、奇跡的に作曲家から演奏の許諾をもらった曲もあるという。
戸田さんは、配給をはじめとするオリジナルスコアの権利を所有している会社が自由にオリジナルスコアに触れる機会を広げてほしいと切に願っている。ほとんどのオリジナルスコアは世に出ることがなく、倉庫に眠っているからだ。戸田さんは、作品で使われた後のオリジナルスコアの行方を心配している。

最後に、戸田さんはステージ上でフィルフィルを創設するきっかけとなった出来事を話してくれた。戸田さんが、アビー・ロード・スタジオで自身がオーケストレーションしたスコアをレコーディングした際のことである。劇伴の音楽制作はレコーディング間際まで時間との戦いで、作曲とオーケストレーション、スコアの準備が続き心身をボロボロにしながら書いたスコアであったが、不本意な完成度であった。自信が持てない状態で「こんなスコアで大丈夫でしょうか?」と提出したところ、「信子、ここからは私たちが世界一の音にしてあげるから何も心配しなくていい」とコンサートマスターから返事が返ってきた。レコーディングを終えると、本当に素晴らしい音楽ができあがっていた。戸田さんは、『ハリー・ポッター』や『スター・ウォーズ』といった演奏をこなすその卓越した演奏をしたスタジオミュージシャンたちが、ロンドンシンフォニーの首席奏者から、普段はタクシー運転手をしている奏者まで様々な人で構成されていたことを後から知った。
フィルフィルでは、プロフェッショナルとアマチュアの垣根を越えて演奏が行われている。戸田さんがアビー・ロード・スタジオで経験したことは、このことと結びついている。さらに、フィルフィルのメンバーたちの皆が、普段は必ずしも演奏家として活動をしていないことにも繋がる。この戸田さんのロンドンでの経験が、フィルフィルの基盤となるコンセプトの原型となっている。

【FILM SCORE PHILHARMONIC ORCHESTRAの各リンク】

ホームページ:https://www.filmscorephil.com/
Facebook:https://www.facebook.com/filmscorephil/
Twitter:https://twitter.com/filmscorephil
Instagram:https://www.instagram.com/filmscore_phil_orchestra/

参考:

[#1][#2][#4]パンフレット(「フィルムコンポーザーズシリーズ: ハンス・ジマー」)より
[#3][#5]https://www.facebook.com/filmscorephil/posts/2136169893101340
[#6][#7]https://www.facebook.com/filmscorephil/posts/2200832166635112
[#8]https://www.facebook.com/filmscorephil/posts/2298941713490823
[#9]https://twitter.com/filmscorephil/status/1104312825290190848
[#10]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105796395544403968
[#11]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105797764368064512
[#12]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105798328359346176
[#13]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105804287500668928
[#14]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105806095304425474
[#15][#16]https://twitter.com/nobuko_toda/status/1105807093875933186
[#17]https://www.cbc.ca/radio/q/blog/how-hans-zimmer-s-the-thin-red-line-score-redefined-hollywood-for-better-or-worse-1.4474661
[#18]https://soundworkscollection.com/post/darkknightrises
[#19]映画『すばらしき映画音楽たち』(2016年)より

宍戸明彦
World News部門担当。IndieKyoto暫定支部長。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程(前期課程)。現在、京都から映画を広げるべく、IndieKyoto暫定支部長として活動中。日々、映画音楽を聴きつつ、作品へ思いを寄せる。