buongiorno_notte1ベロッキオの映画を説明するのは難しい。扱う事件やテーマの鋭さ、フィクションの物語としてのおもしろさ、撮影や照明のかっこよさ、音楽や音響の斬新さ、とにかくどれもビシビシくる。なんというか、あらゆるところから脳を刺激する映画だ。映画的な愉しみに満ち満ちている。

1978年に起きた、イタリアの極左組織“赤い旅団”によるアルド・モーロ元首相誘拐殺人事件を扱った『夜よ、こんにちは』もすべてがかっこいい。この映画を観るまで私は、正直モーロ誘拐殺人事件のことは知らなかったのだが、イタリアでは知らぬ人はいない、日本でいうなら「あさま山荘事件」や「地下鉄サリン事件」のように、今でも人々の記憶に深く残っている出来事なのだろう。

映画のなかで当時のニュース映像が何度も用いられ、まるで実際の1978年にいるかのような錯覚に陥る。でも、だからといってこの映画は、ベロッキオの近年の他作品と同じく、忠実な史実映画ではけっしてない。

理念という盲目による犯罪。若者たちは労働者の理想の世界を目指し、モーロを監禁する。しかし、権力という敵の象徴であったはずのモーロは、抵抗することもなく、穏やかに諭すように彼らに話しかける。「人々は平和に生きたいのだ」と。ニュースでは政府がしきりに、旅団のことを殺人者、テロリストだと糾弾する。次第に彼らは迷い始める。「彼を殺すことが、本当に自分たちの理想の達成のために必要なのか?」

buongiorno-notte-021唯一の女性メンバー・キアラは職場である図書館で働き続けている。そこの同僚の青年がキアラの心をかき乱す。仕事はどこか不真面目で、戯曲(タイトルは「夜よ、こんにちは」)を書いて芸術を愛する普通の青年だ。キアラが事件の犯人だとは露知らず、旅団の行動はバカげていると一蹴する。史実とは一見関係のないこの青年こそが、ベロッキオの主張のような気がする。

ところで、私はこの映画を、キアラという女性の映画だといいたい。『愛の勝利を』でも『眠れる美女』でも、ベロッキオの女性の情の描き方は本当に素晴らしい。しっとりとしていて、でも勇ましい、愛の物語だ。

誰よりも旅団の信念を疑わず希望に燃えていたキアラが、実際のモーロを目の前にして動揺する。モーロという人物に興味を惹かれていくにつれて、この人を殺したくないという、とてもシンプルで人間的な感情が沸いてくる。

モーロがローマ法王をに宛てた手紙を朗読するのを聞いてキアラは静かに涙を流す。キアラが見る夢の中では、監禁されていたはずのモーロが家の中を動き回り、ついには外へ逃げ出して自由の身となる。切なくて、とても感動的なシーンだ。実際には事件発生から55日後に、モーロは無残にも殺されてしまう。夜明けの道路をすたすたと歩いてく彼の姿は、悲劇的な結末のなかでも不思議と希望に満ちていて、いつまでも忘れられない。

ちなみに私が本作で無性に好きなシーンは、誘拐が成功したことをキアラがテレビで確認する瞬間だ。まさに天の啓示のようなアリア(?)が突然鳴り響く。音楽の唐突さについ笑ってしまうのだが、キアラの歓喜をこれ以上ないほど表現していると思う。

もちろん『夜よ、こんにちは』のかっこよさはまだまだあります。ありすぎるので、あとはぜひ観て“かっこいいポイント”を発見してほしいです。


ベロッキオのレアな傑作2本が池袋新文芸坐で上映されます!
新文芸坐シネマテークVol.8 イタリアの怒れる巨匠/マルコ・ベロッキオ
3/18(金)『母の微笑』+講義(大寺眞輔)19:15開映
3/25(金)『エンリコ4世』+講義(大寺眞輔)19:15開映

第8回 新文芸坐シネマテーク


IMG_7266直井梓
早稲田松竹番組担当。大森生まれ多摩地区育ち。いくつかの映画館を渡り歩きいまに至る。CharaとB’zのモノマネが得意です。