何度も肩越しに振り返るが誰もいない。
しかし、彼の周りにいる人間たちが彼の動向をじっと見つめているのが映画の外に立つ私たちにははっきりわかる。

パリからアントワープにヨーロッパ横断特急、TEEに乗り込んだ映画監督と彼の助手、プロデューサーの三人組は車内で遭遇した怪しい動きの男エリアスに目をつける。物語を探していた三人の元へ転がり込んで来たこの人物はこの後、現実とフィクションの間で翻弄されていくことになる。麻薬の運び屋と彼を取り巻く敵ギャングの存在という設定から始まったはずなのにいつの間にか刑事や麻薬グループの一味であるエヴァの登場。コカインを届けるはずだったのにSMプレイが繰り広げられ、港で出会った青年の家に居候して、ホテルでは変わったメイドにに絡まれる。物語は四方八方に伸びていく。

監督の語りで主人公エリアスの運命があっちへこっちへと引っ張られていくのを目の当たりにできるのが今作の魅力だろう。彼が自分の存在を確認できるのは鏡に映る姿を見た時だけ。車内の背もたれの上に設置された鏡。洗面所。カフェの壁に設置された鏡。いたるところに出没する鏡の存在は現実かフィクションの狭間を揺れ動く主人公の唯一の重りのようだ。そこに映ればそれは確かに存在している。しかしその存在を確認している自分は果たして?

観客たちまでにどこまでが本当でどこからが嘘なのか、全くわからないのは今作が物語が作り上げられていく頭の中の「過程」を可視化したような作品だからかもしれない。映画の中に組み立てられていく映画。まだ定まらない方向性の中で何度も登場してくる存在、テーマやオブジェクトが確立されていくことで作品が次第に出来上がっていく。物語の語り手となるはずの冒頭と間に登場する映画監督、助手、プロデューサーたちのやり取りを聞いているその場で作品が作られていっているのがわかる。

現実の世界を観察し、それらの要素を拾って想像の世界に放り込んでいく。そして想像の世界で動き始めた実際に存在している人物自身もまた想像する。夢を見る。鏡の中に映り込んだもう一人の自分がまたもう一人の自分を眺めてと永遠に続いていく巨大なループから抜け出すことができない。どの人物もそれぞれの世界の中では歩いて走って呼吸をして、確かに存在している。そこに「在る」のだ。

現実とフィクションとがうっかり繋がってしまった。流れていく車窓からの景色は世界の不確実性。特急に乗るわたしたちはここの世界からあちらの世界へと旅をしているだけで、全部同時に可能性としてそこにある。見るか見ないか、嘘か本当か。私たちには自分の見たいものしか見えない。

『ヨーロッパ横断特急』
監督・脚本:アラン・ロブ=グリエ
編集:ボブ・ウェイド
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン(『男と女』『狼は天使の匂い』)、マリー=フランス・ピジェ(『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』『さよならの微笑』)、クリスチャン・バルビエール(『影の軍隊』)

1966年/フランス=ベルギー/モノクロ/ヴィスタ/95分/DCP
原題:TRANS-EUROP-EXPRESS  日本後字幕:金澤壮子
(c)1966 IMEC

アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ公式HP
http://www.zaziefilms.com/arg2018/index.html

シアター・イメージフォーラム
http://www.imageforum.co.jp/theatre/

mugiho
夜の街を彷徨い、月を見上げ、人間観察をしながらたまにそれらについて書いたり撮ったり