わたしはマグリットの絵が好きだ。

 
マグリットの絵の中に、一度お邪魔してみたいとは思っていた。
あのボーラー帽のおじさんに挨拶をしてみたいし、顔が空だったり身体だったりする人に触ってみたかったし。
でも、マグリットの作品の中に住む人たちが、そんな簡単に出迎えてくれるわけがない。
 
『囚われの美女』を観れば、一目瞭然なのである。
 
 
 
 
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ある組織の運び屋をしているスーツ姿の男、ヴァルテルは、バーで名前を失くしたという女と出逢う。
(名前を失くしたなんて言ってみたい台詞。でも、マグリットの絵の中の人だったら平気で名前なんて失くしそう。)
その女の美しさに心奪われるヴァルテルだが、組織のボスらしきサラの電話を取っている間に、女を見失ってしまう。
 
サラの指示で任務を遂行しようとバーを後にし、車に乗るヴァルテルだが、そう簡単にはいかない。
車を走らせていると、またその女と出逢う。それは予期せぬ再会であった。
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いや、予期せぬことしかこの映画では起こらない。
というより、予期したところで全くそれは的外れだし、多分、そもそも的がない。
 
唯一、『囚われの美女』というマグリットの絵画には、わたしの思う美女はいないけれど、
この映画には、美女が存在している、ぐらいだ。
そして、『囚われの美女』という絵画には描かれない靴が、この映画では何度も登場する。あちこちに。
しかも同じ靴。黒いヒールの。
 
その靴は、女の靴で、再会したときにも脱げていた。映画のいたるところに脱ぎ散らかしているその靴。
靴は、わたしたちが外に出るとき必ず履くけれど、多分彼女には靴は必要ないんだろう。
むしろ、彼女以外の人物の方が、その靴が欲しそうに存在する。
 
 
私も一度、白いスニーカーで、マジックテープで止められるようなつくりのものが欲しいと思って、zozotownなんかで調べていた。
結局買うのをあきらめていた時、なんと、近くの神社に落ちていた。というより置いてあった。欲しい人はどうぞ、というメッセージ付きで。
一度は通り過ぎたものの、どうしても気になって、結局家に持ち帰って、時々履いている。
その靴を履くときは、少し緊張するんだけど、ヴァルテルも靴を見つけるたびに、緊張したんじゃないかな?
その靴を置いていった人を、彼女を想像して。
 
人が身につけるものには、その物の持つ魅力の他に、人の気配を、色気を感じる。
新品で並ぶ商品にも、同じ興味を示した人の目線や、なんなら試着した人もいるに違いない、とか。
ロブ=グリエの小説は、読んだことがないのだけど、対物的(オブジェクティブ)な文学と評された、という解説だけを読むととても冷たい印象がある。
だけど、この映画を観ると、その物に対する欲求や、好奇心が、どんどん現れてくる。
 
ヴァルテルなんか、顔が青白くて全然元気がなさそうなくせして、その魅力的な彼女の残したもの、関連したものに執着し、着ているコートにどんどんその品物を納めていくのだ。
表情は全くうれしそうじゃないけれど、むしろ、物たちの罠に、わざとハマっているみたい。
 
その執着はしかし、あまり良くはないかもしれない。
ヴァルテルは、映画の最後、その青白い顔にぴったりなシュチュエーションに、真っ向出逢ってしまうのだから。
 
 
ヴァルテルはどこで間違ったのか、マグリットの絵から出られなくなったようだ。
私ももしこの世界に不意に入ってしまったら、青白い顔になって、白いスニーカーを何個も見つけてしまうのかもしれない。怖いとか思いながらも、想像するとやっぱりワクワクするのだから、欲求って、恐ろしい。
 
 
「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」が11月23日より、イメージフォーラムにて開催します!
『囚われの美女』以外の作品は、どれも日本劇場正式初公開だそう。
IndieTokyoでは、他の作品のレビューをどしどしアップしていく予定です。
こちらもお見逃しなく!
 
 
アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ公式HP
http://www.zaziefilms.com/arg2018/index.html
シアター・イメージフォーラム
http://www.imageforum.co.jp/theatre/
 

住本尚子 イベント部門担当。 広島出身、多摩美術大学版画科卒業。映像とイラスト制作しています。