本記事ではクロアチア出身アントネータ・アラマット・クシヤノヴィッチ監督の初の長編作品『ムリナ』を紹介する。

カメラは海の美しい青を映している。その青のなかをすいすいと優美に泳いでいくのは17歳の少女ユリアである。彼女は両親とともに、クロアチアの島に暮らしている。島の名士であるらしい彼女の父アンテは封建的で、自分勝手に家を支配しようとする。母ネラはかつて島のミスコンテストで優勝したとも言われている美貌を備えているが、強権的な夫のもとではその美貌にも陰りがある。抑圧された環境下にあるユリアの表情は乏しく、島に建つ立派な邸宅もどこか要塞のように見える。原題の『Murina』は「ウツボ」という意味であり、ユリアはアンテに連れられて度々素潜りのウツボ漁をする。


©Antitalent_RTFeatures

島内の閉じられた生活環境は、アンテの旧友であるハビエルの来訪をきっかけにして姿を変え始める。ハビエルは世界を股にかけて活躍するビジネスマンであり、資産家でもある。リゾート開発の視察と休暇を兼ねて、島にしばらく滞在することになる。頑固で怒りっぽいアンテと対照的に、ハビエルは柔軟で優しげな態度を見せる。アンテが耳に逆らう言動をするたびに、ハビエルはネラとユリアに共犯者のような目くばせをする。そんなハビエルにユリアは次第に心を開き、好感を持つようになる。ネラとハビエルも親しげな雰囲気を醸し出している。2人はかつて、交際していたことがあるらしかった。家族3人にハビエルを加えた4人は共に島内を巡る。アンテが場を離れたとき、ユリアとネラは緊迫感から解放されてハビエルと3人で和やかな時間を過ごす。それは絵に描いたように穏やかな家族の時間のように映る。アンテが戻ると場に再び緊張が走る。アンテはネラとユリアがハビエルに好感を持っているのを良く思っておらず、以前にも増して怒りっぽくなっていた。

ユリアは母と共に、ハビエルに島の外へ連れ出してもらうことを願う。ネラはそんなユリアに対して、その考えは馬鹿げているという。ハビエルの自分たちへの好意はほんの火遊びにすぎないのだからと。母の忠告にも反発しハビエルに接近するユリア。アンテの怒りはついに頂点に達し、ユリアを自宅の一室に閉じ込めてしまう。脱出を試みるユリアは床下の洞窟に落ちる。昼間には柔らかく包み込みこむようだった青い海が、夜間には突き刺すように黒く揺れているのが印象的であった。ユリアは助けを求めるように名前を叫ぶ。まずはハビエル、次に母、そして躊躇うようにしばらく間をとったあとに父の名を。

強権的な庇護から逃れるためにまた別の庇護のもとへと入っていかざるを得ない窮屈さを暗い洞窟が象徴しているようだった。ユリアは洞窟の暗闇から光を見つけることが出来るのか。広々とした青い海にただ1人で悠々と、いつまでも泳いでいくエンディングロールのユリアの姿が雄弁に返答をする。

≪作品情報≫
『ムリナ』
クロアチア・ブラジル・アメリカ・スロベニア
2021/カラー/96分/クロアチア語・英語
原題:Murina
監督:アントネータ・アラマット・クシヤノヴィッチ
出演:ユリア…グラシヤ・フィリポヴィッチ
   ネラ…ダニカ・カーチック
   ハビエル…クリフ・カーティス
   アンテ…レオン・ルチェフ

川窪亜都
2000年生まれ。都内の大学で哲学を勉強しています。散歩が好きです。