本記事では、ブルガリア発、自然の中で生きる一人の男の人生を描いた『二月』と、ソ連最大の労働蜂起を扱ったロシア映画『親愛なる同志たちへ』を紹介する。

 

『二月』

ブルガリア南東部、トルコの国境に近いラズデルで生きるひとりの男の人生を美しい映像で綴っていく本作。

8歳、主人公ペタルは夏のあいだ人里離れた祖父の家に預けられる。羊飼いである祖父と二人きりの生活。口数の少ない祖父と交わされるごくわずかな会話。未だ言葉にされ得ない、森での未知の経験。
18歳、結婚してすぐに兵役を迎える。海軍の制服を着て隊列を組む新たな生活が始まる。しかし彼はカリブ海の聖イワン島を一人で歩き回り、カモメたちを見つめ続けている。詩と出会い、羊飼いの家に生まれた彼のアイデンティティが浮き彫りにされる。
82歳、羊飼いとして人里離れた家に一人住む老人。老人クラブでコーヒーを飲むようなことはしない。厳しい寒さの中、一人羊の世話しながら生活を営む。

一人の男の人生を3つのパートに分けて描くことで、人生はある程度前もって定められていること、自然の法則に沿って進んで行くことを表現したという本作。この男のモデルとなったのは監督カメン・カレフの祖父である。劇中に登場する辺境地の小屋や海軍基地、老後の決断など、今作の多くの要素が実際の祖父の経験に基づいたものだ。

「映像と音を通じ、映画が投げかける問いに対して、観客が自らの答えを見つけるような作品」を好むというカレフ監督。8歳の少年は、いつ村に帰ることができるのかと祖父に尋ねる。兵隊の上官は、羊飼いなどではなく将校にならないかと青年に勧める。姉は老人に、そろそろ羊を売らないのかと尋ねる。そして私たちは本作に、彼はいったい何をみつめているのだろうかと問う。
本作においては、家族や友人との会話、働いて家族を養った中年期、我々が人生について語る時に登場するだろう多くの事柄が、すべて画面の外に追い出されている。無言の時間。一人の時間。自然を見つめる時間。常に私たちの背後に存在しながら見逃されていく、永遠にも思えるような、単調な、しかし神秘の宿る時間。美しい映像と音楽、引用されるテクストとナレーションに導かれ、我々はそうした風景の中に連れ戻される。幼少期に出会ったはずの神秘的な存在は、我々とさほど遠いものではなく、私たちの背景に常に存在している。

カメン・カレフ監督は、ブルガリア出身の映画監督だ。初監督作品『ソフィアの夜明け』(2009)はカンヌ映画祭監督週間に入選し、その後東京国際映画祭作品賞、および監督賞を獲得した。短編作品『My Dear Night』は『The Bridges of Sarajevo』(2014)のオープニング作品となり、カンヌ映画祭に正式出品。今作も同映画祭のカンヌ2020に選出されている。

《作品情報》
英題:February ブルガリア、フランス/2020/カラー/125分/ブルガリア語
監督・脚本・撮影・編集・プロデューサー:カメン・カレフ

 

『親愛なる同志たちへ』

舞台は1962年、ソ連南部の街ノボチェルカッスク。物資の不足と物価上昇で市民の不満は募り、労働者の怒りは爆発寸前だ。一方、役所勤務で共産党員のリューダは、男性にも政治主張にも手厳しい。物資不足で混乱する街をさっそうと歩き、朝から職場に向かう。
本作は1962年に実際に起こったソ連時代最大級の労働者蜂起を一人の母親の視点から描いた作品だ。不安定な情勢の中で事態は徐々に悪化してゆき、一組の親子が混乱の渦に巻き込まれていく。

「誰が敵で誰が見方だかわからなくなってしまった」
戦後のソ連社会はある矛盾を抱えてきた。それでもリューダは共産主義を信じている。戦時中は国のために前線で看護師をし、戦後は共産党の市政委員として働きながら女手一つで娘を育ててきた。そんな彼女にとって、共産主義の他に信じるものはない。一方戦後生まれの娘は工場で働く労働者だ。他の多くの工場勤務者と同様、まさしく労働者として立ち上がることを選ぶ。

「なぜ共産主義の国でストが起こる?」「この国は民主主義の国家のはずだ」
国家の抱える矛盾が大きく爆発し惨状を招いたこの事件を、そしてその後のソ連社会を、この一組の母親と娘が体現している。徐々に問題は大きくなり、気づいたときには既に遅い。「同志よ!」という呼びかけはもはや意味を持たないが、その言葉を載せたメロディーだけは決して頭から離れない。

ソビエト軍とKGB工作員によって26人の工場労働者が射殺された戦後最大の労働者抗議。しかしその虐殺が明らかになったのは30年後、1992年のことであった。本作では実際にこの事件で調査を行った担当官も脚本に協力しているという。モノクロで描き出される当時のソ連の街なみに、30年間沈黙していた、しかしそこで実際に生きていた人々の存在が、確かに記録されていた。

監督のアンドレイ・コチャロフスキーは今年で83歳になる。しかしながら、近年も主題やスタイルを作品ごとに自在に変えて映画製作を続けている。2014年の『白夜と配達人』、2017年の『パラダイス』では連続してヴェネチア映画祭の監督賞を受賞し、本作も同映画祭で審査員特別賞を受賞している。国家を体現する母親を演じたのは、監督の近作に欠かせない存在であり、実生活でも夫婦のユリア・ヴィソツカヤだ。

《作品情報》
英題:Dear Comrades!/ロシア/モノクロ/121分/ロシア語
監督・脚本・プロデューサー:アンドレイ・コチャロフスキー
脚本:エレナ・キセレヴァ
撮影監督:アンドレイ・ナイデノフ
編集:セルゲイ・タラスキン、カラリーナ・マチーエフスカ

 

 

小野花菜 現在文学部に在籍している大学3年生です。趣味は映画と海外ドラマ、知らない街を歩くこと。