第22回東京フィルメックス。本記事では、11月3日(水)に上映された『アヘドの膝』を紹介します。

『アヘドの膝』Ahed’s Knee [Ha’berech]

フランス、ドイツ、イスラエル / 2021 / 109分
監督:ナダヴ・ラピド ( Nadav LAPID )

  雨が降る黄土色の空の下、バイクは車と車のあいだを縫うようにすり抜け、猛スピードで道路を駆け抜けていく。バイクを停め、建物の中へと入っていくボディスーツの人物。ヘルメットを外し、身体を覆うボディスーツのジッパーを下ろすとアフロヘアーの女性があらわれ、彼女は喋り、歌を歌い始める。それは、パレスチナ人活動家のアヘド・タミミを題材とした新作映画のオーディションであった。

 映画監督のYは、自分の映画の上映会のため、イスラエルのアラバ砂漠付近にある小さな村へと向かう。現地に到着すると、Yのファンであり文化省で働く図書館の副館長ヤハロムに出迎えられる。上映会までの時間、Yは彼女が用意した家で彼女の話を聞きながら待機することになる。

 本作で特徴的なのが、通例(≒古典的ハリウッド映画)なら複数のカットによってつながれるショットが、長回しによる素早いパンやティルトによって撮影されている点である(また音のつなぎ方も滑らかになされている)。長回しでくるくると縦横無尽に移動するカメラワークのあまりの執拗さはおかしみもあるが、ハラスメントとさえ感じられるほどである。たとえば、二人でソファーに寝そべりながらヤハロムの話を聞いているあいだ、カメラはクロースアップで彼女の顔をとらえるのだが、話の途中で彼女の顔を離れて別の場所を映し、それからふたたび彼女の顔へと戻ってくる。そのような上下左右へのパンやティルトが何度か繰り返される。Yの主観ショットのようなこうしたカメラワークは、話を聞いているそぶりを見せながらも、そのじつ彼女の話にあまり興味がなく、他の何ごとかを意識している注意散漫さが表現されている。

 面食らってなかなか飲み込めなかったのは、誠実な女性に対する高慢で高圧的な態度(それは前述の執拗なクロースアップの長回しにおいてもあらわれている)のほか、Yのイスラエル国家に対する直接的な批判にも由来するだろう。ヤハロムは上映会での講演のテーマを、政府から提示される選択肢の中から選ぶようYにお願いするのだが、彼はそれをいったんは許容したふりをしつつ観客の面前でそれに激怒してみせる。なぜならYの映画のテーマはイスラエル国家批判であり、パレスチナの膝を撃ち抜くものに対する怒りなのだから。

 しかしYはそのあまりに大きなテーマに対して自分でもどのようになすべきなのかわからず(母への電話はディアスポラ性の表現なのだろうか?)、であるからこそ感情を爆発させるのだが、ここで、長回しによる区切られることのないショット(あるいは滑らかなモンタージュ)と、Yの国民国家批判は一致するかもしれない。イスラエルに生まれ「自分の中のイスラエルを吐き捨てたい」と語るYの願いは、国民とそうではないものとを分割する線を吐き出すこと、あるいは滑らかに結びつけることでもあるのではないか。

 イスラエル出身で、兵役後に亡命し現在はフランスで活動しているナダヴ・ラピドの長編第四作である『アヘドの膝』は、カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、審査員特別賞を受賞している。エリック・ロメールの作品を示唆するタイトルの「アヘド」とは、イスラエル兵を平手打ちしたことで逮捕されたパレスチナ人活動家のアヘド・タミミのことであり、「膝」とは、イスラエルの極右政治家ベザレル・スモトリッチが、事件に関してTwitter上で「彼女は少なくとも膝を撃たれるべきだった」と発言したことに由来する。

『アヘドの膝』Ahed’s Knee
2021年 / カラー / 109分 / ヘブライ語 / フランス、ドイツ、イスラエル
監督:ナダヴ・ラピド ( Nadav LAPID )
出演:アブシャロム・ポラック
   ヌア・フィバク
   ヨラム・ホニッグ

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。