第21回東京フィルメックス。本記事では、11月1日(日)に上映されたアディルハン・イェルジャノフ『イエローキャット』、アモス・ギタイ『ハイファの夜』を紹介します。

『イエローキャット』Yellow Cat

カザフスタン・フランス/2020/ 90分

監督:アディルハン・イェルジャノフ(Adilkhan YELZHANOV)

 黄色のアロハシャツと中折れ帽を身にまとう主人公ケルメクは、刑務所から出てきたばかり。職探しのため、彼は小さな食料品店へと向かう。採用面接で「何ができるか」と聞かれた彼は、二人の面接官の前で、ジャン=ピエール・メルヴィル『サムライ』の主人公を演じたアラン・ドロンのパントマイムを披露する。それは、孤児院で育った彼の憧れだった。無事、食料品店に採用されたケルメクだったが、不器用なせいで買い物袋をすばやく広げることが出来ず、客を待たせてしまう。そのうえ、腐敗した地元の警察官によって食料品店を解雇されてしまう。警察官には別の計画があった。ギャングとの取引のため、ケルメクは警察官に同行させられることになる。

 本作は、アディルハン・イェルジャノフの最新作である。カザフスタンの草原地帯を舞台に、叔父が所有する草原地帯に道中に出会った娼婦のエヴァとともに映画館を開こうとする主人公の苦闘が、ブラック・ユーモアかつコメディ・タッチで描かれている。これまでイェルジャノフの作品の多くはさまざまな国際映画祭に選ばれており、本作もヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映された。

 全七章、長回しの固定カメラでとらえられた本作は、カネと権力に塗れた愚かなものたちと、そうしたものたちを拒絶し自由を希求する二人の逃避行物語である。一見奇妙とも思われる主人公ケルメクは、権力者が要請するような規範的で典型的な人物ではない。孤児院で育ったケルメクにとって、映画の主人公は欲望の対象であり自分自身でもある。あらゆるものを包摂し隷属させようとする運動から逃れながら、映画館という自己自身を投影する場をもとめる存在である。終始ゆるやかな雰囲気で構成されており、上述の『サムライ』以外にも、ジーン・ケリーの『雨に唄えば』や、アーサー・ペン『俺たちに明日はない』、テレンス・マリックの『地獄の逃避行』など、さまざまな作品のオマージュやパロディが登場する。仮設の映画館、手作りの小さなスクリーンの前、エヴァに向かって『雨に唄えば』のジーン・ケリーになりきり踊るケルメクの姿が強く印象に残る。

 

『ハイファの夜』Laila in Haifa

イスラエル、フランス/2020 /99分

監督:アモス・ギタイ(Amos GITAI)

 イスラエル第三の都市ハイファの夜。イスラエル人写真家ジルが車から降りると、3人の男性によって襲撃される。ジルが路上で痛みに悶えていると、ギャラリーで働くパレスチナ人女性のライラが介抱にやってくる。肩を抱き、二人がすぐそばのナイトクラブに入っていくと、冒頭から長回しのカメラもまた移動しながら店内へと侵入する。カメラがバーカウンターを映し、それから二階へと上昇していくと、階段を昇りきったジルとライラの姿をとらえる。ライラがジルをソファに座らせるとまもなく、二人は抱きあい絡みあう。

 ヴェネチア映画祭のコンペティションに選出された本作は、ハイファのナイトクラブに集うさまざまな人々を描いた作品である。この映画の主役と言ってもよい線路沿いのギャラリー兼ナイトクラブは、アモス・ギタイの故郷であるハイファに実際に存在する場所である[1]。

 前作『エルサレムの路面電車』に続いて、イスラエルの都市で生きるものたちの群像を描く三部作の第二作であり、撮影を担当したのは前作と同様エリック・ゴーティエである。ナイトクラブという場を中心に据え、群像を展開することで、ギタイはパレスチナ/イスラエル、あるいはアラブ/ユダヤというような切れ目を解きほぐそうと試みる――そうした混淆がパレスチナ問題の解決の糸口となりうるのかは疑問だが――のだが、それは映画の冒頭から二人が抱き合うまで切れ目のない一つづきの長回しショットを展開することにおいても現れている。

[1]http://www.intereurop.fr/2019/10/18/laila-in-haifa/

 

板井 仁
大学院で映画を研究しています。辛いものが好きですが、胃腸が弱いです。