Bella_addormentata_2012

死者に死を望んでいたのかということを聞くことはできない。
だがしかし、死に際にある人を見て、私たちはそのときに決めることができるのだろうか。
彼らに死を選ばせても良いのだろうか。死の権利とは、そしてそこから対照的に描かれる
「生きる」ということとは。そんな問いを3つの視点から描く本作『眠れる美女』

17年間、植物状態で生き続けていたエルアーナという女性の延命装置を外すという判断を父親が下し、これをめぐり政府と司法で対立が起こる。司法は彼女の延命装置を外す権利に同意したが、バチカンと首相が反対するという形になった。実際にイタリアで2009年にあった出来事であり、尊厳死、死ぬ権利というものについて多くの国民が考えさせられた事件であった。それを主軸にしながら、三つの物語が展開されていく。

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尊厳死に反対の法案を提出する側の党員とその娘の物語。彼は昔に、妻から自分の延命装置を止めて欲しいという要望に応え、それを止めたという過去があり娘はそれに対してずっと怒りを抱いていた。それでも父親は、苦しみを逃れる権利、死ぬ権利というのはあるべきだと考え娘と激しく対立している。一方娘は自分の母親の死をきっかけに、延命装置を外すということに強く反対しており、各地で行われている反対運動に参加する。しかし、その運動の向こう岸に立っていた青年に恋をすると、彼女の見える世界が少しずつ変化していく。

場面は変わり、病院で手首を切って自殺しようとするドラッグ中毒の女性が現れる。それを止めに入った医師は幾度ともなく死の世界へ渡ろうとする彼女をこの世界に止め続ける。それは死の権利を認めないという政治的宗教的現状とシンクロしていく。

そして、元大女優であり、母親である女性と昏睡状態にある娘、彼女の夫と息子のひとつの家族が登場する。母親は娘の看病に付きっきりで、カトリックとして娘がいつか目を覚ますという奇跡を信じ続け、聖母のように祈り続けている。夫と息子の存在にすら目を向けることができなくなってしまった彼女の悲痛な姿を息子との関係から描き出していく。

これらの物語は一つずつ語られ完結していくのではなく、並行して進んでいくことに大きな意味がある。それは一人の死ぬ権利というものが、全く違うバックグラウンドを持った人々たちの間でどのように受け止められていったのかということを描きたかったからかもしれない。イタリアという、圧倒的にカトリックが信仰を占める国において、死を選ぶ人々たちはどのような立場に立ち、心の葛藤と戦うのだろうか。一方で、神を信じて疑わず、祈り続ける人々は何を思っていたのか。それらの二つの極地的なものが描かれてこそ、この作品には意味があるのかもしれない。

暗い部屋、教会、大浴場、そして雨の中祈る尊厳死反対派の群衆たち。それらの影の奥から何かを見つめようとするその目をまっすぐに映していく。そこからは希望や悲しみ、絶望、怒りなどあらゆる感情が渦巻いているのを感じることができるのは、言葉では表現できない複雑なものがそれぞれにあるからではないだろうか。父親は深く愛していた妻の死を目前にした瞬間を思い出し、自分でその鼓動を止めたということへの自責と、同時に彼女を自由にしたというふたつが入り混じっている。娘は母親の死という父親のひとつの側しか見えておらず、そこから対立が生じている。母親の死の場面は真っ白で、今までの暗闇は微塵もない。光が差し、母親の顔に生気はない。彼女はいまにも向こう側へ渡ってしまいそうだ。

生きたくてもそれを手放す以外に方法がないエルアーナなどの状況から対照的なドラッグ中毒の女性は手首には幾つもの自傷行為の跡、やつれた姿からは生きることへの絶望が表される。だが、同時に医師と対話していくことで、彼女はどこかで踏みとどまろうとする。

この作品は、あらゆる場面で対照性を用い、私たちが普段見ている一面だけの世界を崩していく。世界には様々な立場、環境、過去を抱えた多種多様な人間がいて、自分たちが普段どれだけ狭い世界に生きているのか、善悪の判断の無意味さを示してくる。生きたいと願い、苦しみから逃れたいと思う。死の権利という究極的なテーマを追求していくことによって、私たちのコアにあるものを描き出していくのである。

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ベロッキオのレアな傑作2本が池袋新文芸坐で上映されます!
新文芸坐シネマテークVol.8 イタリアの怒れる巨匠/マルコ・ベロッキオ
3/18(金)『母の微笑』+講義(大寺眞輔)19:15開映
3/25(金)『エンリコ4世』+講義(大寺眞輔)19:15開映

第8回 新文芸坐シネマテーク


mugiho
早稲田大学在学中。
日本国内を南から北へ、そして南半球の国を行き来していまはとりあえず東京に落ち着いています。ただただ映画・活字・音楽・書くことが好きな人間です。物語を語るということが好きなものにすべて共通していて映画もそこに一番惹かれます。