『函館珈琲』は「映画を創る映画祭」として2013年度シナリオ大賞函館市長賞を受賞した、いとう菜のはの脚本を西尾孔志が監督した作品である。第22回 函館港イルミナシオン映画祭は幕を閉じたが、2017年1月14日からは横浜ジャック&ベティでの上映が決定している。

函館と西尾監督とのゆかりや、前作の『ソウル・フラワー・トレイン』の演出論について、インタビューを行った。

※こぼれ話は住本さんのイラストレポートでお楽しみ下さい。

http://indietokyo.com/?event_blog=【番外編】『函館珈琲』西尾孔志監督インタビュ

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── イルミナシオン映画祭

住本:監督は函館にゆかりはあるんですか?

西尾:『イルミナシオン映画祭』というのがあって、ずっとシナリオ大賞をやっているんです。初期の頃は最優秀賞を映画化することを結構熱心にやっていたんですが、それは例えば東京のプロダクションに依頼をしてそこで作るというスタンスだったんです。『函館珈琲』は初めて映画祭が自分たちでお金を集めて、スタッフとして参加した作品です。そして、このやり方でこれからも続けていくぞっていう宣言作品です。これから10本は作りますって宣言していました。『ソウル・フラワー・トレイン』と『キッチン・ドライブ』という映画を連続して上映に選んでもらったので、何回も行くうちに映画祭の雰囲気とかも気に入って、映画祭の人と仲良くなりました。自分も映画祭をやっていたせいで「映画も見るけれど飲みにいったりするのもいいよね」「映画祭に行くなら飲むよね」って飲みまくっていたら気に入られて、監督やらないかという話になりました。

住本:わたし『ソウル・フラワー・トレイン』を上映する時にイルミナシオン映画祭に行きました。行った時の出来事が、年を重ねるにつれて思い出になっていく感じが函館にはあるなぁと思いました。函館が舞台の映画を観て、ああ、そうだったよなとまた思い返す街だなと。

西尾:今回の映画よりも予算は大きいですが、函館を舞台にした作品だと今まで佐藤泰志さん原作の映画が3本ありますよね。映画が好きな人にとってはあのイメージがあって、ちょっと寂れていて、人が離れていく町みたいなイメージなんですよね。でも実際に行くと、けっこう陽気でみんなお酒も好きなので、北海道のラテンだってみんな言っていました。それが自分の見ていた函館なんで、その感じは脚本に盛り込みたいなと思いましたね。

住本:函館に移住される方も多いんですか?

西尾:京都に神社があるように、函館にも函館山とか名所もあります。夜景も綺麗ですし、食べ物がおいしいので今圧倒的に人気ですね。準備で函館に行って1ヶ月ぐらい住んでましたけど、住んでみたくなる町だなと思いましたよ。4、5日で帰るにはもったいないと思います。

── 函館は放っておいてくれる。西尾孔志は放っておかない。

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住本:台詞で「函館は放っておいてくれる」って言ってたじゃないですか。そういうところがある街なんですか?

西尾:そうですね、放っておいてくれるというか優しさのある町だと思いますね。寂れたところがあるからなのか、人が優しくて、傷ついている人なんかを優しく放置してくれる。そのまま置いておいてくれる感じがあるんじゃないかなと。いとう菜のはさんの脚本に最初からそういう台詞がありました。

 

上田:『函館珈琲』には、どのシーンのどのカットでも躍動感があるというか、ドキドキする瞬間があるなと思いました。自転車のシーンでも追いかけっこさせるとか、シナリオに自転車で追いかけっこするとは書いていたか分からないですが、そういうサービス精神が常にあるなと思って、それがすごい好きです。

西尾:サービス精神は、ありますね。

上田:例えばこういう静かなイメージの映画で残念に思うところって、何も起こらずに静かに見ちゃうところなんです。監督はそうではなくて所々に常に工夫があって、楽しませようとしているところがあって、すごく丁寧な方だなと。

西尾:動きに関して言うと、元々イルミナシオン映画祭で大賞を取ったシナリオというのがあって、依頼を受けて監督をするんですが、もちろん筆は入れました。脚本のいとうさんとプロデューサーに送って、意見をもらって、いとうさんが直すというやりとりを何回も繰り返しました。やりとりの中で多かったのは、自分が動きを過剰に盛り込みすぎたものをプロデューサーがちょっとうるさいと言って削っていくことだったんです。一番言われた時には、俺は関西の人間なんで「函館なのに全員関西人みたい」って。自分からしたら函館だろうが大阪だろうが、自分の映画の登場人物はコロコロ動いておいてほしいて言うのがあるので、自分の癖だろうとは思うんですよね。プロデューサーは函館の落ち着いた静かな時間を撮ってほしいと言われていたようで、ずっと動いていると困るみたいで。例えばさっきおっしゃられた自転車のところなんですけど、あんな風に土手に座るという割とベタなところに落ち着くんですが、本当は桧山の方が相澤を急にくるっと押し倒して、地面ドンをやるっていう冗談をしながらしゃべったりするっていうものでした。ちょっとゲイっぽいんですけど。

上田:なんかちょっとゲイっぽいですよね、片岡礼子さんが出てるから『ハッシュ!』(2001)を思い出しちゃっただけなのか、不思議と。

西尾:今回、脚本のいとうさんは恋愛を盛り込みたくないようで、じゃあこの辺くらいまではどうですか?みたいな感じで結構戦いました。それで例えば本を間に挟むキス未遂を入れたりする訳ですよ。ベットシーンがだめだったらキスシーンはどうですか?キスシーンがだめだったらこういうキス未遂シーンはどうですか?というやりとりはしていました。自分は、人が直接的にぶつかり合う何かが無いとこの映画は弱いと思っていたんですが、元々の本はあまりぶつからなくてむしろ優しい人たちという感じでした。最近だとそっちの方がヒットするかもしれないんですけど、自分は人と人が台詞だけじゃなくて肉体的にも多少ぶつかったりしないと、映画を見た気がしない人間なんです。それで、そういうアイディアがわんさか浮かんじゃうんですよね。

上田:明確にはどっちか分からないんですけど、テディベアの彼(相澤)が、(もしかしたら両方にそういう感情があるのか)どちらかというと片岡さん(堀池)の方に恋愛感情があるように見えました。

西尾:僕が書いたときまでは、相澤が出て行くときに「一緒に来ない?」って言うシーンがサラッとあるんです。でも、それはいとうさんの中で恋愛要素が強くなるし、この映画は恋愛だと思ってないという事なのでそこはナシにしました。でも僕がやると直接的に見せすぎたかもしれないので、結果的に匂わすくらいで、そこは共同作業での落としどころとしても良かったかなとおもっています。

上田:最後に相澤が自分の部屋を見に行って、ちらっとだけ桧山と市子の話しているところを見るんですが、人間関係が今の感情ではなく、思い出に変化しているなと思いました。

西尾:結構人物の役割を明確にしていて、翡翠館というのを30代ぐらいの人のモラトリアムの移行期の場所と考えていました。新しくやってくる人が桧山で、そこを出て行く人が相澤、そこをなかなか出られないというのが片岡さん扮する市子という役で、そこを守っている人が夏樹陽子さん扮する時子っていう人で、それを引き継ぐのが佐和という役です。自分の中では役割を明確にした上でエピソードを作っていこうと思っていました。脱落した人っていうのが実は1人いたんですが、それが今回はボリューム増えちゃってカットしたところです。

── 西尾孔志監督の演出術

高橋:撮影は何日間なんですか?

西尾:10日間ですね、2週間無かったです。普通大作とかだったら1ヶ月半、こういうドラマだったら3週間ぐらいかなぁ、低予算だと2週間ぐらいなんですが、その規模ですね。それでも徹夜で撮影はしてないですし、翡翠館が中心なのでどんな時間でも撮れるものがあるから、割と集中して撮れました。ただわりと一つの場所で映画が作られるのが好きじゃないんです。翡翠館があるからには翡翠館じゃないところの外の部分をいっぱい描きたいっていうのがあったので、スタッフに負担になるので申し訳ないなとは思ったんですけど、外に行かないと風通しが悪くなっちゃうし、家の中だけだとずっと重々しいから予定よりも移動がありました。

一個僕の悩みがあって『ソウル・フラワー・トレイン』も『函館珈琲』もそうなんですが、傘さしてるシーンで喋ってる最中に傘が折れる。あれは本番中に本当に風が吹いて、誰も演技をやめなかったんです。カットをかけると演者はNGでしたねって言ったんですけど、「いや、これが一番良かったでしょ」って、実際見たらこのシーンはまるで心理表現みたいに傘が開くんですよね。やり過ぎなくらいの感じですけど。外だから、偶然撮れたものかもしれないけどそういうのが好きなんですよね。ある心理表現の中でちょっと過剰かもしれないけれど、何かがパッと起こった瞬間が好きで、まさしくカメラの前で何か起こるわけですから、これは使わなきゃだめだなというのは思いました

高橋:カットとカットを繋げちゃえば繋がっちゃうし、起こっちゃったんだから起こっちゃったみたいな強さみたいなものを、しょうがねぇじゃねえかって繋げちゃう強さを感じました。例えば光の位置が分からないカットがいくつかあったり、クマの修理に来た小学生くらいの女の子がいる路地は狭そうなのに、そよそよと風が入ってきたり。写真と女優の切り返しのカットでも、写真と女性の髪の揺れてる方向が逆じゃないか?みたいなところがあって。今話を聞いてるとそういう無理矢理な事をやっても、映画って全然平気なんだなって思いました。

640_s西尾:結構、佐和の部屋っていうのが狭いんです。作った事のある人ならわかると思うんですけど、入ってお芝居すると画が固まっちゃうじゃないですか。だから無理矢理鋭角な切り返しにしたいっていうのがありました。切り返しがあった時も狭いところで淡い感じじゃなく、2人の間に沢山写真を置いて、構図にシャープさを出したいなと思ってやったんです。

 光に関しては、照明は赤津淳一さんっていう人がベテランで、撮影も『恋人たち。』(2015)とか『ぐるりのこと』(2008)とかの上野彰吾さんの撮影部の方達なので、皆さんの腕を借りようと思っていました。俺がこういう風にしたいって言うのを「違う」って結構ズバズバと言われて、かなり現場ではピリピリやってましたね。

高橋:そうなんですね。主人公の部屋の中で4人が徹夜をして朝寝ているカット然り、いろんなカットで朝方あの部屋に格子柄の照明が入ってくるじゃないですか。だけど、あそこはたしか2階もあるし、よくよく外を思い出してみると日本家屋というか普通の屋根なので、あの光はいったいどこから来ているんだろうっていう。

西尾:分かります。確かに、あの2階からの照明は赤津さんも「やり過ぎかなぁ」とおっしゃっていたんですけど、俺はこれが好きです、こういう感じがむしろやりたいですってお願いして、ちょっとスモークも炊いて。

高橋:何かこれは嘘だけど、全然大丈夫な嘘なんだっていう。

西尾:例えば日本の同世代の映画で、リアリズムをメインに演出をしてる人とかいるんですけど、ぼくはやっぱり物語を語るための演技があると思っています。その為の体の動かし方とかを役者さんと話して、やってもらってます。例えば『ソウル・フラワー・トレイン』の時もそうだし、平田満さんには倒れる時は「舞台の喜劇俳優みたいに、ひっくり返るみたいに倒れてください」とお願いしました。平田さんは舞台の方で咄嗟にびたーっと倒れるので、いいなーやっぱりこうだなーって思いました。今回の皆さんには「かなりデフォルメされたお芝居かもしれないけど、デフォルメされたお芝居が説得力を持つようにしてください」ってお願いしていましたね。ただ単にデフォルメしてるだけじゃ変なので、この人物だったらこうするっていう説得力を持つところを役者さん達にやってもらってます。片岡さん中心に、みなさん触発されながら役者さん同士で演技の話をして、いつもつるんでました。休憩時間とか仲良すぎて怖かったです。

永山:そのあたりについて聞きたいんですけど、キャラクターが立っているなと思ったのですが、役者さんが演じるにあたってどこまで演出したのかなって。

西尾:正直撮影の初めは、役者さんの中にもちょっとつかめないというか、俺との感じがしっくりこないという感じだったみたいですね。三日目くらいから、だんだん息があってきて、みなさんいきいきとしてきて、残りの10日間までいい感じで出来ました。やっぱり本当だったら準備期間があって、やれるんだったら役者さんたちと稽古をして、演出プランを考えられたら贅沢で良いんですが、こういう規模の映画だと、1、2回の本読みのあと現場で落ち合うって感じになっちゃうんです。それでもあきらめずに、こうやってほしいっていう部分は何回もしつこくお願いして、掴むまではしつこくやってもらってますが。

永山:こうあってほしいみたいな。

西尾:はい。こうあって欲しいというのはリアルに見えるとか、芸術的であってほしいというわけではなく、劇映画のスタイル、デフォルメ、コミカルだったので、簡単そうに見えるけど、実はリアルよりもこのほうがすごく難しかったと思います。あるキャラクターを説得力をもって描くほうが大変なので。今回役者が初めてのあずみさんは、「ここまで過剰にやらないといけないんだ」という感じで、やっぱり最初はしんどそうでしたね。普段の表情と同じ感じでやっても、やっぱりカメラの前では生きてこないので。大きめにやってほしいとか、そういうシーンはあるんです。自分がどう見えるかがわかっている人は調整が出来ると思うんですけど、完成したのを見て「私こんなふうにやってたんだ」って納得されてました。

── 西尾孔志の街、モラトリアムの住処。

永山:相澤役の中島トニー君が、結構臭い台詞とかがいっぱいあるなと思って、大変そうだなと思いました。

西尾:中島トニー君は紹介してもらった子です。今回、かなりいいなと思ったのが、かなり仕掛けてくる人で、テストも本番も全部違うんですよ。それで、こっちが指示を出したら、ちょっと待ってくださいって考えてやってみせてくれるので、かなり俳優俳優した人だなと思いましたね。最初のシナリオでは、可愛らしい男の子という設定だったんですが、私は大胆に韓流スターのような在日韓国人にしようと思ってたんです。それで、そこで知り合ったっていうか紹介されたのが、ドイツ人とのハーフの中島君だったんです。一人、ハーフのような日本人ではない誰かを入れることはすごく重要だなと思っていて、それは中島君で見いだせたので良かったなって思っています。

永山:日本人ではない誰かが重要っていうのは過去に何かを抱えているとか、そういう人を入れたかったっていうことですか?

西尾:みんなが日本人だと、日本人同士で過去の語りがわかるじゃないですか。でも一人が外国人だと、故郷の話でも全然違う風景を語っていますよね。変な話ですが、日本映画は日本人ばかりでてくるじゃないですか。でもアメリカ映画って人種の坩堝だから、いろんな人が出てきて、そういう部分はすごくナイーブにやっている。でも日本の街の中、例えば大阪には在日韓国人なんていっぱいいるので、そこに社会的なテーマは不随させなくていいんです。普通にそういう人がいるってことが、私にとって描きたかった函館なんですね。だからトニー君みたいなハーフの子が普通にいる、みたいな。日本人の30代たちがウダウダしているのでもいいんですが、わざわざそこにトニー君をいれて、違う風を吹かせたいというのはありました。『ソウル・フラワー・トレイン』では、在日韓国人とレズビアンと浮浪者が出てくるんですが、そこに社会的なテーマはひとつもなくてただそこに居る。大阪の下町って、そういうところでしょっていうのが自分の中にあります。それこそ東映とか松竹の70年代の映画には外国人とか在日の人とか、もっと言えば部落の人とかも普通に出てくるんですね。部落の人もサラリーマンもみんな平等にいるっていう世界観があって、そこにはやっぱり映画を作る人の思想があると思って、そこにすごく共感をしているのでそれはやり続けたいなと思っています。

永山:居場所とか、生き方に悩む人たちが出てくると思うんですが、そこは監督も惹かれた部分や思い入れみたいなのはあったんですか?

西尾:そうですね、今回、自分が一番この脚本に惹かれたのは、20代の青春物語ではなくて、30代、40代のモラトリアムの話だというところです。自分がまさにそうなので。成熟するとか大人になるとか、そういうのが分からないわけです、いまだに。なんかわからないんですよね。家族社会というか、それを否定したいわけではないですが、自分がその一員として偉そうな顔をするのが。なんかアメリカ映画でも最近そういうの多いでしょ。

永山:そうですね、疑似家族みたいな。

西尾:そう、最近だったら、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』はそうでしたよね。

永山:なんか周りの人が共同体の中で子供を持って、親の世代があるというような繋がりが見える中で、取り残された人たちの疑似的な繋がりみたいなのを『函館珈琲』でも、翡翠館ていう場所で監督が繋げたいみたいなものがあったのかなと思いました。

西尾:それはいとうさんの脚本でもそこがテーマだったので、そこをやりたいということでお願いしてやらしてもらったんです。20代の社会に出ていく話はたくさんあるんですよ。でも本当は20代で世の中に出るのはそこまで大変ではなくて、本当に大変なのは30代、40代になってから。ずっとこの道で行くのかと思うとぞっとするというか、このまま何者にもならないまま行くのか、というか。老後心配ね、みたいな。

永山:監督は、映画監督として映画を撮っているわけじゃないですか。そこは監督の中にないんですか。

西尾:いや、そこは辛うじて自分の中で保障できるという部分はあるんですけど。やっぱりあれですよね、老後心配ですよね。でも20代の頃からブレイクするとか、映画祭で賞を取るよりも、おじいちゃんになっても映画を撮り続けたいっていうのは言ってますね。ずっと自主映画でもいいかな、とかは思っているし。もちろん商業映画もやりたいし、売れたくないわけじゃない。売れたいし有名になりたい気持ちもあるから、依頼された仕事もやっていきたいけれども、ただ、そこにしがみつきたいという気持ちが強いわけではないです。そこは自分たちの世代の特徴なのかもしれないですけど、社会のルールに合わせて頑張るとかじゃなくて、ついつい自分主体でやっちゃうというか、世の中とうまく付き合っちやうというか、責任とらないところに行っちゃうとかかね。そういうところが、翡翠館の人たちに見えるので。

── 止まる時間、動き出す時間

640-1_s住本:珈琲が結構ポイントじゃないですか。時を止めている感じがして。

西尾:まさにそうで、この映画は珈琲っていうタイトルがついているんですが、俺がいとうさんの脚本から思ったのは珈琲のグルメ映画ではなくて、珈琲っていうのを飲むときの立ち止まったりとか、何もしない時間。何も考えない何もしない贅沢な時間ってあるじゃないですか。そういう時間に奉仕するっていうのが珈琲を飲む時間だって俺はいとう菜のはさんの脚本から思ったので、グルメ映画ではないなって思う。だから実際に珈琲を美味しく見せるつもりは全然なくて、むしろカメラとかスタッフの皆さんが「いや、監督これちゃんと珈琲の湯気とか撮っとかなきゃダメだよ」とか言われて「あ、そうですか」みたいな感じで。

上田:最後にあのバイクが鳴り始める音には、動き始めるぞ!っていう感じがありましたね。止まっていた時間がそこに集約してまさに動き出そうとしているような。

西尾:あのバイクのシーンって、IndieTokyoゆかりのシーンなんです。(※1)『さよならゲーリー』という映画があって、お父さんが直している謎の機械があって、それが動いてエンジン音みたいな音を町の人が聴くってところで終わるんです。それと、いましろたかしっていう漫画家さんの(※2)『トコトコ節』っていう漫画があって、これにもただ単にエンジンを吹かすっていうだけのコマがあるんですよね。俺はバイクに乗らないけど、車は乗るので、エンジンをただウゥ〜ンって吹かすのはすごくいいなぁと思っていました。音もいいし、走らすわけじゃないけど、本当は走らせたい。ただエンジンを吹かしてるだけっていうちょっと複雑な心境もいいなと思って。あのシーンは元の脚本には全然無かったんですけど、いとうさんに言ったら「いいですね、面白いですね」って言ってくれたので、盛り込まさせてもらいました。

 これにも裏話があって、本当はあのシーンの後バイク走るシーンがあるんです。それは、夏樹陽子さん扮する館主がライダースーツで乗って、桧山が後ろに乗って函館の街を走るっていう、ちょっといいシーンだけれどもコミカルな要素もある。それはロケハンもちゃんとしてたんですけど、最終的にはエンジンのシーンだけになったんでよね。結局あった方が良かったのか、正直分からないですけど。あったらあったで分かりやすく爽快感があったかもしれないし、あった方が良かったのか、無かった方が良かったのか、未だに分からないです。

 

(※1「さよならゲーリー」(2009 )監督:ナシム・アマウシュ。

   大寺眞輔が開催した横浜日仏学院シネクラブで2012年に上映。

 ※2『トコトコ節』漫画。1991年から93年頃のいましろたかし作品を集めた短編集)

2016年10月26日 新宿にて。

【番外編】

会った瞬間、西尾監督の気さくな雰囲気に一瞬にして虜になりました!映画の隅々まで染み渡っているやさしさとサービス精神の本性はこれだったんだ。しかもめくればめくるほど、どんどん人間味が濃厚になっていくんです。
あぁ、この人は絶対どこに行ってもこのままだ。最高だと思いました。すぐに飲み交わしたくなる監督NO.1西尾孔志監督。ありがとうございました!  –上田

 

上田真之
イベント・上映部。早稲田松竹番組担当、ニコニコフィルム。『祖谷物語~おくのひと~』脚本・制作。短編『携帯電話はつながらない』監督。2015年春から、『恋愛のディスクール・断章』ワークショップ開催。

一つの作品をきっかけとしたインタビューでしたが、西尾監督の初期の作品の話や家族のこと、これからの事、そしてどんな事を考えて映画を作っている人なのかが分かってとても濃密な時間でした。やはり映画を作っている人は一人一人思いがきっとあるはず!西尾さんは気さくに話してくださりました!また作品楽しみにしております。ありがとうございました。–住本

住本尚子
イベント部門担当。
広島出身、多摩美術大学版画科卒業、映画館スタッフとして勤務、映画と美術の懐の深さで生きています。映像製作初心者で、もがきながらも産み出す予定!

インタビューは、初めてでしたが、西尾監督はとても気さくで1つ1つの質問に丁寧に答えてくださる方で、映画を観て聞きたかったことを沢山聞くことが出来ました。監督の映画の中のこだわりや、西尾監督がこれまでの経験を通して、今後どう映画を撮っていきたいか、というお話が聞けたのも良かったです。監督の今後の作品が本当に楽しみです!–永山

永山桃
早稲田大学一年生。二階堂ふみさんと、池脇千鶴さんと、田中絹代さんが好きです。役者を志していますが、映画に一生関わって生きていきたいです。あとは、猫が好きなのに、柴犬をかっています。ワンワン!

 

西尾監督はすごくリラックスした雰囲気を作ってくださり、こちらも肩肘張らずにお話しさせていただくことができました。このインタビューのすぐ後に夜行バスで大阪へと行かれたのですが、そのギリギリまでずーっとお話ししてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!次回作もとても楽しみですし、次もしお会いできたら、Vシネマ時代のお話も聞いてみたいです!–髙橋

高橋壮太
髙橋壮太 サラリーマンとして働きながら、自主制作映画を作っています。次回作には幽霊を出そうかと思っています。その登場シーンを現在思案中。