こんにちは。イベント部担当のゆり愛です。六月に入りましたが、もう体感的には夏ですね。浴衣を着て、りんご飴を頬張り、水着姿のお姉さんを観察しながら、楽しい夏を過ごしたいです。

さて、現在来日されているジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督の特集上映が来る明日6/12(金)にアテネ・フランセで開催されます。
詳細:http://indietokyo.com/?page_id=1556

 

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オデット』について思うことを書きました。わたしはオデットが大好きで、実はイラストを描いてステッカーを作ってみたのです。いざイラストを描いているわりにとても下手っぴなのですが、『オデット』はちょっと気に入ることができたので、良かったらもらってください。

  odete_01  オデット イラスト  ステッカー
  

ふたつの恋の終わりで幕があがるこの形容しがたい物語は、一つに「墓」を中心としたラブストーリーであり、そしてやっぱり「ジェンダー化される身体」に抗う闘いの映画と見ることができると思いました。さまざまな見方ができるけれど、この2点に注目していきたいと思います。ジェンダー論を知っている訳でもない1映画ファンとしてなので、ご了承ください。

 

オデット1

 

主人公の〈オデット〉は赤い服にローラーシューズのユニフォームを着て映画に登場します。青いシャドーで主張された眼差しと同じく青色のヘアバンドをまいた彼女は、ゴダール『軽蔑』のブリジット・バルドーを彷彿とさせるような冷たさを持ち、突然炎のごとく恋人を「軽蔑」する様子もB.Bそのものです。

同じ頃〈ペドロ〉と〈ルイ〉のホモセクシュアルな恋人たちは熱いキスを交わし帰路についていましたが、しかし、直後の交通事故によりペドロはこの世を去ってしまいます。

 

軽蔑2

 

軽蔑はふいに、突然に、理由はあってないようなものです。だから恋のおわりだってなにがなんだかわからない。

思えばジャン・コクトーが「詩人は死んでよみがえる」とフェニクソロジー(不死鳥術)をこよなく愛しフィルムで幾たびもそのことを描いたように、『オデット』においてもしかしたらジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督も、耽美にそこを追求し探し求めたのかもしれません。

監督の名前から取られたのかと思わせる〈ペドロ〉という男は恋人とキスをした直後に死んでしまいますが(これはこれでロマンチック)、一切関係を持たない他人であった〈オデット〉によって「お腹にペドロを感じるの」と、再び再生するのです。

したがって映画は「墓」という不在した死人を中心に、おとぎ話のようにふわふわと、それでいてまるで古代ギリシャの神話のように理不尽に尊く進んでいきます。

 

オデット6

 

夜の街頭のオレンジ色のような薄暗さや、ルイのカーラジオから聴こえてくる情緒的なミュージックや、人気のない深夜の道路が美しく切り取られ、悲しみは溶けることもなく、亡霊となりつきまとっているようです。そんな空虚な夜を印象的に描いていくうちに、徐々に、オデットという女性から〈女〉の匂いが絶たれ、男でも女でもない〈ジェンダー〉間をさまよう世界へ、物語は迷い混んでいきます。

 

〈女〉と〈男〉

ジェンダーによってしるしづけられてきたわたしたちの身体。しかしその人に近づかないと、結局身体は外見しかわからない[箱]のようなものなので、その中身に着目しなければ物語は展開しません。一体この[箱]は個人によってどのようにして立ち上げられ、演じられ、厳選しながら時に勝手に放り投げられるようにして中身を入れられ、生きてきたのでしょうか。
こうしたジェンダー・カテゴリーの中身にある矛盾や混沌のアイコンとして、オデットは、男女の前提とされてきた普遍性を破るようにして描かれているように思います。

 

 

それにしても、「愛とは子供をつくること」だというオデットは、実に正しくてシンプルな生き方をしているはずなのに、ほんとうに奇妙。これほどに伏線を張られながら「妊娠欲求」を表現されてきたにも拘らず、まったく女としての母性的な愛情すら宿さない人物に、感情移入も可愛さもなにもありません。

まず、そもそもその目に愛が宿ることは決してないのです。それはペドロの恋人〈ルイ〉に出会い誓いを交わすときも、子供のために行動しているときも、墓参りをしているときも、一度もです。

反対にルイの描かれ方はメロドラマをみているように情熱的です。カーステレオから流れてくる情緒的な音楽に合わさりながら死んでしまった恋人ペドロの亡霊を見てしまったり、怒ったり、涙したり。

 

オデット7

 

 

劇中に出てくる象徴的なお花「アンスリウム」の花言葉は
「煩悩、恋に悶える、情熱」だそうで、突き動かされたオデットはほんとうに魔法、というより魔術にかかったようでした。

こんな感じで『オデット』を観ていますが、特に大好きな作品は『男として死ぬ』です。

この瞳を観ているだけで、わたしはもうどうしたら良いのかわからなくなってしまいます。

男として死ぬ

 

 

そう、オデットが子供を持つことに愛を見いだしたとして、世界の果てまで二人きりで愛し合いましょうとしたのが阿部定石田吉蔵だとしたら、恋人と同一化し、ふたりで新たな一人の人間になりましょうとしたのがジェネシス・P・オリッジレディ・ジェイだと、個人的には思います。

 

love

(マリー・オジェ『ジェネシスとレディ・ジェイのバラード』より)

最近この映画がもう一度みたいということばかり考えています。去年のオールピスト東京で上映されたときに観に行ったのですが、今年のオールピスト東京もマルグリット・デュラスを特集したりと、今から楽しみです。バウスが閉館したあの頃から、もう1年たつのかぁ。

 

 

 

つまりは、青いカーテンがはためくときがチャンスで、人のキスを覗き見した瞬間が青春なのだということなのかもしれません。

 

 

 

またもやだらだらの文章でしたが、実は一度書いた記事が全て消えてしまったのです。これほどやるせない気持ちというのもなかなかありません。もうGmailを下書きには使わないようにします。とにかく、明日、新作『麻雀』がたのしみです。そしてお洒落な二人にお会いできることも。

読んでくださり、ありがとうございました。

 

尾形ゆり愛
イベント・上映部門担当。日本大学芸術学部映画学科理論専攻。「花の24年組」少女漫画と60’sカルチャーを偏愛する。忘れ物と落とし物が多く転びがち。五月とチューリップと青色とアイドルがすき。