奇才アピチャッポン監督の代表作、ただいま公開中!


タイの天才、アピチャッポン・ウィーラセタクン。来年から撮影が開始される予定の次作で新しいステージへと進む監督の代表作をもう一度スクリーンで、という特集上映が現在、渋谷のイメージフォーラムで組まれています。先日、その一環として開催されたクロストークショーの模様をお伝えいたします。

 

「映画・美術・舞台~様々な角度からアピチャッポンについて語る」

 

《登壇者》

◇市山尚三さん(映画プロデューサー/東京フィルメックス・プログラムディレクター)

1963年、山口県生まれ。

東京大学経済学部を卒業後、1987年、松竹に入社。北野武監督『その男、凶暴につき』(1989)、竹中直人監督「無能の人」(1991)、ホウ・シャオシェン監督『憂鬱な楽園』(1996)等にプロデューサーとして参加。

1992〜99年まで東京国際映画祭「アジア秀作映画週間」作品選定を担当。1998年、オフィス北野に移籍。2000年12月より国際映画祭「東京フィルメックス」のプログラム・ディレクターを務めている。近年の主なプロデュース作品に『罪の手ざわり』(ジャ・ジャンクー/2013年)、『山河ノスタルジア』(ジャ・ジャンクー/2015年)、『Mr.LONG』(SABU/2017年)など。

アピチャッポン監督の『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)、『トロピカル・マラディ』(2004)は東京フィルメックスのコンペ部門に出品され、ともに最優秀作品賞受賞。『世紀の光』(2006)、『ブンミおじさんの森』(2010)は東京フィルメックス特別招待作品として上映。

 

◇鈴木朋幸さん(トモ・スズキ・ジャパン)

1967年東京生まれ。

ニューヨーク大学(NYU)在学中より美術展やイベントを手がけ、卒業後はNYのギャラリストとして活躍。帰国後、1996年より水戸芸術館で広報担当。2000年から美術家の映画プロデュース開始。2002年よりフリーランスとしてアート映画の企画、製作、上映を手がけ、マシュー・バーニーやビョーク、アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画に関与。2006年トモ・スズキ・ジャパン有限会社を設立。現在、アピチャッポン・ウィーラセタクンのエージェントとしても活動。

 

◇中村紀彦さん(神戸大学 映画・映像/アピチャッポン・ウィーラセタクン研究)

1991年生まれ。現在、神戸大学人文学研究科に在籍し、映画・映像研究、とくにアピチャッポン・ウィーラセタクンについて研究を行っている。共著に『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』(フィルムアート社、 2016)、論考に「遮られる運動、遮る静止――アピチャッポン・ウィーラセタクンの諸作品における静止画面をめぐって」(『美学芸術学論集』、第11号、神戸大学芸術学研究室、2015年、76-87頁)など。

2016年12月 東京都写真美術館にて開催された個展「亡霊たち」のために来日したアピチャッポンに、修士論文執筆の参考としてロングインタビューを行い、その内容はWEB版 美術手帖にも掲載されている。https://bijutsutecho.com/magazine/interview/5367

 

◇丸岡ひろみさん(PARC – 国際舞台芸術交流センター 理事長 / TPAM – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜  in Yokohama ディレクター)

海外からの演劇・ダンス・音楽の招聘の招聘公演に関わり、舞台芸術の国際交流に寄与することを目的として1990年に設立されたPARC – 国際舞台芸術交流センターに1992年より参加し現在、理事長を務める。2005年からはTPAM(東京芸術見本市、2011年より国際舞台芸術ミーティング in 横浜)のディレクターに就任。2017年のTPAMにてアピチャッポン・ウィーラセタクンの舞台「フィーバー・ルーム」を上演。大きな話題を呼んだ。

 

◇ヴィヴィアン佐藤さん(非建築家、美術家、ドラァグクイーン)

美術家、非建築家、映画批評家、プロモーター、ドラァグクイーンと、様々な顔を持ち、ジャンルを横断する実験的なアート活動を活発に展開。バーニーズNY、ヴーヴクリコ、LANVIN、MILKFEDなどのディスプレイも手掛ける。アピチャッポン作品の良き理解者で、監督本人とも交流。『光りの墓』パンフレットにも寄稿している。今年は、9/16〜9/21に東京芸術劇場シアターウエストにて上演のProject Nyx「星の王子様」にも出演。http://www.project-nyx.com/

 

司会:武井みゆき(ムヴィオラ)

(以下、クロストークショー再録、敬称略)

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アピチャッポンとは何者か

 

司会 まずは皆さんのアピチャッポン監督との出会いからお聞かせいただけますか。

 

市山 僕がアピチャッポン監督に初めてお会いしたのは2000年の12月のことでした。第1回東京フィルメックスで『真昼の不思議な物体』という彼の長編デビュー作を上映したときに来日されたんですね。この年は山形国際ドキュメンタリー映画祭が開催されず、フィルメックス事務局の仕事を山形のディレクターだった藤岡さんに手伝ってもらっていました。アピチャッポンは以前、山形で短編映画が選ばれて参加していたのですが、おそらくはその関係で藤岡さんのところに送られてきたのが『真昼の不思議な物体』のビデオでした。見せてもらったところ、これがもうとんでもない傑作。僕はそれまでアピチャッポンの短編すら見ておらず、どういうバックグラウンドの人かも知りませんでした。こんなものをつくる人がいるのかと思って、本当にびっくりしました。ぜひ東京フィルメックスのコンペティションにということで選んで本人をご招待したのが、最初の出会いです。

 そのあと、2002年の2月頃に、僕はジャ・ジャンクーの映画『青の稲妻』のポスプロのため、1カ月ほどパリに滞在していました。当時、アピチャッポンもちょうどパリで約6カ月間のアーティスト・イン・レジデンスの最中でしたから、パリのカフェで会ったんですね。カフェの喧噪の中で「去年こういうものを撮った」と見せてくれたのが、『ブリスフリー・ユアーズ』でした。家庭用ホームビデオのすごく小さなモニター画面からでさえ、とんでもないものをつくっているなという感じが伝わってきました。『真昼の不思議な物体』とはまた違う映画だったという点にも驚きました。

 どう思うかと聞かれて、すごい映画だから、絶対に映画祭に応募したほうがいいと答えました。カンヌ映画祭の締め切りにまだギリギリ間に合うタイミングだったので、応募してみてはどうかと勧めると、最初は「レッドカーペットにセレブが集まるようなところに万が一僕の映画が入ったとしても、無視されて終わるだけだから、違う映画祭がいい」と渋っていたんです。この作品は絶対にフランスの批評家にはすごく受けるタイプの映画だと思う、カンヌにも「ある視点」や「監督週間」といった部門がちゃんとあるんだからと説得しました。共同プロデューサーにフランス人がいたこともあって『ブリスフリー・ユアーズ』はカンヌに挑戦することになったんですが、結果は、「ある視点」部門に入っただけでなく、そこで最優秀作品賞を受賞です。「僕の映画がレッドカーペットに」なんて言っていたのに、その次の作品の『トロピカル・マラディ』がコンペティション部門で上映され、『ブンミおじさんの森』でパルムドールをとりました。アピチャッポンは、短期間で突然出てきた感じですが、彼が本当にすごいのは、最初に会ったときから全く印象が変わらないことですね。普通、そんなふうに急に人気者になると、何か勘違いしたりとか、いろんなことが起きるんですが、スタンスをまったく変えずに映画をつくり続けているのは、本当に素晴らしいことです。『ブリスフリー・ユアーズ』は確かにロカルノ映画祭などに出したほうがいいタイプの映画かもしれませんが、カンヌの「ある視点」部門で受賞したことがのちの評価につながっているので、あのとき彼はトライしてよかったんじゃないかなと思います。

 東京フィルメックスでは『ブリスフリー・ユアーズ』と『トロピカル・マラディ』を上映し、両作品ともグランプリをとっています。『世紀の光』のときは、上映すればグランプリ確実なのが目に見えてわかっていたし、出さなかったら審査員がおかしいという話になるので、コンペから少し格上げし、特別招待作品として上映しました。東京フィルメックスの常連というか、初期の作品からずっと関わってきた監督なので、アピチャッポンには特別な思いがあります。こちらが想像した以上に、世界にすぐにバッと羽ばたいていきましたが、彼の作品に注目し始めたのは、日本が早かったと思います。『真昼の不思議な物体』はロッテルダム国際映画祭がワールドプレミアでしたが、別に賞を取ったとか派手な結果にはならず、それほどまでには知られていなかったと思います。ロッテルダムに出品した関係でカンヌやヴェネツィアには出せなかったのですが、ちょっと地味に回っている感じはありました。

 

丸岡 私とアピチャッポンとのかかわりは『フィーバー・ルーム』という劇場作品でした。毎年2月に、世界中から舞台芸術関係者が集まるTPAMというイベントが開催されているのですが、その中の一つの演目として、2017年にKAAT神奈川芸術劇場という横浜にある県立劇場で上演しました。

 『フィーバー・ルーム』は大変自由な発想でつくられた作品です。アピチャッポンはネタバレを非常に嫌いますし、いつか必ず観られる機会があると思いますので、内容について具体的にふれることは控えますが、言えることは、自由な発想でつくられているけれども、劇場とは何かということをすごく理解したものだということです。単に劇場の機構とか仕組みとか制度ではなくて、劇場とは何か、観客は劇場とどういう関係を結ぶのかということも含めた非常に深い理解が見てとれます。

 初演は、韓国・光州のアジアン・アーツ・シアターでした。プロデューサーがアーティストに非常に理解のある人で、創作に対して最大限の努力を惜しまなかったという幸福な出会いがあって、この作品は世に出ることができました。光州での上演当初は、私も見に行きましたが、観客は少なかった。おそらく一回の公演に50人もいない回もあったんじゃないかな。後からふりかえると、観る環境としては大変よく、観た人は贅沢な時間を味わったのではないでしょうか。『フィーバー・ルーム』はその後、ブリュッセルで開催される、実験的な舞台芸術のフェスティバルとしては最も重要なうちの1つの「クンステン・フェスティバル・デザール」をはじめ、欧州他各地でも上演されることになります。各地のフェスティバルを回るうちにどんどん話題を呼んで、TPAMに来る直前は、パリの舞台芸術祭、『フェスティバル・ドートンヌ』の会場の一つであるパリ郊外のナンテールにある劇場で上演されましたが、後半は席数を大幅にオーバーするほど人が押し寄せたそうです。

 私は台湾で開催される「台新芸術賞」という台新銀行が運営する舞台芸術・美術の賞の審査員としてこの5月に呼ばれて行ったんですが、ノミネートされていた一人の若い女性作家の作品がアピチャッポンの作品に似ていたんですね。本人に聞いてみると、「すごく影響を受けている」ということでした。台湾は歴史的に政権が倒れて変わるという経験をしてきました。そのたびに、何が悪いのか、何が正義なのかがガラッと変わってしまうように感じたというのですね。幼いときから、そうした変化の波を受けて生きていく中では、アイデンティティの確立が難しい。定まらない相対と向き合って自分たちの表現を探していたときに、アピチャッポンの作品と出会って非常に感銘を受けたそうです。アピチャッポンの表現というのは、今のアジアのある種のシーンを切り取り、鋭く彼女たちに刺さって名状しがたい影響を与えているんだなということを実感いたしました。

 

ヴィヴィアン佐藤 私はアピチャッポンの一ファンであり、ゆるいお友達という関係でもあるのですけれども、出会いは2002年のことでした。5月の連休ぐらいに、清水敏男さん、鈴木朋幸さんが「バンコク☆パラダイス」といって、タイの作家の作品を上映する上映会を開かれたんですね。その中に、アピチャッポンの短編実験映画だけを集めたイベントがあって、私はトークゲストとして出演させていただきました。非常にとんがった作品ばかりで、それだけを観たのでは理解は難しいものでした。でも、映像作家に限らず、アーティストは制作活動の中で、何かの機会があった場合にそれが作品として結晶化される、視覚化され物質化されるわけですが、作家活動はずっと続いているんですよね。最初に観た作品の意味がわからなくても、あとの作品を観たときに、そこにまた血流が行くというか、全体が大きなヘビというか、ワームのような構造になっているように感じます。それはアピチャッポンの作品にも言えることだと思います。

 私見ですが、『世紀の光』と『ブンミおじさんの森』と『光りの墓』というのは3つで一つのようなかたまりのような気がします。『光りの墓』を観たときに、『世紀の光』のほうに血流が行くというか、最初に観たときよりもさらに見え方が変わってくることもあるはずです。

 私は「非建築家」です。非建築というのは、建てない建築ということなんですね。「建物」と「建築」という概念を別に考え、「建築」というものをもっと哲学というか、思想のようなものとしてとらえています。建物はなくても建築がつくれるというコンセプトがベースにあります。映画に関しても、アートに関してもとらえ方は同じで、いかに建てないで建築をつくるかという視点なんです。アピチャッポンさんは、コーンケン大学で建築を学ばれたのち、シカゴで映像を勉強されています。彼の作品の中には、建築や建物に対する考え方というのがベースとしてあると思います。物質的な間取りや図面のことだけではなくて、空調の音であったり、建築を生き物のように呼吸するものとするとらえ方ですね。『世紀の光』がまさにそういう感じです。私はそこにものにすごく共感を覚えるというか、面白いなと感じます。

 先日、東京都写真美術館でアピチャッポンの個展が開催されたときに対談があり、そこで聞いた話ですが、アピチャッポンさんのご両親はお医者さんで、彼にとって病院は身近な存在だったんですね。そこにはいろいろな記憶がある。例えば、光が満たされている中庭だったり、洗濯物を干しているところとか、病院の廊下であったり、解剖書であったり、細胞の図であったり、そういった物質的なものと、光や風のうつろいゆくさまといった現象的なものの両方を彼は感覚として持っていると思います。それを整理して、もう一回、自分の作品の中で再構築しているかのようなところがすごく興味深いですね。

 

司会 日本で最初に商業公開されたアピチャッポンの作品は『ブンミおじさんの森』なんですが、来日したときに、ブンミおじさんが前世を覚えているという設定だということや、日本でも前世は覚えているという話がよくあるということから、仏教的な感覚でとらえられて質問をされることが多かったんですね。瞑想的なものとか、イマジナリーなものだとか、そういった精神性を問う質問が続いたのですが、アピチャッポンは科学的というか、物理的な部分をとても意識されて答えていました。今のお話を伺って、物質と幻想の混合というのが、彼の作品の中の素晴らしいところとして存在しているなとあらためて感じました。

 

ヴィヴィアン佐藤 東京都写真美術館での個展は「亡霊たち」という題名だったのですが、アピチャッポンさん自身は「幽霊は信じない」と言っていました。「あるかもしれないけど、信じません」と。そこまで言ってしまうところがありました。

 

鈴木 『フィーバー・ルーム』を上演したTPAMのトークショーでも質問の手が挙がって、「宗教体験のようなものを感じた。プロジェクターの光は神なんじゃないか」と質問した人に対して、アピチャッポンは「いや、これは単なる光の実験です。プロジェクターはプロジェクターでしかありません」とはっきり答えていましたね。

 

中村 僕の出会いは皆さんほどドラマティックではなかったです。遡るのですが、学部生のとき卒業論文でキム・ギドクの『アリラン』について書いたんです。この作品は東京フィルメックスで観客賞を受賞しましたが、ギドクは映画が撮れないということで、自分でカメラを持ちながら、どうすれば次の映画を撮れるかをカメラに向けて吐露していく。その試行錯誤のなかで、ギドク自身が複数化していくんです。カメラの中で幾つものギドクに分裂し、分裂した自分を捉えた映像をまた映画の中で編集していくような、すごく複雑なドキュメンタリー映画です。これは果たしてドキュメンタリーなんだろうかという疑問から卒業論文を書いたわけですね。その後、ドキュメンタリー映画の研究をしようと漠然と思って大学院に進学したものの、春先に何を研究しようかと悩んでいたときに、なんとなく引かれて『真昼の不思議な物体』のDVDを購入して観ました。これもまたいわゆるドキュメンタリーという枠組みの中ではとらえきれない、むしろそこからこぼれ落ちてしまうようなものしかない作品に感じました。アピチャッポンはいろいろな二項対立を戦略的に構築して、それを自ら崩していくのです。とくに本作ではドキュメンタリーとフィクションという二項対立をそのように扱っていると気づき、アピチャッポン、面白いなと思ったんですね。

 2014年、京都の市立芸術大学ギャラリー@KCUAで、アピチャッポン初の大規模な個展「PHOTOPHOBIA」が行われていました。そこでは映画だけではないアピチャッポンの側面に触れることができました。むしろ映画というのはアピチャッポンというプリズムが構築されているまさに一側面でしかなかったんだというのが見えてしまった。「プリミティブ」プロジェクトに関連したビデオインスタレーションやドローイング、写真作品、あるいはミュージックビデオといったものが複数絡み合いながら1つの糸になりつながったのが『ブンミおじさんの森』なのだと思いました。これは取り組み甲斐のある作家だという手応えを感じ、あくる日、大学の先生に「結局どうするんだ」と聞かれて、アピチャッポンと叫んでしまいました。そうして、修士論文をアピチャッポンで書くことにしたのですが、そのままぐずぐずしていました。するとアピチャッポンについての本の執筆に参加しませんかとお声がけをいただいたんですね。それが『アピチャッポン・ウィーラセタクン:光と記憶のアーティスト』(フィルムアート社、2016)です。日本でアピチャッポンを専門的に研究しようとする人は僕以外にほぼいないようで、本ではアピチャッポンのバイオグラフィーなどを含めた多くのデータを執筆する担当となり、また論考も書きました。この本を修士課程時の集大成のひとつとして関われたことは嬉しく思っています。今は博士後期でアピチャッポン研究を続けています。

 2016年に修士論文を書く前の12月、東京都写真美術館で「亡霊たち」展が開催されている最中に、アピチャッポンに1時間半ほどたっぷりとお話を伺いました。その内容は『美術手帖』のウェブサイトでお読みいただけますので、よろしければぜひごらんください(登壇者紹介にリンクあり)。

 

鈴木 私が初めて会ったのは、市山さんと同じぐらいで2000年ですね。アピチャッポンと私にはクリッティヤー・カーウィーウォンという共通の友人がいます。彼女はタイのキュレーターで、今はバンコクのジム・トンプソン・アート・センターでディレクターをつとめています。ジム・トンプソンというのは、タイに渡ってシルクのビジネスで大成功した西洋人です。行方不明になってどこに行ったかわからないのですが、その立派なお屋敷を現在、一般公開しており、観光名所になっているんです。その敷地内にアートセンターがあるんですよ。

 このクリッティヤーが、国際交流基金の招へいで日本にインターンシップで来たときに、水戸芸術館にいた清水敏男さんのところにアピチャッポン作品を含めたタイの作家の映像を持ってきたんですね。当時、清水さんは水戸芸術館を辞めてフリーになり、自分の事務所を構えていました。私は水戸芸術館の広報部門で働いていたのですが、清水さんから「このタイのショートフィルムをどこかで上映しよう」と誘いを受けたんです。そのときに私はちょうど水戸短編映像祭という映像にスポットを当てたフェスティバルも担当していました。今は、もう少し商業的になっていますが、私がいたころはまだシャロン・ロックハートやマシュー・バーニー、ビル・ヴォオラの映像を見せるとか、すごくアート的な試みをしていたので、これはいいと思ってアピチャッポンにコンタクトを取り始めたのが出会いのきかっけです。

 市山さんのお話にあった、アピチャッポンが山形でアーカイブされた短編というのは、『第三世界』という白黒フィルムの作品ですね。本人によると、アピチャッポンはビデオだけじゃなくてフィルム作品もいっぱい撮っていたというか、むしろフィルムから始めて、スタン・ブラッケージのような、フィルムをばちばちいじる実験映画的作品をいくつか作っていました。私はそれらの作品がとても気に入ったので、上映しようと決めて交流し続け、やがて実現という感じです。

 2003年のことですが、金沢21世紀美術館が開館する前、プレイベントがあり、その一つとして、アピチャッポンを呼んで1週間で映画をつくろうというワークショップが行われました。金沢のシネモンドというミニシアターの土肥支配人らも関わってくれたと思います。でも、作品としては完成しなかった、と記憶しています。不幸なことに、その間にアピチャッポンのお父さんが亡くなってしまったんですね。帰るかと聞いたら、「来た限りは帰らない、やり遂げてから帰る」と言うんです。聞けば、タイの葬式は死んですぐではなく、少し時間をおいて行うんだそうです。台湾の葬式に近いのか、日本のようなしんみりした雰囲気ではしないということでした。それはやがてアピチャッポンの長編映画でも題材の一部に使われることになりますね。

 

森、精霊、火、光——アピチャッポン を読み解くキーワード

 

司会 『ブンミおじさんの森』の原題は“Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives”『前世を思い出すブンミおじさん』です。直訳のタイトルでは興行的には難しいと考えてこの邦題にしたのですが、この邦題によって日本ではアピチャッポンのイメージが海外以上に結びついてしまったとも言えます。中村さんはアピチャッポンと森についての考察をしていますね。

 

中村 アピチャッポンは森をどうとらえてきただろうかというのに懐疑的な立場で論考を書いたことがあります。統計的な話をすると、『トロピカル・マラディ』は391ショットある中で森が映るのは190ショット。一方、『ブンミおじさんの森』では森が出てくるのは全186ショット中に68ショットしかありません。『トロピカル・マラディ』では、森は確かに僕たちに見える森として出てきます。『ブンミおじさんの森』はどこにもない「森」であり、常に登場人物たちを取り囲むものとしてカメラはとらえています。両作品の森の捉え方はまったく異なっているのです。

 『トロピカル・マラディ』の「確かにある森」とはどういうことか。本作品では、「森」は境界線として出てきます。「森ではない部分」と「森の部分」の境界線がすごくはっきりするように捉えられているところが多いんですね。ですから、僕たち鑑賞者にとっても登場人物にとっても、「森」という存在感はすぐわかるようになっています。

 一方、『ブンミおじさんの森』は「どこにもない森」として考えることができます。食卓で食事をする場面を超ロングショットで映すシーンは、おそらく森の視点から捉えられています。ここでは「森」じたいは映っていません。ロングショットから幾つかのショットを飛び越えた食卓の場面では、食卓の目前まで森が迫っています。『ブンミおじさんの森』では、「森」はすごく流動的であり、固定的な存在ではないんですね。『トロピカル・マラディ』の確かにそこにある森ではなく、本作品は森自体がうごめき、生きているようで、まさに森自体が視線を投げかけているのが『ブンミおじさんの森』の「森」です。アピチャッポンの「森」はほかにも、可視的な森、不可視の森、固定的な森、流動的な森に分けられると思いました。

 そこからさらに、デジタル的なネットワークとしての「森」があるのではないかと考えるに至ったんですね。『トロピカル・マラディ』での「森」は、そういった「ネットワークとしての森」ではありませんが、『ブンミおじさんの森』、また「プリミティブ」プロジェクト以降のアピチャッポンの作品には「ネットワークとしての森」が出てきているのではないでしょうか。個人的な記憶や集団的な記憶、さらには東北タイの凄惨な歴史を森がアーカイブしているような状態ですね。過去・現在・未来の記憶が混濁している森が『ブンミおじさんの森』に出てくる「森」です。動物や精霊、亡霊がポンと出てきたり、ポンと消えたりする。森の中から出力されては消え、出力されては消えという反復で、「森」が、アピチャッポンが個人的に扱いやすく柔軟な対象として出てきています。

 アピチャッポンの森はそのような形で幾つか分類して捉えられるのではないかという結論にたどり着いたものの、彼が森を捉えている実践に、今は僕たちが無意識のうちに取り囲まれてしまっているように感じます。そこからどう抜けだすかという意味で、『光りの墓』、あるいはそれ以降を読み解く必要があるのではないでしょうか。

 森美術館のキュレーター徳山拓一さんが言っていたのは、アピチャッポンがコロンビアで撮った写真を見たときに、タイの森に見えてしまったそうです。僕もそう感じました。では、僕たちは何を見ているのか。アピチャッポンの「森」は東北タイを初めとするタイの表象として見ていたはずなのに、コロンビアの森に僕たちは同じような森を見てしまっています。僕たちが見ている「森」はそこに対象としてあるのかというのをすごく感じさせるエピソードでした。

※ 中村紀彦さんの「アピチャッポン の森」についての論考は、「ヱクリヲ」のサイトから全文をお読みいただけます(http://ecrito.fever.jp/20170804192042)。

 

ヴィヴィアン佐藤 『光りの墓』の中で、主人公たちが外を歩いているときに、ここには昔、王宮があって、洪水がここまできた、部屋の間取りはこうで、鏡があってという話になるシーンがありますね。病院に戻ったときに、病院固有のトポスの記憶が浮き上がってくるというふうにつながっていきます。記憶とか時間の層があるんですね。『ブンミおじさんの森』のように、過去だけでなくて未来にもつながっているというところを感じます。この作品でも「森」は象徴的な森なんですね。

 

司会 アピチャッポンの映画には「森」以外にも象徴的な要素があると思います。私は「病気」というのが一つ印象的なのですが。

 

市山 アピチャッポンはご両親がお医者さんなんですよね。『世紀の光』と『光りの墓』にはまさに病院が出てきます。『ブリスフリー・ユアーズ』の前半にも病院のシーンがありますよね。

 

鈴木 東京都写真美術館での個展『亡霊たち』のときに、『ビデオ・ダイヤリー:父』という映像作品がありました。アピチャッポンのお兄さんが、お父さんが腎臓透析している姿を延々と撮っている。ほぼ定点カメラです。アピチャッポンはそれと対になるようなかたちで、同じ空間にお母さんが出ている作品を展示していました。シカゴの大学院時代に自分のお母さんに国際電話をかけて、その国際電話の番号が作品のタイトルになっています。お母さんの顔写真を、自分のアパートのところで撮った映像に差し込みながら、ガーガー、ノイズを入れていくという実験映画風の作品ですね。お父さんお母さんに対する思いを感じるものがあります。

 

丸岡 森美術館でも東京都写真美術館のときも、火がワーッと燃える映像がありますね。扇風機を燃やす映像もありました。深読みすると、タイの現状と重なるところがあるように感じます。

 

司会 森美術館のインスタレーションでも、タイの前国王の火葬がひとつのきっかけになって火が出てきますね。アピチャッポンと話をしていてよく出てくる言葉が「オーガニック」、有機的。火にもオーガニックを感じさせるものがありますね。

 

丸岡 アピチャッポンの美術作品の多くには光源が見られますよね。火の光源、火によって変わる光源というのを、私たちはずっと見せさせられるわけです。

 

中村 「プリミティブ」プロジェクトの『ナブアの亡霊』などは複数の光源が画面に登場します。本作品は単一のプロジェクターからスクリーンに投影する作品ですが、プロジェクターの光源、落雷のイメージ、若者が蹴る炎のサッカーボールがそうです。若者が炎のボールを蹴るシーンは、ドカンと大きな音がします。まさに東北タイのある時期の惨劇や歴史的な状況を思い起こさせる銃撃音として考えられます。本作品ではまた、炎のボールがスクリーンに当たり物語世界内に置かれたスクリーンが燃えてしまいます。燃え落ちたスクリーンの奥にはプロジェクターがあって、それが放つ光を私たちは見るわけです。

 

ィヴィアン佐藤 『世紀の光』では、ヴェトナム戦争で空港の場所だったところに病院が建てられています。主人公ジェンの旦那さんは米兵ですよね。米兵は何も分かっていない。ヴェトナム戦争、アメリカとの関係、政治的な状況が根底にあって見え隠れしているというか。

 

鈴木 『ブンミおじさんの森』について、企画段階からアピチャッポンと話をしていましたが、最初のうち、プロデューサーのサイモン・フィールドは、あまりにも旧作のイメージを引きずるので、森やジャングルは出したくないと考えていました。アピチャッポン本人も、南米や砂漠をイメージして、ニュートラルでフラットのスペースをつくりたかったようです。ロケの関係で最終的に森になってしまったんですね。

 

司会 次の作品“Memoria”で、アピチャッポンは初めてタイを離れてコロンビアで撮影を行います。今のタイで、長編映画を撮るのが非常に難しい環境にあることも一因ですが、ラテンアメリカの歴史に興味を持ったこともモチベーションになっているようです。主演はティルダ・スウィントン。撮影は2019年2月頃から開始され、2020年には公開予定とのことです。新しいステージへと向かうアピチャッポン監督からはますます目が離せませんね。

※なおこの日はアピチャッポンの名前の表記に関しての解説もあり、タイ語での意味も重要だが、監督自身の発音を、日本人が発音するカタカナで表記して再現する場合、「アピチャッポン・ウィーラセタクン」となり、監督自身がこれで統一してほしいという意向であることが説明されました。《了》

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 イメージフォーラムでの特集は9月7日まで。世界から絶賛される独特の感性をスクリーンで味わう絶好の機会です。お見逃しなく!(ここまで文責・小島)

■イメージフォーラム上映情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2018 Apichatpong in the woods」

上映日程: 8月11日〜9月7日

新しいステージを前に、アピチャッポン代表作をもう一度スクリーンで。個展「亡霊たち」、シアターピース「フィーバー・ルーム」を経て、次の長編映画が待ち遠しい。
<タイの天才、アピチャッポン・ウィーラセタクン>

タイムテーブルなど詳細はイメージフォーラムウェブサイトにてご確認ください。

アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2018 Apichatpong in the woods

 

トークショーに感銘を受け、終了後にちょうど始まった『世紀の光』の上映に飛び込んだ澤島が、初めてのアピチャッポン体験を瑞々しくつづりました。

 

Century and a Syndrome(『世紀の光』)

アピチャッポンまだ一本しか観ていない私で、すみません。20年生きてきて、ついに観ました、アピチャッポン。イメージフォーラムでのたっぷり90分、超ディープなトークイベントの後、まるで「あの不気味なダクト」(映画を観た方なら、わかるはず)に吸い込まれるかのように、『世紀の光』のスクリーンに吸い込まれてきました。

初めてのアピチャッポン体験のフレッシュかつ正直な感想を書いてみたいと思います。

なぜ私は寝なかったのか?映画が始まって、わりと早い段階で「静かだなあ・・・。」と思った。めちゃくちゃ怒ってる人も、悲しんでる人も出てこないし、爆発とか殺人とか、涙の別れとかも全然起きない。こんなに穏やかで静かな映画、初めて観たかも?何かが起きてはいるのだけれど、いまいち意味がわからない。脈絡がない?すべてが何かとても重要なことを意味しているように見えたり、逆にすべてが無意味にみえたり。タイって、もっと湿度が高くて、妖しくて混沌としていると思っていた。『君の名前で僕を呼んで』の北イタリアみ(笑)すら感じる。サヨムプーの撮るタイはこんなに爽やかで穏やかで、清らかなんだ・・・。先生の着ている服があまりにも涼し気で。何だかぼーーーっとしてきた。やわらかい昼の日差しの下でうとうとしているような気分。

でも、私は寝なかった。むしろスクリーンから片時も目を離さなかった。いや、離せなかった。不思議な力でひきつけられるように、私は一種スピリチュアルな状態に入っていったのだった・・・。タイのどこか。緑に囲まれた、開放的な病院(平屋建て?)には自然の光があふれている。意味は分からないけれど、静かに連なっていく出来事がどれもとても可笑しく愛しく思えた。豚のカリカリ揚げをプレゼントされる先生。DJかマンガ屋の店主になりたかった若い僧侶。歌が上手い歯医者。ランを育てる青年。鶏の復讐を不安がる老僧侶。ゆるやかにつながり、交わるそれぞれの人生、を少し離れたところから眺める不思議な感覚。

突然、雰囲気が一転して、「時代が変わった」ことに気付く。

漂白されたような無機質な光、高層ビルの近代的な病院。閉じられた空間。もはや窓が一つもない部屋すらある。相変わらず、鶏の復讐を恐れている老僧侶。何かプレゼントを受け取る先生。歯医者はもはや歌を歌わず、若い僧侶は押し黙っている。つながっているような、つながっていないような、変わったことと、変わらなかったこと、輪廻そのもののようなカメラは静かに回り続ける。義足の中に隠した酒を飲み、ハンサムな青年にチャクラを流そうとする女医が出てくる。こちらをまっすぐに見つめてくるもう一人の女医の目。そして、あの全てを吸い込んでしまいそうなダクト。死ぬほど不気味だ。寂しい時代だ。誰もが心を閉ざしている。木も土も遠くなってしまった・・・でも、恋人に会えばハッピー、キスをすればもっとハッピー。時代は変わっていくけれど、わたしたちは今日も変わらず恋をしている。(澤島)

小島ともみ
80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。

澤島さくら
京都の田舎で生まれ育ち、東京外大でヒンディー語や政治などを学んでいます。なぜヒンディー語にしたのか、日々自分に問い続けています。あらゆる猫と、スパイスの効いたチャイ、旅行、Youtubeなどが好きです。他にもいろいろ好きなものあります。