「私がこの世界がどのように感じていたかということよりもむしろ、どういう視点からこの物語を語るかということを考えた時に、もちろん客観的に語るということもできるし、誰か一人の観点で語るということもできる。その時に私はやはり子どもの観点になって描くのが一番良い、うまくいくということに気がつきました。子どもの目になって、起きている出来事の一部分しか見ることができない、それを子どもが少しずつ発見していくようなナレーションにしたいと考えながら撮りました。」

 1970年代のポーランドの小さな田舎町を舞台に、父親が不在の環境の中、非常に親密だった母親との関係の変化を迫られる少年ピョトレックの夏の物語を描いた『メモリーズ・オブ・サマー』。少年の目を通して描かれた「子ども映画」でもあるこの作品について、来日したアダム・グジンスキ監督にインタビューを行った。

 映画の冒頭、緊迫感の漂うオープニングのあと、夏の風景の中で描かれるピョトレックとその母は、一緒に湖で泳いだり、トランプをしたり、家ではダンスをしたりと、二人でいる姿がまるで恋人のようで、少し驚いてしまうほど仲が良い。しかしその関係が次第に崩れていく。
映画では、主人公ピョトレックと様々な人との関わり合いが描かれているが、その中で母親との関係を一番の軸とした理由について、グジンスキ監督は次のように語った。
「一番原型的な人間関係、つまり娘と父親、または息子と母親に興味がありました。
鋳型のように子供の心理や意識に植えつけられて、それが大人になっての人間性というのを築きあげていくような、そういった祖型的な人間関係としての息子と母親、あるいは娘と父親の関係についてです。この映画は、息子と母親の関係にしましたが、娘と父親の関係で作ることも可能ではあったと思います。ただ、そういう関係性のどの瞬間に私が興味があったかというと、子供の頃というのは親に対して100%の信頼を抱いている訳ですが、その信頼がある種の試練に晒される瞬間、つまり、ある経験を経たあとで、かつての子供時代のような100%の信頼、あるいはその人に全てを捧げるといったような関係性というのを再び構築できるのかという、そういう瞬間です。
この映画はある意味、オープンエンディングな訳です。最後のところでピョトレックの顔を見ながら、彼が線路のところに立っている場面で、果たしてこの少年と母親の関係というのが元のようなものとして出来上がるのかどうかという問いかけで終わっている映画です。」

『メモリーズ・オブ・サマー』はグジンスキ監督の長編第二作目にあたる。本作だけでなく、短編や中編映画を含めた監督のこれまでのフィルモグラフィーの多くが、子どもを主人公に、彼らの目線で世界を描いている。

「過去の映画では、それぞれ子供を描いてはいますが、それぞれにおける子供の役割は違っています。『ヤクプ』(1998年)という映画は、ある意味今回の『メモリーズ・オブ・サマー』に似ているところがあると思います。ただ、この作品のような、何か深刻なドラマというのが起きるわけではなくて、父親がいない環境で育った子供の感情というのを、なるべく繊細に描こうと思いました。
もうひとつ、大学の卒業制作で撮った”Antichryst”(2002年)という映画は、全く違う映画です。子供の世界を描きながら、それが大人の世界の生き写し、鏡のように映った映像そのものである、といった極端で過激な感情を描いています。いずれにせよ、私は子供を描いているときに、自分の世界にいるような気がします。つまり扉の隙間から大人の世界を見るような、初めて見て興奮しているような…その感じが、私自身の感受性と合っているような気がします。
ただ、これも変わっていくことで、確かに子供が中心の映画を撮ってきましたが、次に撮ろうと思っている映画は全く違う映画です。」

 映画のポーランド語のタイトル”Wspomnienie lata(夏の思い出)”は、70年代に活躍したポーランドのポピュラー歌手、アンナ・ヤンタルのヒット曲”Tyle słońca w całym mieście(町中には、こんなにも太陽が)”の歌詞から採られたという。劇中でも何度も流れる重要なモチーフになっているが、グジンスキ監督はこの音楽を使った理由を次のように語っている。

「個人的にこの音楽に思い入れがあるというわけではなくて、この物語にとって重要でした。1970年代から80年代の終わりにかけてのポーランドを知っている人なら誰だってこの歌を知っています。たびたび思い出すような、要するにこの時代のシンボルのような流行歌です。ですから、この映画で特に重要なのが、やはりこの歌の歌詞、テクストだと思います。この音楽自体を私が特に好きだというわけではありません。むしろ、私の両親くらいの人々がこの音楽を楽しんだ世代であって、この映画の中ではあくまでも、時代の表現、ある種のアイコンとして使いました。この時代の文化の象徴として、です。」

アダム・グジンスキ監督

 プレス資料のなかで、グジンスキ監督は『メモリーズ・オブ・サマー』について、「アイデアはたしかに私自身の経験に基づいているが、自伝映画ではない」というように語っている。
そういった脚本作りの際に気をつけた点について尋ねると、重要であるのが「距離」だという。

「子どもの映画を作るとき、自分が実際に経験したことから離れたことを探そうとします。自分自身の経験というのは距離を置くことができないので、それとは全く違う物語を、自分の経験をフィルターにして描こうと考えました。この『メモリーズ・オブ・サマー』の場合も、私の経験とは殆ど関係がありません。なぜかというと、距離を置かないと、物事の意味や表現といったものを見つけることができないからです。つまり、自分自身が観察者になることができない世界、あるいは自分自身がゼロから作りあげるような世界でないといけない。そういうようなものでないと、その世界の多元性というか、いろんな意味合いというのはわからない。つまり自分自身や父親や母親の経験というのは、客観的に理解するということはできないですよね、━あまりにも自分の経験が強烈すぎるから。父親というのはいったいどういう人間だったのか、母親とはどういう人間だったのかということも、自分ではよく分からない。そこである程度距離を置くんです。また、自分自身のことを、自分が思うように描いて、これが私の話です、と人々に言う勇気というのも私にはありません。」

 まるで恋人同士のように楽しげで親密だったピョトレックと母の関係は、次第に緊迫したものへと変化していく。同時にピョトレックは、母との関係だけでなく、都会からやって来た少女マイカを巡る関係を家の外でも築き、それにも葛藤する。もちろんピョトレックの母はそれに気づくことはない。同様に、ピョトレックも母が職場でどのような人間関係を築いているのか、そこで知り合った不倫相手がどのような人なのか、全く知る由もない。映画の終盤で家に帰ってくるピョトレックの父が、仕事のために出かけている先のロシアでどのような暮らしをしているのかも、映画を見ている限りではわからない。
監督自身が「オープンエンディング」だと語るラストシーンも、それ自体は希望にも悲しみにも解釈できるけれど、ピョトレックと母との間に今まではなかった隔たり、距離が生まれてしまったということを描いている。もしかしたら、親密だと思っていた関係を築いていた家族にも知らない面が多くあるように、その距離や隔たりは、元々あったけれど気づかなかっただけということなのかもしれない。
この映画が、少年が大人になっていくひと夏の通過儀礼を描いているのだとすると、距離に気づくことと大人になることというのが、どこか通じているのではないかという気がしてしまう。

 ポーランドの歴史や文化といった背景のあるこの映画に対して、私個人が一番興味を抱いたのは、どのように監督がこの物語を編み出していったのだろうかということだった。その問いは、もしかしたら激しいドラマのある映画の本質を捉えてはいないのかもしれない。けれど、自分が生きている場所とは全く違う時代と土地を描いているにも関わらず、親しみのある感情を抱かせられる映画のように感じているし、その理由を探りたくなってしまう映画だった。

通訳:久山宏一(ポーランド広報文化センター)

『メモリーズ・オブ・サマー』

6月1日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMA、UPLINK吉祥寺にて公開中!ほか全国順次ロードショー公開

監督・脚本:アダム・グジンスキ

撮影:アダム・シコラ 

音楽:ミハウ・ヤツァシェク 

録音:ミハウ・コステルキェビッチ

出演:マックス・ヤスチシェンプスキ、ウルシュラ・グラボフスカ、ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ

原題:Wspomnienie lata /2016年/ポーランド/83分/カラー/DCP

配給:マグネタイズ 配給協力:コピアポア・フィルム        

©2016 Opus Film, Telewizja Polska S.A., Instytucja Filmowa SILESIA FILM, EC1 Łódź -Miasto Kultury w Łodz

公式サイト:memories-of-summer-movie.jp

吉田晴妃
四国生まれ東京育ち。大学は卒業したけれど英語と映画は勉強中。映画を観ているときの、未知の場所に行ったような感じが好きです。