主人公アキは友人の娘を殺害したとして取り調べを受けている。供述書が取調官によって淡々と読み上げられていく中、どこか他人事のような素振りで受け答えをするアキ。揺らぐ視線、微かな表情の変化。15分以上あるこの冒頭シーンの後に続くショットにまず、大きな戸惑いを感じずにはいられない。それまでとは異なる空間で、先程までアキを演じていた人間ともう一人の人間が台詞を読む様子が映し出されているのだが、まるで別の人間のようなのだ。それはアキであってまだアキではなく、アキの友人のノドカであってノドカではない人間。その二人が幼い頃に椅子とシーツで作った二人だけの“王国”についての台詞を、演じているというよりは読み上げている。これは冒頭の映画のリハーサルなのだ。以降、この映画はほとんど1か所の空間の中に簡易的に椅子と机が並べられ、リハーサルや台本の読み合わせを繰り返しながら進んでいく。決して撮影されることはないシーンの反復、前進をゆっくりと繰り返しながら、アキではなかった人間にアキが宿っていく過程が映し出される。これがリハーサルだと改めて意識させるようなカメラとマイクが映り込む一瞬や、スタッフ(監督と助監督だろうか)の声が画面の外から聞こえてくる場面を挟みながらも、あくまでも演じている人間を映し続けている。

『アウト・ワン 我に触れるな』(1971/ジャック・リヴェット)ではついにその本番を見ることのなかった演劇の練習シーンが延々と映されることはあったし、『オーケストラ・リハーサル』(1978/フェデリコ・フェリーニ)での混沌のリハーサル風景もある。リハーサルではないが、同一シーンの複数テイクをカットせず大胆に繋いでいたり撮影クルーを映し出した『ゾンからのメッセージ』(2018/鈴木卓爾)も思い起こされ、それぞれに共通する要素もありながら、しかしリハーサルを重ねて役を獲得していく過程こそが映画の根幹にある『王国』は、他のどんな映画とも例えようがない。先ごろ発売された『狩人の夜』(1955/チャールズ・ロートン)のブルーレイに特典映像として収録されている、160分にも及ぶ別テイクのメイキングが近いかもしれない。画面外から聞こえる監督チャールズ・ロートンの俳優への演技指導の声と、その都度変化する俳優の演技と連続する複数のテイク。とは言えこれはあくまでも本編ではなくメイキングであり、本編の素晴らしさを知っているからこそ楽しめる映像である。リハーサルそのものが本編である『王国』のなんと不敵なことか。

『王国』で俳優たちによって語られる物語についても触れたい。この物語は単独の映画としても充分に見応えのある作品になると思うし個人的にも見てみたいのだが、これは3人の人間によるそれぞれの領土の物語である。3歳の女の子を殺した女アキと、その友人であり女の子の母親ノドカ、そしてその夫ナオト。かつて築いた王国から抜け出すことができない者、かつて築いた王国を離れ娘との空間が王国になった者、築き上げた王国を必死で守ろうとする者。それは目に見える場合もあるし、見えない場合もある。それぞれ本人にしかわかることのない領土で生活する3人は、初めは少しの、しかし徐々に大きくなる違和感とすれ違いを経て、台風の目の空洞に飲み込まれてしまうようにそれぞれの王国を離れることになる。あとには劇中幾度も歌われる、二人だけの王国に入るための合言葉「荒城の月」の歌詞のように住人を失った場所が残るのみ。3人の俳優によって次第に明らかになるそれぞれの「王国」についての物語は、この映画の呼吸で表現されることで映画そのものと呼応し、一層のスリルと異様な輝きを放っている。

おそらくリハーサルで一番繰り返されていたであろう、3人(プラス、そこにいるとされている娘)が食卓を囲みながら談笑する場面がある。3人が座る位置を少しずつ変えながらその都度視線の行く先も変わるのだが、執拗なほどに登場するこのシーンを繰り返し見ているうちに、アキを演じる俳優の定まらなかった視線はアキの揺らぐ視線へと移ろい、簡易的だと思っていた椅子や机の配置はその場所こそが必然と思えてくる。


ほとんど一箇所の閉じられた空間の中で繰り返されるシーンのリハーサル。次第に表情を変えていくその様を見ているうちに、俳優を介して発せられる台詞はいつしか耳慣れた言葉となってくるのだが、その言葉が次第に自分の中で新たに組み立てられ、フィクションを見るのとはまったく別の方法で物語が浸透してくるようであった。
ここで見えているもの、聞こえてくるものは『王国』という映画のほんの限られた部分のリハーサルであるはずなのに、身体や表情に役を宿していく俳優の過程、その声、それが行われている空間、予告なく入る外景のショットを通して、撮影されていないはずのシーンまでもが見えている、聞こえているような錯覚を覚える。まるで自分がこの『王国』という映画の領土に入り込んでしまったような。反復と前進を重ねながら築かれていくこの映画そのものが広大な「王国」であったのかもしれない。

ここまでいろいろと書いたけれど、私が何を言ったところでこの王国の全貌には触れられていないのではないかとも思う。どうかこの150分に身を預け、王国に踏み入って欲しい。

『王国(あるいはその家について)』 は2/8(金)より開催される恵比寿映像祭にて上映。また、2/9(土)から大阪・神戸・京都の3館で始まる「次世代映画ショーケース」でも上映される。

■第11回 恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」
https://www.yebizo.com/jp/

■次世代映画ショーケース
https://www.zisedai-eiga.com/

『王国(あるいはその家について)』
(2017-2018 / カラー / スタンダード / 150分)
監督:草野なつか
出演:澁谷麻美、笠島智、足立智充、龍健太
脚本:高橋知由
撮影:渡邉寿岳
音響:黄永昌
編集:鈴尾啓太、草野なつか
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
企画:愛知芸術文化センター
制作:愛知県立美術館


鈴木里実
映画に対しては貪欲な雑食です。古今東西ジャンルを問わず何でも見たいですが、旧作邦画とアメリカ映画の比重が大きいのは自覚しています。