「こんな夢を見た」あまりにも有名なこの書き出しが思わず頭に浮かぶ。海に横たわる一人の女が目を覚ます。その前を歩く女は木の実を探しているらしい。岩場ではまたある女が歌い始め、それを止める男が現れる。これが『うろんなところ』の始まりだ。

 

©2017 TIFF 池田暁監督

 

 監督は池田暁、手がけた作品には『青い猿』(2007)、『飛ぶ風景』(2008)、『山守クリップ工場の辺り』(2013)がある。本作はそれに続く第四作目だ。当初は碓井千鶴プロデューサーから「15分の短編を」と言われていたが、「できてみたら93分だった」という。

 

実は碓井さんに会う前から一本、『にょらがに会う』を撮っていたんですね。碓井さんにそういう話[短編制作の話]を頼まれて、また夢の話の短編を撮りたいな、と思って、そして次が『洗髪しに行く』という、最後のやつですね、を撮ったんです。で、撮ってるうちに何かもう一本撮りたいなという気になってきて、そのうち一緒にしちゃおうと思って、何となく碓井さんに撮っていいですかって頼んだら、まぁまぁいいですよという感じだったのでこういう90分ほどの作品になったというのが制作の過程になります。

(TIFF 2017 上映後Q&Aより)

 

 上記の発言から分かるように、物語は三部構成をとっており、それぞれ「にょらがに会う」「手袋で祝う」「洗髪しに行く」と題されている。三つに区切られているもののオニムバス形式ではなく、物語の世界は同じである。最初のカットで目を覚ました人がそのエピソードの主人公だ。起きていることは相当変なのだが、その場所に存在するある種の秩序のようなものが少しずつ分かってくる。この作品で面白いのは、そういった約束事があまりにも些細な可笑しさに支えられていることだ。美容室のほとんどが蕎麦屋だが、肝心の蕎麦は不味い。妊娠すると赤色の手袋を調達する。洗髪しに行くのは家に出た妖怪を退治するためだ。はまるはずのないパズルのピースが当たり前のようにぴったりくっついて、ちぐはぐながら成立してしまう世界がそこには広がっている。まさに”夢“である。

 

 さて、そのような”夢“の世界を演出する上で一役買ったのが、映画全体に漂うどこか昭和情緒を感じさせる雰囲気だ。

 

 [昭和情緒に関しては]好みですね。ああいう古い建物とか古い風景とか日本的なそういうものが好きで、前回もそういう形で撮ったんです。日本的なんですが、あまりもう見かけなくなってきてしまっていると思うんですね。建物自体がどんどんなくなってしまっているので。なので、日本的ですけれど現代的ではない。映画として、時代とかそこがどこの空間かはあまり固定したくなかったんですね。そういう意味でもああいう風景を背景に映画を撮っていたんです。

(TIFF 2017 上映後Q&Aより)

 

 固定されたまま動くことのないカメラもまた、今作では、空間の繋がりを断ち切り不特定な場に仕立て上げるという点で、おとぎ話的な画面を作り出している。移動する人物がフレームインしてはフレームアウトしていくカットの連続は、映像そのもののちぐはぐさも生み出しているといえよう。

 

©2017 TIFF 碓井千鶴プロデューサー

 

 狐に包まれたような感覚に陥るこの作品だが、碓井プロデューサーが監督について述べた「ちょっと話すとその背後に理解しきれない面白いことを抱えているというのを滲ませてくるんですよね」「後ろに大きな夢というか物語を持っている」という言葉は、映画そのものにも当てはまる。とはいえ存在を予感できてもそれが具体的に何であるのかは定かではない。しかしこの作品の場合、それはきっと、“うろん“なままがよいのだ。

 

 

東京国際映画祭での上映は残り一日。

10/29(日)10:20〜 TOHOシネマズ六本木ヒルズ Screen1

 

 

原田麻衣

WorldNews部門

京都大学大学院 人間・環境学研究科 修士課程在籍。フランソワ・トリュフォーについて研究中。

フットワークの軽さがウリ。時間を見つけては映画館へ、美術館へ、と外に出るタイプのインドア派。