東京国際映画祭7日目。ワールド・フォーカス部門選出の『ペインテッド・バード』を紹介します。アナモフィックレンズの中でも、高解像度ながら独特のボケや奥行きを得ることができるHawk V-Liteの見せる息をのむほどに美しいモノクロームの世界。戦争の恐怖に狂わされた東欧の地を彷徨う少年の、3時間の地獄行!極限まで絞った台詞のなかで際立つ主人公の少年の演技から目が離せませんでした。

 

第二次大戦下の世界を描くモノクロ映画といわれて思い浮かぶいくつかの作品があるでしょう。またか、と手垢のついた感しか覚えないかもしれない。それも戦争映画というわけではなし、3時間で台詞が少ないときたら、退屈で眠気を誘うやつだな…と思ってしまうのはご尤も。しかし本作、そのすべてを良い意味で完全に裏切ってくれます。

 

読書好きの方なら、原作をご存じかもしれません。ポーランドの作家イェジー・コジンスキー、1965年刊行の同名小説は、東欧を覆い尽くしたホロコーストの恐怖を漂わせ、子どもや動物への容赦ない暴力(性的含む)表現で物議を醸しながら、ベストセラーになった作品です。その原作を映像化した本作のすさまじさは、ヴェネツィア国際映画祭でコンペティション入りを果たすも、観客の半数が耐えきれずに途中で退席してしまったという逸話からもうかがい知ることができるでしょう。

 

戦争が激しくなり、親元を離れ、村はずれで独り暮らすおば宅へ疎開した少年。ある日、おばが急死してしまい、動転した少年が取り落としたランプの炎で家は消失。少年はあてどない放浪の旅に出ざるを得なくなります。少年が行く先々で出会う人たちが、もれなく酷い!ある村では顔つきから「悪魔」と認定されて文字どおり袋だたきに遭うなど、容赦のない暴力が少年を襲います。いたいけな少年がなぜここまで忌み嫌われ傷つけられるのか…映画の中盤で理由が明らかになったとき初めて、これがまぎれもなく戦争のおそろしさを描いた作品であることに気づかされるのです。人間から良心や同情や共感を奪い去り、猜疑に満ち異物を排除する狭量な心のありように変えてしまう。

3時間は10のパートで構成され、少年と接触し庇護者という名の支配者になる人物の名前が冠された章で少年の旅路を追います。ウド・キア、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズら一癖ある俳優たちが扮す登場人物は(一部を除き)、人間のあるどす黒い部分をうわべの親切心の中から徐々ににじませ、無垢な少年を闇へと引きずり込んでいきます。4番目の鳥飼いの老人のエピソードに現れる、翼に色を塗られたムクドリが敵と間違われて仲間から攻撃を受けて死に至る場面は、タイトルの由来を知らしめると同時に、少年の立ち位置と運命を暗示する恐ろしいシーンの一つです。

痛みと苦しみしかない、まさに地獄のような世界。それが必然のものであることを、ヴァーツラフ・マルホール監督は映像の積み重ねによって納得させ、完璧に構築していきます。ワンショットが捉える人々の表情や小さな身の回りの品々、そこから容易に想像される生活の貧しさ、人心のすさみ。一瞬たりとも目が離せない理由はここにあります。暴力にさらされ続けた少年が、今度は怪物へと変身していくさまもすんなりと受け入れられてしまう。信じがたい物語を支えリアリティを与える映像の力強さなくして、この作品は成り立たちません。

 

撮影は2年の歳月をかけて進められ、物語の中でも徐々に成長する主人公の少年はペトル・コトラールが一人で演じました。撮影がトラウマとならないよう、精神科医が常に同行し、あからさまな性的描写の部分では代役も使われたといいます。近年の際だつ子役俳優たちの中でも、彼の演技は間違いなく群を抜いて影響力の強いパフォーマンスとして記憶されるでしょう。

 

3時間の途方もない旅路をくぐり抜けた観客にはどんな結末が待ち構えているのか。割り切ることは難しい、しかしそれが戦争なんだと受け入れるしかない強烈さと、その苦みを飲み込んだときに訪れる幾ばくかの安らぎは、なかなかに得がたい感覚としか言えません。

 

東京国際映画祭での上映は一度きりだったのが大変に残念。ワールド・フォーカス部門ではなくコンペティション部門で争ってほしかった!個人的にももう一度観たい『ペインテッド・バード』、日本での一般公開がかなうことを願っています。

【作品情報】

ペインテッド・バード(原題:The Painted Bird)

監督:ヴァーツラフ・マルホール

出演:ペトル・コトラール、ステラン・スカルスガルド、バリー・ペッパー、ハーヴェイ・カイテル、ジュリアン・サンズ、ウド・キアほか

169分/モノクロ/35mm/チェコ共和国、スロヴァキア、ウクライナ/チェコ語、ドイツ語、ロシア語、ラテン語

小島ともみ

80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。