2016年1月、IndieTokyoは第2回配給作品として、ダミアン・マニヴェル監督のフランス映画『若き詩人』を公開した。一日一回のレイトショー上映ながら、本作はさまざまな観客の反響を呼び、またリピーターも続出した。そして上映最終週には、現代日本を代表する「若き詩人」、ラジオ番組での詩の朗読、エッセイの執筆などでも広く活躍する文月悠光さんをお呼びし、上映後のトークイベントを行った。本稿ではそのトーク内容と、別途収録した文月さんへのインタビューをミックスさせた。(構成:若林良/撮影:宮田克比古)

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―まず、文月さんが『若き詩人』をみた感想をお伺いできればと思います。

 

そうですね。今回『若き詩人』というタイトルのフランス映画と聞いた時に、なんか難しそうだな、いわゆる「文学青年の苦悩」が描かれる作品だったらちょっと嫌だなという印象があったんですけど、予告編をみて、なんかなよなよっとした、主人公の男の子・レミのキャラクターが面白そうだなと思ったんですね。それから映画をみたんですけど、全体としてさわやかなとても明るい映画で、当初の印象が心地よく裏切られたという感じがしました。

 

作中では、芸術家の悩みというよりも、ある種普遍的な「18歳の悩み」がリアルに描かれていて。周りの人たちのキャラクターもとても面白かったですね。漁師の男の子が登場しますけど、レミとは明らかにファッションも、興味の対象も異なっています。漁師の子の部屋に遊びに行く場面でも、部屋でかかっている曲が明らかにパンクな雰囲気で、一見芸術肌のレミは、よく彼と仲良くやっているなあと。しかも結構バカにされていましたしね(笑)。

017―彼らは現地の本当の漁師らしいですね。ほとんどが現地の本当のそういう人たち。撮影隊が現地に行って、いろんな人を見つけてキャスティングしていった感じですね。

 

そのせいか全員とてもキャラが立っていて。漁師の子が、レミが書いた詩を読み上げるシーンがあるじゃないですか。その朗読はへたくそですけど、なんか不器用そうで、それっぽいなあって。逆に本物らしさが伝わってくる感じで、私としては新鮮でした。

 

―「詩人」として、文月さんがレミに共感したところはありましたか。

 

共感とは少し違うけど、懐かしい印象は受けました。自分なりの表現というものを求めて、レミがあちこち百科事典をめくるシーンがありますよね。意味深な言葉を探す作業は、私にも確かに覚えがあって。中学生くらいの時には国語辞典にたくさん線を引いたりしおりをはさんだりして、この言葉かっこいいから詩に使うぞ、と思っていました。今そんなことはしないんですが、言葉を求めるレミの行動に、昔の自分を見たようにも思いました。

 

―レミは海やお墓など、さまざまな場所を訪れます。インスピレーションを得るため、ということだと思うんですけど、文月さん自身も自然に触れることで、あらたなひらめきが生まれてくるということはありますか。

 

インスピレーションとか、ひらめきというものはじかに歩いただけで得られるものではないし、また「詩はインスピレーションではない」とは個人的に申し上げておきたいんですけど、近所を散歩したりとか、そうした小さなことから生まれてきた言葉はありましたね。地元が札幌だったので、雪の景色の存在はやはり大きかったですし。また、通っていた小学校の裏庭にあった、樹齢390年くらいのみずならの木は私にとって印象的でした。通学するたびにその木の前を通っていて、木に見守られている感じが、なんとなく自分のなかにあったんですね。帰省するたびにその前を通って、心の中であいさつをしたりとか。『若き詩人』にもそういう面があって、友だちか恋人にでも話すように、親しげに墓に話しかけていて。目に見えないもの、自分より大きな存在に触れるという体験は大きいのかなと思います。

 

映画のストーリーだけ見ていくと、詩のインスピレーションを求めて旅に出てみたはいいけれど、結局詩は書けないし、女性には振られるしもう最悪だ、と全体についてない感じですよね。将来もあまり見えてはきませんけど、それが暗くならないのは、やはりユーモアがあるからだし、誰もがレミのように情けないことを繰り返したなという覚えがあるから見られたのだと思います。レミがバーで年配の女性から、あなたは夢のなかにいるのよ、と告げられるシーンがありますよね。あれって結構鋭いなと思っていて。レミは感覚が鈍いわけじゃないし、むしろ鋭くて繊細な部分もあるんだけど、肝心なところがわかっていない。将来のことばっかり見据えていて、目の前のことが見えていないように思いました。

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―詩人としてどういうことが書きたいと言うよりも、例えば詩人として大成したいとか、名誉を得たいとかでしょうか。

 

パンフレットには、「世界を感動させる詩人になりたいと思っていた」とありました。ただ、レミの書いている詩は、今の感覚から見るとものすごく古臭い。近代近くの詩集とかを読むと、確かにあのような「おお、○○よ!」と呼びかける文体はあるんですけど、それを自分なりにアレンジしたという感じでもなく、ただ転用しています。レミの場合「詩人」としてのステレオタイプというものが自分の中にあって、それに引っ張られているように思えるんですね。詩人だったら酒は飲めなければいけないし、詩の中に理想の女性像を落としこまなければならない、というように。そこに捉われているのが若さだなあと思います。ただ、そこに嫌な印象はありません。確かに地元の漁師の子が彼をバカにしたりする場面はあるんですけど、それは欠点も含めてレミを愛そうとする、監督の温かなまなざしのあらわれなんじゃないかなあと。レミはいろいろと失敗を重ねますけど、それはだめだとか否定するのではなく、「いいじゃない、こういう男の子がいても」と受け入れるような。そういった視線が映画からは感じられたんですね。

 

―それは詩という以上に本当に普遍的な、「若さ」への肯定ですよね。

 

そうですね。レミは自分が書きたいことややりたいことに、自分の現状が追いついていない。でもそれも若さの持つ、ひとつの魅力ではないかと思います。だから、彼が書いた詩に対しての共感はないかもしれませんけど、「夢に追いつかない」という彼の在り方に、観客が共感するところはあるんじゃないかなあと。

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―併映の短編『犬を連れた女』はどうでしたか?

 

迷い犬を連れて行ったら黒人の女性がいて、という話ですけど、作中での対比が面白かったですね。まず、青年の白い肌に対して黒い肌の女性。犬も黒い犬だったから、その視覚的な対比があざやかで。また、黒人女性とのかみ合わないやりとりも興味深かったです。「何やりたい?」という問いに対して、レミが「将来?」と聞き返して、「今よ」と鋭く返される。あそこでぽろっと「将来?」と言ってしまうのは、現状に満足していないから。今の自分は見ていたくないけど、将来のことだったら言えるぞと。計画というよりは夢なんだけど、将来の展望は確かにあるんだと。逆に黒人女性は年配者だからなのか、先を見据えるというよりは、今という時間を意識して暮らしている感じがしました。

 

『若き詩人』にも通じますが、監督も若いからこそ、柔らかく撮られているという部分はあると思います。ふつうの「若者の成長譚」だと、レミが成長することでカタルシスを得られるかもという期待はありますけど、そうであってほしくないという気もしますよね。このままであってほしい、弱い、可愛い存在であってほしいという。レミが成長してしまうと、彼のピュアな不器用さもなくなってしまうのではないかと。アイドルが大人になると寂しくなることとも、同じなのかもしれません。

 

―ちなみに、レミ君のどのあたりに萌えましたか?

 

やはりインパクトがあるのは、レミ君のまっしろい肌と、ひょろっとした背丈ですね。『犬を連れた女』は黒人女性と黒い犬が出てきて、対比がかなりはっきりしていましたし、『若き詩人』ではひょろっとした体形の彼が、岩場を歩くだけでなぜかすごく面白くて。普通に歩いているだけなのに、こう、足がもつれそうな感じが(笑)。

 

―ちょっとすべっておっとっていうだけで、映画として面白いですよね。

 

なんであんなに面白いんだろうと。レミ自身が持っている魅力が、画面からあふれでているようなきらめきのある場面でした。

 

―最後に文月さんの詩人としての視点から、レミへのアドバイスをお願いします(笑)

 

18歳のレミからすると、失恋で「世界が終わった」とか「地獄に落ちた」ような絶望感を味わったと思うので、そこから自力で這い上がって、改めて自分の詩と向き合ってみること。そこではじめて、新しい何かに出会えるんじゃないか。まずはどんなに下手でもいいからカッコつけずに詩を書いてみろというメッセージを送りたいですね。インスピレーションを求めて女の子を口説くのは、女性の立場からするとすごく迷惑ですけど、恋愛や異性との付き合いはどんな経験よりもいろんなことを教えてくれるとも思うので、恋愛には臆病にならずにこれから成長していってほしいと思いました。架空の人物に対して言うというのも何かおかしいですけど(笑)、レミ、がんばってね。

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若林良
90年生まれ。ドキュメンタリーマガジン『neoneo』編集委員。『映画芸術』『週刊朝日』『NOBODY』などで執筆。のび太と同じくらいマヌケなのに、自分のもとにドラえもんがこないことに不満を覚えています。