東京国際映画祭3日の1本ととして紹介する『アトランティス』は、2025年のウクライナを描く近未来ディストピア作品です。今年のヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門で作品賞と監督賞に輝きました。

 

ロシアとの戦争から1年後のウクライナ。人も大地も疲弊しきり、兵士たちの多くはPTSDに苦しめられる日々を送っている。その一人であるセルギーも、製鉄所で働きながら、元兵士の友人と射撃訓練をすることで心のバランスを保とうとしていた。ある出来事がきっかけで製鉄所を辞め、目的の見いだせない日々を送るセルギーに転機が訪れる。それは、身元不明の死体を掘り起こし適切な埋葬をするボランティアに携わる女性との出会いであった。

 

長回しのワンシーンワンカットが話題になっている本作ですが、確かにどのようにして撮ったのだろう?と驚嘆させられる場面が続きます。沈んだトーンの画面に現れるのは、火花を散らせる製鉄所と、鈍い音を放つ重機、その合間を縫うようにして働く男たち。主人公セルギーの気晴らしは軍服に身を包み、終わったばかりの戦争を反芻するかのような射撃訓練と、戦争の深い傷跡を感じさせる要素に満ちています。この重苦しい印象は、やがてセルギーがボランティアの女性たちと出会い、心を通わせるなかで徐々に和らいでいき、セルギーの心の変化が映像からも感じられるつくりになっています。映像でもう一つ、特徴的なのは、ポスターにもなっている赤外線サーモグラフィカメラで撮ったようなカット。ダークな色合いのなかで温かく光る赤は、生命と未来への希望の象徴のようです。

 

上映後の記者会見では、まず「このような作品を撮ったのは、ウクライナではまだ戦争が続いていることを皆さんに知ってもらうためです」と口火を切ったヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督に対し、では、なぜ現在ではなく、またドキュメンタリーでもなく、近未来という設定にしたのかという質問が飛びました。「戦争映画の多くは、戦争が終わってから10年後ないしは15年後ぐらいに撮られたものが多いかと思います。私自身も当初のシナリオではそのような想定のもとでつくっていました。そうすると、どうしても政治的な問題が絡んできてしまうのです。あるいは、敵は悪いもの、憎むべきものだという仕立てになってしまう。そんな描き方はできるだけ避けたかった。私が描きたかったのは、戦争によって人や社会がどのように変容するかでした。その意味で、舞台を近未来に据えるという選択は正しかったと考えています」と監督。続いて、配役に話が及びました。主人公のセルギーを演じたのは、演技経験ゼロのアンドリー・リマルークさん。そこには必然の理由がありました。監督が主役の選定に際して絶対条件として掲げたのは「まず、プロ俳優は使わないこと。それが最も重要なことでした。次に私が重視したのは、実際に戦争を経験した人であり、なおかつ、その戦争によって精神的なトラウマを受けた人、すなわちPTSDを抱えているような人であることです。この物語の主人公は、まさしく等身大の人に演じてもらいたかったのです。一般の俳優さんでは演じきれない役柄だと思ったからです。その仕上がりは映画をごらんになっていただければおわかりになっていただけたのではないでしょうか」。ヴァシャノヴィチ監督が手がけた脚本の中には、アンドリーさんが実際に体験したことが数多く盛り込まれているとのこと。その中には、監督の想像をはるかに超える壮絶な出来事が含まれていたといいます。

自身の役柄についてアンドリーさんは「戦争というのは常にいつも恐ろしいものです。私は1年半もの間戦争に参加しておりました。そこで目にしてきたものはおびただしい血と人々の死、そして爆発でした。このウクライナでの戦争に参加した人たちのほとんどはPTSDを抱えています。この映画の描く状況は100%本物です。統計的なデータになりますが、戦争経験者のうち約10%がアルコール依存症に陥ったり、7~8%ぐらいの人が自殺という形で人生を終えてしまうといわれています」と語りました。

ワンシーンワンカットの意図は?という問いに、ドキュメンタリー映画出身の監督を自認するヴァシャノヴィチ監督は、このような作品を撮ること自体が挑戦的なものであったといいます。「ワンシーンワンカットを用いたのは、大きなフレームワークを使い長回しで撮ることによって、よりドラマチックな場面を再現したいと考えたからです。それによって観客の皆さんに、主人公たちの感情面がよりはっきりと伝えられるのではないかと期待したのです。より現実に近づけたいという思いもありました。もう一つ、私の興味は人物だけではなくて、その人物を取り囲む環境を捉えることにもあり、それら全てを満たす方法がワンシーンワンカットだったというわけです」とその意図を明らかにしました。では、演じるほうにストレスはなかったのでしょうか。戦場の追体験ともなりかねない現場をどのように乗り切ったのかについて聞かれたアンドリーさんは、「撮影を通して、私には価値がつけられないぐらい非常に貴重な経験を積ませていただいたと感じています。自分が2015年当時参加していた戦争のことを思い出し、イメージをつくりあげ、想像力を働かせながら撮影に参加しました」と穏やかな表情で答えてくださいました。その様子を横で見ていた監督から「ぜひ一言付け加えさせてください」。「私は今回、彼を戦争によるPTSDを抱えた人間として採用しました。撮影でとてもつらい思いもさせてしまいました。しかし現場では、『戦争とこの撮影と、今や二重のPTSDを抱えてしまっているね』という冗談が飛び交うぐらい、彼は強い精神力で撮影をやり遂げてくれました。彼自身は今後も俳優としての道を進むことを決意し、既に次の作品で主役を演じてみないかといったお話もあるようです」とのコメントに、緊張の面持ちだったアンドリーさんの表情もゆるみ、その姿には、壮絶な過去を乗り越え前を向いて歩んでいこうとする主人公が重なって見えました。

 

東京国際映画祭期間内での上映は11/2(監督Q&A付)、11/5の2回。両日ともチケットは残席僅少です。詳しくは公式サイトでご確認ください。

【作品情報】

アトランティス(原題:Atlantis)

監督・脚本・撮影:ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ

出演:アンドリー・リマルーク、リュドミラ・ビレカ、ワシール・アントニャックほか

ウクライナ/ウクライナ語/106分

小島ともみ

80%ぐらいが映画で、10%はミステリ小説、あとの10%はUKロックでできています。ホラー・スプラッター・スラッシャー映画大好きですが、お化け屋敷は入れません。