雪の白さと共に、ある1人の少年の物語が色鮮やかに残り続ける。

映画を見終えた私は思わずほーっと感嘆のため息をついてしまった。

東京から転校してきた小学五年生の少年:ユラくんが新しい環境(ミッション系の小学校)に戸惑いつつ次第に周囲に馴染んでいく。物語はいたってシンプルであり、一見するとよくあるシチュエーションのようだ。しかしそれにも関わらず既視感を全く感じない、新しい映画のように感じた。映画は寡黙な少年の心の内を言葉では殆ど表さないが、必要な情報は全て言葉以外から伝わってくる。

少年たちの表情、動きから始まり、情景、日常の音、全てが私たちの想像力をかきたてストーリーの中へと導いてくれる。メリハリの効いた描写も素晴らしい。例えば映画の中で重要な意味を持つシーンはいつも突然私たちの前に提示される。それは私たちが映画に望んでいるように、私たちを予想外の展開に運んでくれる。またほぼ全てのシーンが固定カメラで撮影される中、あるシーンだけは手持ちカメラで撮影され少年たちの躍動感を感じることができる。

さらにユニークな点は、静かで抑えめの映像にイエス様がこれまたユーモアたっぷりに登場すること。このような神様の描かれ方を観たことがある人はそう多くないのではないか。

そしてこの映画では、ユラくんが窓から外を眺めるシーンが多用されている。ユラくんが窓から外を眺めるとき彼は何を考えているのだろう?今いるところではない、どこか遠くのこと、違う世界のことを考えているのかもしれない。このシーンで多くの観客はユラくんの心の内を無意識に想像することだろう。

窓はこの映画において重要な役割を果たしていると捉えられると思う。文字通り物理的な意味での内側と外側、はたまた自分の心の中と外を隔て、且つつなぐ役割を持つ窓。窓から外を眺めるそれは寡黙で、どこかいつも外から周囲を眺めているようなユラくんらしい行為とも言えるかもしれない。 外の世界に興味を持ちつつも、しかし繊細なユラくんは外に出ていくのではなく内から外を黙って眺めている。

そんなユラくんが一度だけ窓を開けて身を乗り出し、外を眺めるシーンがある。それは新しい学校で仲良くなった和馬くんと流星群を見に行くシーンでのことだ。これはつまりユラくんが和馬くんに心を開いた瞬間だったのかもしれないし、新しい世界を一つ知り、内の世界から外の世界に出た瞬間だったのかもしれない。

奥山監督自身の経験を基に作られたというこの作品。映画を作ることは自分が前に進むために必要だったのかもしれません。と監督はインタビューに答えている。(1)

しかし勿論、そのような監督自身の映画にとどまる事なく美しい映像作品としても、少年と神様をめぐる映画としても非常に素晴らしい作品だと感じた。

必ず一人一人の胸に刺さるであろう物語。少年の煌めき、新しい才能が光る

「僕はイエス様が嫌い」をぜひ劇場で。

(1)https://www.cinra.net/interview/201905-okuyamahiroshi 

「僕はイエス様が嫌い」

531()よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国順次公開

監督・撮影・脚本・編集:奥山大史

出演:佐藤結良、大熊理樹、チャド・マレーン、佐伯日菜子ほか 

制作:閉会宣言

宣伝:プレイタイム

配給:ショウゲート

公式ウェブサイト:https://jesus-movie.com/

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=c2DdsGkOdlg

 

永山桃
早稲田大学4年生を休学してロンドンに留学中。お芝居や声優のお仕事もしています。「僕はイエス様が嫌い」では、ユラくんの両親の会話もとても好きなポイントでした。少し噛み合っていない会話がまるでコントのようでクスクス笑ってしまいました。そして何と言っても真っ白な雪の映像はそれだけで情緒を感じられ素晴らしかったです。あとは猫が好きなのに、柴犬をかっています。ワンワン!